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3月1日(月)

@channel
おはようございます。今日は、久しぶりに素晴らしい映画を見たので、それと最近身の回りで起こっていることを照らし合わせて、考えてみたこと。映画は、その名も「すばらしき世界」。ネタバレになるので、詳しくは書きませんが、本当に良い映画だったので、見た人はぜひ今度語らいを、見てない人はぜひお時間あるときに。深いよ・・。https://wwws.warnerbros.co.jp/subarashikisekai/


 「世の中には、色々理不尽な仕組みがあり、①それをたとえ疑問に思ったとしても、その理不尽さをそのまま受け入れて生きるか、②理不尽さを逆手に裏の世界で生きるか、③あるいは理不尽さに爪を立てて、それを変えようと試みるか。どれが正しいという結論を導くのではなく、我々の生きる世界は理不尽だらけで、でもその中に魅力的で人間味のある人との出会いや心が動く瞬間がある。それが、素晴らしい。」といったお話。


 どの生き方が正しいのか?それも一つの答えはないのかもしれませんね。仕事になると、①になる人もいれば、恋愛だと②、でも家族に対しては③といった、その理不尽さに直面した文脈で、選んだ選択肢のインパクトを自身にものさしで天秤にかけて、毎回選んでいるのが現実な気がします。
 そういった流動的な面がある反面、「これだけは譲れない。あるいは譲るべきではない」といった時があります。それは、その結果「誰かのためになる」あるいは「誰かを傷つけることになる」といった相手に対してというよりかは、その理不尽さが自身の譲れない、譲るべきではないDignity(尊厳)を根底から揺るがす場合があるとき、人は①や②ではなく、③を選ぶ傾向が強いと思います。


 「賞賛すべき間違いと、そうでない間違い」の話を最近良くしています。賞賛すべき間違いは、どんどん積極的にしていこう。そういった間違いは許容する文化だから。と。でも、それを言い換えると、そうでない間違いは、そこから学ぶべきことを学んだあとは、同じ間違いを二度と侵さないように努力すべきであり、そういった態度や、「賞賛すべき間違いとそうでない間違い」の違いでさえ正しく認識できないような、人間力の欠如した人間は、それがクライアントや同僚、パートナーであったとしても、許容することはできない、すべきではないと私は考えます。これは、「そうでない間違い」を必ず二度はするべきではない、と言っているのではなく(人間だから、二度の間違いはある)、「間違い」に対する認識力と態度の話と認識してください。


 そういった認識力と態度を、飄々と悪気もなく繰り返す人に対しては、①、②、③ではなく、④そういった人に対してはシンプルに関わりを持たない方がいいと思います。


 念のため。映画は常に、フィクション。私の話は常に、ノンフィクションですが、このような認識力と態度を持った人は、今のチームにはいないことも注記しておきます。世界は理不尽の連続ですが、このチームは、「賞賛すべき間違い」を繰り返す魅力的で人間味のある人に溢れ、偶然にもSyno Japanという法人格に集まっています。そして、その賞賛すべき間違いを繰り返した結果を実感できるような、良い風が吹いている今、あえて、こんな朝っぱらからダークなお話となりましたが、古株メンバーがご存じの通り、こういう話を留めておくことができない性格のため。


ということで今日から三月!花粉症にも、理不尽な世界にも負けず、頑張ろう!

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