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運動場に立ち尽くした日々を想う

 今日、オリンピック予選女子ソフトボール日本VSオーストラリア戦を観ていた。何故か、最初から最後までずっと観ていた。(コールド勝ちだったから、ソフトボールにしては短い時間で勝負がついた。)ルールが分かるのが嬉しかった。
 オーストラリア戦を観ながら、運動場の土埃や炎天下、聞いたことのない体育会系あるあるな言葉を思い出していた。約3年前、わたしは某公立中学校で教諭として働いていた。その時、顧問をしていたのが女子ソフトボール部だった。コーチや監督もいたし、優勝するたびにわたしは筆で学校名を記した。休みはもちろんない。放課後は毎日あるし、土日はここぞとばかりに試合経験をつみに他校へ赴いた。練習試合をしたり、高校へ行って練習に参加させてもらったりしていた。こちらに来て合同練習や試合をすることもあり、お迎えする準備やお昼の準備、お飲み物の準備などもした。もうひとりの顧問は、ソフトボール経験者で他校の先生方とも話が合うようで、「先生」だったが、わたしはソフトボールに関して何も知らないし、興味もないから相手にもしてもらえず「先生」ではなかった。マネージャーかな??理由はある。わたしは、スコアも記録できないし、ルールがわからないから応援しようもない。生徒の練習に付き合うこともできないし、相談もアドバイスもしてあげられない。わたしは、何もすることができなかった。炎天下で砂埃が舞う中で、ただ1日中、ひたすらに運動場に立っていた。夏も冬も過酷だった。冬はどれだけ着込んでも太腿が紫色になった。それでも、ただひたすらに運動場に立っていた。
 そんな昔のことを思い出して、観ていた。それだけの思い出があるにも関わらず、ルールを知らないうちに覚えていることに気づいた。それに、他人事としてソフトボールを観られなくなっている自分が不思議だった。テレビを観ながら、何にもしない、何にもできない顧問は「あの、上手だった生徒たちはソフトボールやってるかな」と当時の彼女たちを想った。そして、当時の顧問がそんなわたしでごめんなさいと謝りたい。

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