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山田芳裕氏の『へうげもの』を読み終えて

この素晴らしい漫画について
語らないわけにはいかない。

わたしはある時期に、ある理由によって
お茶の世界へ入ることをかなり具体的に
意識し始めたときがある。
あのときの気持はいまでも鮮明に思い出せる。
そんなときに(少しは勉強になるだろうから)
という軽い気持ちでこの漫画を手に取った。

それは『へうげもの』である。

漫画家の山田芳裕氏による
日本の漫画作品である。
舞台は戦国時代。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった
歴代の天下人に仕えた武将であり、
茶人でもある古田織部の物語。

ビジネス意識高めの方たちからは、
よくオススメに挙げられる漫画であった。

かなりコミカルに描かれており、
史実かどうかはさておき、
とにかく夢中になって読んだ。

物語は織田信長に仕える、
若かりし古田左介(のちの織部)の、
戦場での躍進ぶりから始まる。

父の古田重定は茶を嗜んでおり、
子の左介に機会を与えていたが、
本人は戦場での武勲を上げることにのみ
執心していた。

そんななかで、これまで得た
武士としての位を全て捨て、
己の信じる数寄の道を進むために
信長に反旗を翻した荒木村重や、
敵将ながら相手の譲歩に与せず
武人としての誇りを胸に自刃した
松永久秀らの生き様を目の当たりにする。

荒木村重は武士としての矜持を捨ててまでも
生き延びるため、茶の名器とともに
籠城していた城を脱走。
松永久秀は引き渡しを求められていた
名器とともに天守に火を放つ。

この極めて対象的な二人の
強烈なまでの生き様を前に、
左介自身の価値観は大きく揺らぎ、
進むべき道を見つめ直さざるを得なかった。

なお荒木は脱走する際、左介に命を狙われるが、
持ち出した茶器を左介に差し出すと同時に
こんな言葉を左介に掛ける。

松永弾正(久秀)は武人としては立派やった。
だがあいにくワシの方が業は上や。

当時の武将はみな、茶を嗜んでいたと言っていい。

小さな棗(なつめ:抹茶を入れるための容器)が
一国と同等の価値を有していた時代。

人の命よりも重いものであった。

本来茶人というのは凄まじいほどの業がなければ
ならないものなのかも知れない。
千利休も自らの茶の思想を広めるために
あらゆるものを犠牲にした。

その思想を広めるために
家族や自身の命さえも犠牲にした。

その業に取り込まれる時、
人は自らの命を差し出さなければならないのだろう。

古田織部は言う。

宗匠ほどの御人でも蓋の如く不完全ならば、
人は皆不完全。
むしろそこが面白いというもの。

自身を卑下することばかりであった織部は
宗匠(千利休)を招いたお茶の席で
このように言うのだ。

不完全である方が面白い。

これに対し千利休はこう応える。


過ぎたるは及ばざるがごとし
たしかに、この言葉に偽りはございません。
しかし人は過ぎたるほど、及ばざるほど、
面白いと感ずるのもまことのこと。
その面白さが和を生むならば、
これもまた、侘び数寄かと思い至るところです。


この心理、分かってはいても
なかなか認められない。
数百年経った現代では、
自身に対しても他者に対しても
その不完全さや、過ぎたる者、
及ばざる者を許容できない空気が
社会に蔓延しているではないか。

凄まじいほどの人間臭さがここにはあったのだ。

ところでグラフランツの製品は
茶道具との相性がとても良い。

緋毛氈は獣の毛でできた敷物であり、
古来より日本でも使われてきた。

一方でグラフランツの製品も
メインの素材である
フェルトは羊の毛からできている。

この写真は訪れた京都で撮影したもの。

驚くほどフィットしてくれた。

お茶を身につけようとする私からすれば
これは運命としか言いようがない。

>猪目茶碗と茶筅

戦国に生きた彼らが
業を受け入れてきたのであれば、
その道を歩もうとしている私も
例外ではない。

ここで自身が関わるブランドを
宣伝しないわけにはいかない。

是非私たちのサイトにてチェックしてほしい。

あなたの人生の一部を担う製品に
必ず出会えるだろう。

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