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今の私が「食べること」に求めるもの

こんにちは!
暖冬だと思っていたら急に寒くなってびっくりしてます。

本日は昨日の後悔からふと感じたことを書きます。


昨日は久々に仕事の疲れが溜まっていて仕事中も頭が働いていないことを自覚していて、
帰ってから料理するエネルギーがなかったので、外食か何か買って帰るかどうしようかと悩みました。

行きたかった近所のイタリアンに行こうと思って調べたらまさかの定休日。
それならスーパーでお惣菜を買うか家にあるレトルトで済ませればよかったものを、昨日の私は思考能力すら低下していました。

一度外食、と思ってしまったのでそのときは他の考えが浮かばず、
職場の近くの回転寿司屋さんに入りました。
一人で行くのは初めてだけどお寿司は大好きだし、ありかな。と。

疲れているときって判断能力鈍りますよね

入り口の近くの機械で人数を入力し指定された席に座り、
タッチパネルに向かって注文。
流れてくるお寿司と、注文してものすごい速さで提供されるお寿司をただただ黙々と食べる。

疲れているからか、空腹だからなのか
美味しいのはわかるけれど一目散に口に入れる。

お腹が膨れたのでお会計。
店員さんが「番号札を持ってセルフレジでお会計お願いします」とだけ言い残し、セルフレジで1,600円支払いをして誰にもお礼を言えないまま店を出る。


ここまで読んで、「だから何が言いたいの?」と思われたかもしれないですが、
私はお店を出て、家まで歩きながらすごくこのお金の使い方に後悔しました。

たかが1,600円で?と思われるかもしれませんが、
私は私が働いて得たお金を少しでも自分にとっていい減らし方をしたいと思っています。

「この1,600円で読みたかった本を買うか、休日に大好きなカフェや洋食屋さんのランチに行けばよかった」と思いました。


美味しいものを食べることは私の好きなことなのに、
なぜか今回は満たされなかったんです。
お寿司は大好きだし、今回行った回転寿司屋さんも美味しいと思って今までも何度も行っているのになぜだろう。

私が出した結論は「私は食事に『ぬくもり』を求めているのだ」ということ。
これは物理的な料理の温度ということではなく、その場の空気感や料理を通して感じる人との繋がりというか、そんな感覚的なものです。


今回伝えたいのは回転寿司に行くことがもったいないことだと言いたいわけではありません。普段友人や家族といく回転寿司はとても楽しいし、いろんなネタを食べられる満足感がありました。

ただ、いつもは回転寿司は誰かと一緒に行くから気にしたことがなかったけれど
外食に行ったのに入店から退店までの間で一度しか人と話さず
無機質さを感じてなんだか味気なく感じてしまったのだと思いました。

そして外食には、料理やお店に対して感じる「人の温かみ」や誰かと一緒に話しながら食事をすることを求めていて、それに対してお金を使うことに満足感を得ていることに気づきました🕊

私は自分の心を満たすことにお金を使いたい

そういう意味で機械による自動化は、私にとっては危惧するべきものなのかもしれません。

そしてそもそも疲れているときに何を食べようかと迷うのにエネルギーを使うのが間違っていました。

今後は疲れているときにはお家で簡単なもの(レトルトやレンチンで食べられるもの、冷凍ご飯を解凍するだけなど)でとにかくエネルギーを補給して寝て休む。
そして、元気なときに食事にお金や手間をかけて外食や自炊を楽しむ🥣
(私にとって自炊は自分で自己肯定感を高めて満たす行為)

それが私の自分を満たすための食事やお金との向き合い方だなと思った
というお話でございました。


みなさんはどんなお金の使い方をしたときに幸せな気持ちになりますか?
逆に後悔したお金の使い方はありますか?

食べることはみなさんにとってはどういうものですか?

よかったら教えてください😊
ここまで読んでくださった皆様に感謝いたします!


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