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「本当」と「本当じゃない」

ある景色を思い出した。

軽食喫茶というやつで、入って右手がキッチン、左手に白くて四角いテーブルがいくつか置いてあり、正面にはガラス窓、その窓からは中庭なのか、芝生が見える。そこで、私は母とサンドイッチを食べる。薄ぺったいパサパサとしたパンに、安いハム、辛子バターが塗ってある昭和のサンドイッチだ。

私はその場所が、地元のテレビ局内の軽食喫茶だと思っていた。
そのことを母に話すと、そんなところには行っていないという。
検索してもその風景は出てこず、出てきたとて、あの頃の内装とはだいぶ変わっていることだろう。
最近の母の記憶は、あまりあてにならないとは言え、これだけハッキリと風景が浮かぶのに、私の記憶は蜃気楼になってしまった。

私は、果たしてその場所に行ったのだろうか。

「本当」と「本当じゃない」は、多分ものすごく身近だ。
私のnoteのある記事をある方に読んでいただいた時、そのリアクションからその人は小説を読んだと思い込んでいたことに気づいた。
私は、小説の時は必ず【小説】とタイトルに入れる。実話であるとき、話をぼやかす為に多少フィクションを入れることはあっても、私の中では「本当」と「本当じゃない」は明確に線引きされている。

しかし、これを読んでくださる方にとっては、どの記事も「本当」かもしれないし「本当じゃない」かもしれない。
そして、そのどちらかである必要はなく、読み物として面白ければ良いのだ。

おそらく、頭に浮かぶいろいろなイメージは、実際に見たものと、夢か幻を見たものとが、ごっちゃになって記憶されている。
この間起きた悲しいことも、その前にあった嬉しいことも、「本当」であるか「本当じゃない」かは、きっとどうでもいいのだろう。

ただ、今は、あの薄ぺったいパサパサとしたパンに、安いハム、辛子バターが塗ってある昭和のサンドイッチが食べたくて堪らない。

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