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国立公園と銭湯

週一で近くの銭湯温泉(温泉のでる銭湯風)にいきます。

そこは岩の露天風呂風(小さな滝付き)あり普通のコンクリートの真四角な風呂あり、水風呂ありでゆったりできます。

自分はいつも迷わず温泉感に浸りたいので岩風呂で滝にあたります、ゴツゴツした岩に頭をのせてぷかぷか。

最近気付いた事は、この岩風呂が人気ない。

大体の人、味気ない四角の方に入ってるのが不思議。

(温泉=岩風呂、に異論ありという話しは丁寧に置いておく)

そこでかなり飛躍した自分の思いに気づいた
(温泉=自然という定義の上での)

何年か前に読んだナショナルジオグラフィック。
アメリカの国立公園の来場者数が年々減少、
その色々な要因の一つに、自然を怖がる子供が増えているという記事を思い出した。

より自然を感じる岩風呂に魅力を感じずいつも入ってるような湯船を選ぶ(理由は多々あると思うが)人が多い、というのは構造が似てるなと。

遊び場が海や山川しか無かった時代と育つ環境も概念も大きく変化した現代、

自然と離れすぎた結果、敬い崇め親しんでいた自然が今や液晶画面の向こう側の数あるコンテンツの一つと感じてる人が増えた気がする。

養老孟司さんの『人間が情報になってしまった』という言葉が日に日に腹におちていく。

都市化反対、自然万歳と謳ってるわけではない、

本当に必要な物はそうない

習慣、環境のエネルギーに流されず、目の前の物は本当に自分に心地よい物なのか、どのバランスが心穏やかに過ごせるのか、気付いた人は動いている。

田舎に暮らそうと、三津浜のような少し都市から離れた田舎過ぎない丁度良いバランスのところに人は集まり続ける理由はそんなとこにもあるんだろうな。

(入り口と出口が違くなってしまった)



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