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いのちのなかとそと〜グラヴィス帯ゲーションのはじまり〜あとがき②

こうして始まったのが、歌で皆の力を
ひとつにする試みだ。

これは東北支援の趣旨に賛同する方々から
先にCD購入の申し込みを募り、新しい
アルバムを制作し、さらに無償でCDの
提供と、東北支援コンサートを行おうと
する取組みだ。

今でいうならクラウドファンディングに
近いのだが、当時はその言葉もネットでの
取組みもなく幾つも壁があった。

まず彼女の意見は、
前例はあるの?
購入申し込みをどうやってとるの?
新しいアルバムの制作方法は?
イベントの自粛で歌うことさえ
儘ならないのに?
と出来ない理由を挙げた。

わたしの提案はそのスタートの前に
既に暗礁に乗り上げた。

『この取組みが前例になればいい!
申し込みはステージから募ればいい!
アルバムは新しいやり方で作ればいい!
そのためのイベントを自前でやればいい!』
とやり抜く決意を述べた。

これを聞いた彼女は業界人という
プライドを捨てた。

すべてをやり抜く覚悟でキャリーバッグ
ひとつの全国行脚の新しい旅が始まった。

結果は大方の予想を裏切り?2年半の
取組みで5枚のアルバムができ、76会場で
東北支援の無料コンサートを実現することが
できた。(2013年時点)

今振り返ると、これを可能にした原動力は
ひとえに彼女の思いの深さにあると思う。

自らマイノリティの名を冠した名前を名乗り、
国籍、年齢、性別、学歴、貧富の一切を
問わない生き方は、出会った多くの方々に
共感の輪を広げ、5枚のアルバムに
寄せられた賛同者は15,000人を優に超え、
さらにアルバム制作のために募集した
合唱団も全国で延べ500人を超えた。

人から人へ、街から街へ、島から島へ、
そして全国へと感動の渦が広がっていった。

その魂のLIVEは圧巻であり、
奇跡の生の声は聴くものを魅了し、
夢の扉を開いてくれた。

わたしはこのプロジェクトでたくさんの
日本的なアーチストと出会い、
新しい曲の作詞にも取組ませてもらった。
5枚のアルバムのほとんどがわたしの作詞
であり、またすべてのレコーディングに
プロデューサーとして関わり、各地で
イベントを仕込み、アルバムの意義を訴え、
多くの賛同者にアーチストを繋ぎ、ただの
聴き手ではなく、アルバムに参加する
合唱団のメンバーとして糾合させていった。

あれから10年余りの歳月が流れたが、
今も各地に魂のつながりを感ずる人々がいる。

わたしの夢は
「わたしが何をする人間か知りたかった!」

島に生まれ、一生そこでの暮らしも
あったと思う。しかし
「思うことはやってみるしかない!」

30歳を超えて上京しさまざまな経験を経て、
ボーカリストと日本各地を巡り
人々と出会い、東北支援のコンサートに
奔走したことで、ハッキリ見えたことがある。
それが自己調整法の確立だ。

立ち上がれないはずの方が車椅子から
立ち上がり感動する姿や、人生に絶望を
抱えた方の屈託のない笑顔や、社会的地位
の高い人がその場で悩みを吐露する場面や、
老若男女が無意識に「しあわせ」に浸る
LIVE会場は、今のグラヴィス帯ゲーション
を楽しむルームに似ている。

「わたしが何をする人間か知りたかった!」

その答えは無意識の生命記憶から響いてきた。


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