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見るべきところは、いい時もそうじゃない時も、結果だけじゃなく行動も!

夏休み2日目

本日も、仕事をしている方には、
大変失礼いたしますが、夏休み2日目。
ありがとうございます。

昨日は、昼も夜も、ご飯を作って食べ、
とても贅沢な時間を過ごしていると思う。

自分の決意に称賛を

昨日書いた記事で、
自分で解決できないことは、信用している人に相談し続ける
ということを発信した。

あれから少し考えてみて、
自分の行動を人にも話してみて、教えてもらったことがある。

『結果はどうあれ、話すべき人に話す、という決断をすることが、もっとも大事だ』ということである。

一瞬、頭に「?」がついたが、そういえばそうだと思ったことがある。

わたしも最近、母親に
ここ数年話せていなかった自分の過去について
勇気を振り絞って話した。

正直、親と向き合う時間を作っていなかったことさえ、気づいておらず、
いろいろ思うことはあるが、
この年になってわざわざぶつける必要もないと思っていた。

だが、どうしても自分だけでは解決できなくて、
ずっと避けてきた『親と向き合う』ということでしか策がないと思った。

そして、意を決して話したら、自分が想像以上に
いい結果になった、ということである。

わたしは、この出来事について、
わたしが、今まで親を信用していなかっただけで
母親を信頼してよかったんだ、と思ったし、
自分が勇気を出すことで分かることがある、
そして、結果がでることもある、ということを学んだと思っていた。

だけど、実際は少し違うと思う。

わたしが、ずっと親と心で会話できなかったのには、原因がある。
明確な記憶はないが、幼少期かどこかで、
『親の価値観に当てはまらないと受け入れてもらえない』と感じていたからだと思う。

だから今回、親に話すことをずっと拒否してきたし、選択肢から外していた。
もし親に話して、私が想像していたいくつかのパターンのうちの、
関係悪化の方に進んでいたら、どうなっていたのか、と思うと少し怖い。

問題はここだ。
もし、話すべき人と話した結果、いい方向じゃなかったとしたら、
それは、ダメなことなのか?

違う。絶対に違う。

いろいろ感情は浮かんできて、
『悲しい』『苦しい』『怒り』『後悔』は浮かんでくるだろうが、
自分の勇気を出した行動は素晴らしいものである。

結果がどうであれ、自分が前に進む決断をしたことが、素晴らしい。

褒めるべき時は自分を褒める

わたしは、今回、想像以上によい方向に向かったため、見逃していたが、
今回の行動の中で、なにが、一番心に負荷がかかったというと、

自分がずっと避けてきたことを認識したこと

そこに正面から向き合うこと
つまり、『話す決意をして話したこと』

だった。

危うく、自分を褒めたたえるチャンスを見逃すところだったし、
上手くいった原因を自分以外のところに置いて終わらせるとこだった。

よく「良いときは皆のお陰、悪い時は自分が原因」
なんて言ったりするが、
良いときに、少しは自分を褒めてもいいと思う。

もちろん、周りのお陰であることには間違いないから、
そのことには、すごく感謝する。

だけど、ついでに自分も褒めていいと思う。
だれも褒めてくれない自分を褒めるのは、自分しかいないから。





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