卒業制作について Vol.3 (学びの振り返り)
京都芸術大学 通信教育部 デザイン科 グラフィックデザインコース 2023年度卒業制作を補足する記事をご用意しました。
私の卒業制作それ自体についてはWEB卒展ページからご覧くださいませ。
Vol.3では、卒業制作を通じて3年間の学びを振り返ります。
▼▼▼Vol.1~Vol.2▼▼▼
Vol.1では法をわかりやすくデザインすることを散々言っていたのに、Vol.2の通り最終的には少し違う形で制作しました。当初の関心に対して直球にやらなかった理由を説明しながら、大学3年間の学びをまとめていきたいと思います。
1 デザインの働くところ
(1)魅力的であること
ぼんやりと、以下の図のようなことを考えています。これは、デザインの役割について、自分の考えをまとめたものです。大きく①「魅力的に伝える」ことと、②「わかりやすく伝えること」にわけています。先にいうと、今回の卒業制作では①に集中した、ということになります。
ある授業で、先生から「図解とインフォグラフィックは違う」というアドバイスをいただきました。何が違うのか考えてみると、それは、絵的なおもしろさや美しさ、詰まり「魅力的な」絵面なのではと思いました。単に表やグラフを用いるだけでも十分わかりやすくなるでしょうが、それだけでインフォグラフィックと呼ぶのは違う気がします。例えばこれはインフォグラフィックです。
魅力的に表現することで、受け手の気を引く、目に止めてもらう、関心を持ってもらうことにつながるのではないかと考えます。広告やパッケージがまさにそうだと思います。対象に多少なりとも関心を持ち、「わかろう」とする気持ちが起きて、そのうえで「わかりやすく」伝えていくことが必要なのでは考えました。
(2)わかりやすいこと
いったん関心を持ってもらったあと、ようやく「わかりやすく」伝える役割の本領発揮ではないかと思います。「わかろう」とする気持ちに対して「わかりやすく」応じれば、「わかる」につながると考えます。
ただし、本当に「わかる」よう目指すのであれば、「わかりやすい」表現を受け取り続けるだけではダメで、どこかのタイミングで自力でわかりにいく必要が生じてくると思います。「わかる」が進むにつれ、「わからない」ことが増えていくと思いますし、それを解決できるように取り組むのが楽しくなってくる頃合いじゃないでしょうか。それは、対象を「好き」になったということかと思います。デザインが、魅力的に伝え、わかりやすく伝え、だんだん「わかる」ようになった結果、対象を好きになって、自分からわかりにいくようになってもらえたら万々歳です。
2 わたしの卒業制作の場合
で、具体的に卒業制作でどうしたのかを説明します。
詰まるところ、今回の卒業制作では1でいう①「魅力的に伝える」に重きを置いたということになります。法にあまり馴染みのない高校生に、「法っておもしろいのよ」と、その魅力を発信することに集中しました。もっとも、ワークショップでは、Vol.2で書いた通り、「規範」に関する議論ができたなど、インタラクティブな取り組みを通じて②「わかりやすく伝える」ことも少しはできただろうと思います。ただ、卒業制作(教育パッケージ)全体としては、①「魅力的に伝える」がメインになった感じです。
いうまでもなく、法をちゃんと学んで、少しでも「わかる」よう目指すには、生の条文、判例、学術書、論文などを読んだり、専門家と議論したり、あるいはその道で仕事をしていく必要が生じます(要は法学や法の実務をゴリゴリやる)。入門書などで「わかりやすい」手解きを受け続けるだけでは事足りないはずです。
この点は、卒業制作をする上で意識したポイントで、デザインの限界と理解しています。デザインは「わかる」に向けてお手伝いしてあげることはできるが、万能ではないと思います。ただ、「魅力的に」伝えることで、どこかで対象を(この卒業制作の場合、法を)「好き」にさせるという、特別な力があります。「好き」になると「わかる」に向けた段階は加速して進み、「わかりやすさ」に頼らなくてもよくなるでしょう。
3 デザインする側の話
ここまでは、デザインの対象物と受け手の関係を考えてきましたが、最後にデザインする側(いわゆる職業としての呼称ではなく、何らかデザインを行う人をひっくるめて「デザイナー」とします。)の話です。卒業制作を含めた大学3年間の学びでうすうす感じてきた事なのですが、デザイナーは自分がわからないことを表現できるのか、ということです。逆に言えば、デザイナーは自分がわかることしかデザインできないのではないか、と疑問を持ちました。
大学では、デザインは自己表現ではなく課題解決だと繰り返し教わり、これまでの授業課題も、なんらか課題設定に端を発し、その解決のためにデザインするものでした。となると、デザイナー自身が、デザイン対象課題に相当程度精通していないと、ちゃんとデザインできないのではないか、解決につながらないのではないかと思いました。
(1)卒業制作の没案
この疑問は、私自身卒業制作の素案を考えている中で特に強まりました。実は、卒業制作の第1回授業(テーマ発表)では、「法律用語のインフォグラフィック」という全然違う内容を報告しました。これは、例えば「裁判」、「行政」、「人権」、「自由」といった法にまつわる用語を、アイコンなどのインフォグラフィックで表現するものです。現在、法にまつわるグラフィックは、警察っぽいもの、裁判っぽいもの、デミスの持ってる天秤が中心で、もう少しきめの細かいものを作ろうと思いましたが挫折しました。ひとえに、自分の能力を大幅に超える課題だったからです。
たとえば、「人権」という言葉について、世界人権宣言のような国際人権の話で使われる場合と、憲法上の権利として使われる場合で異なるグラフィックを用意しようと思いました。あるいは「行政」について、現状の規制行政風なものに加え、給付行政のグラフィックも作ってみるとか。これをやるには、対象とする用語をかなり深く理解していないと不可能で、一瞬で能力の限界を超えました。用語単体でやるのは困難だから、判例をインフォグラフィックで表現して、その文脈で登場する法律用語をグラフィックで表現しようとかも考えましたが(別の没案「インフォグラフィック憲法判例」)、難易度は変わらず、断念しました。
(2)自分がわかること
そこで、ある程度課題の内容を知っていて、まだコントロールできそうな法関係のトピックは何かと考えた結果、かつて修士論文のテーマにした主権者教育・シチズンシップ教育に到達しました。その結果、Vol.2で縷々述べたようなワークショップに行き着いたのです。このトピックについては、まだ比較的解像度が高かったので、これをデザインの対象にして思い切ってみても、一応は説明責任を負えるかな…?と思えました。
(3)わからなければわかる人と協力する
ワークショップにおいて、私は企画者・ファシリテーターとして振る舞いました。私は法学の専門家ではないので、実際に講師をされたのは研究者のお二人です。この実践を通じ、デザイナー1人ではわからないトピックでも、わかる人(クライアントや専門家)と連携し、教えを請い、試行錯誤を通じ、最終的にわかる人たちによってデザインが出来上がれば良いのではないかと考えました。なので、「デザイナーは自分がわからないことを表現できるのか」、「デザイナーは自分がわかることしかデザインできないのではないか」という疑問への答えは、「1人では無理でも、わかる人と協力すればできる」です。そりゃそうですね。(※1)
するとデザイナーには、技術的な洗練に加え、他者と連携する力、言い換えれば企画力や構想力が必要になる気がします。色々な人と協力して何事かを成すよう方向づける力が重要になるのではないでしょうか(と、書いて気づきましたが、これつまり(アート、クリエイティブ)「ディレクター」の役割ですね。別に新しい発見じゃありません)。
思うに、生成AIをまたずとも優れた描画ソフトや動画編集ソフトなどのおかげで、技術的な洗練のハードルは下がっています。そこそこなデザインはもはや誰でもできるので、今後「デザイナー」として立つには、技術的に突き抜けるのはもちろん、あるいは前述の企画力・構想力を鍛えることも大事になるのでしょうか。
(※1) 「卒業制作」という課題自体がそれそのものです。受講生各々の関心事について、先生方が全部精通しているわけではありません。ですが先生方はクリエイティブのプロです。「卒業制作」の課程では、発表や相談機会を通じ、受講生は認識課題を先生と共有し、先生はそれに基づいてデザインのプロフェッショナルとして助言します。卒業制作にはすでに共同作業の側面があります。
おわりに
想像以上に長くなってしまいました。本来最初に断るべきことを書くのですが、私はこれまでデザインとは距離のある領域(法律関係)を学び、職業にしてきて、この3年でデザインをプラスαで学んでみた者です。特にVol.3は、遠いところからやってきて、後から学んだデザインはこう見えた、という話です。最初の学びでデザインを専門にされた場合の見え方とは大きく異なる可能性があると思っています。逃げ口上となり恥ずかしい限りですが、これらは所詮、私個人の考えになります。
さておき、実り豊かな3年間でした。この卒業制作では、持てるリソースと学びをできる限り発揮できたと信じております。1年後くらいに卒業制作を見直して、その未熟さを恥じることができるよう、デザインの営みを継続したいと思います。
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