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【ネットフリックス】「アポストル復讐の掟」 作り手が楽しければ良いってもんじゃないネタバレ感想・分析

こんにちは。グルメピエロ@ホームです。
NY在住、映像の仕事をしています。おうち時間で見た映画について感想を書く第4弾!! 今回も感想や分析を書いていこうと思います。

※以下ネタバレ含むのでご注意ください(観た人を大前提に、振り返りの内容は端折り気味で書いています)

今回はネットフリックスの映画「アポストル復讐の掟」。年末にかけてホラー映画を見まくっていたので、それに伴ってネトフリ上で何度もレコメンドされてきたので遂に見てみた。とてもネットフリックス的というか、製作陣は作るのが楽しかっただろうなと思う一方で、これまた「楽しさが行き過ぎると観る側は置いてきぼりになるよ・・・」という典型的な作品だった。

あらすじ

1905年。孤島を牛耳るカルト教団に妹を拐われ、身代金を請求された兄。教団員に扮して孤島へ潜入し妹の救出を試みるが、そこでは謎の女神信仰と残虐非道な行為が行われていた・・・

予告編

 予告はとても面白そうで引き付けられる映像だ。僕もこの予告編にやられた。ネットフリックスは、作品を選ぼうとすると勝手に予告が流れるシステムは本当にうまいと思う。そしてその作戦に何度もやられている・・・(学習しろよ)。

物語の流れ

1.拐われた妹を救いに主人公がカルト教団が牛じる孤島へ
2.カルト教団について知りながら妹を探せ
3.カルト教団の謎の女神信仰
4.囚われた妹とカルト教団が行う残虐非道な行為が明らかに
5.潜入者としてカルト教団から追われる主人公
6.女神(怪物)登場と女神を飼うカルト教団
7.教団から妹を救い出すために本丸へ向かう主人公
8.女神を守る怪物・カルト教団と戦う主人公
9.妹を連れて島から脱出せよ

 めちゃくちゃ大まかに切り分けるとこんな感じになる。個人的には前半のサスペンス的な潜入スリラーと後半のホラー(スーパーグロい)の2段構成がとても気になった。というか別映画だろこれ・・・と。作り手が見せたかったのは明らかに後半部分。血みどろ映画に特化せずに色々なテーマを盛り込んできたり、ドラマを展開しようとし過ぎたために、なんとも微妙な映画になってしまったのだと思う。微妙になった理由を分析していく。

やりたいこと優先で回収なしの作りってどうなの?

予備知識が大前提

 まずこの映画を楽しむためには、理解しなければいけない要素が多い。そもそもが潜入物でスタートしているため、主人公と観客の目線は完全に同じ。状況を知るところから始まる。物語の進行上知りたい情報と観客が物語を楽しむためのバックグラウンド知識が混在していている。そこで学生時代に勉強してきたかが試される。
 主人公はキリスト教への信仰を捨てた男。「北京で悪夢を見た(正確じゃない)」というセリフと暴力を受ける回想シーン。僕は映画の後半で語られたこのシーンに戸惑った。映画を見終わった後に、あらすじを見て時代背景が1905年ということを知って気がついた。北京でのキリスト教への暴力シーン=義和団事件だった。当時キリスト教の排除運動が行われたということを中学生の時に歴史の授業でやった気がするけど・・・レベル高い・・・。おそらくこのシーンは前半にも差し込める。そうすれば信仰を捨てた男が女神信仰のカルト教団と立ち向かう構図が分かりやすく見えてくるはずだった。ただこれは前提条件なので、物語を分かりやすく進める要素の一つとして冒頭で展開するのではなく、物語を盛り上げる重要な要素として後ろで展開した。そのため急に展開される回想シーンは受け入れ難かったが・・・こういう作りって頭を使うから観にくいのだと思う。
 そして義和団事件のシーン。神に救いを求める主人公だが何も起こらず、神の沈黙を感じ、信仰を捨てる。このテーマって本当に難しい。「神の沈黙・信仰とは何か?」の一点突破で深く描いたスコセッシ監督の「沈黙」と違って、このパートは主人公を補強する部分だ。映画の中で理解する時間はない。知らなければ置いていかれる・・・おそらく宗教に疎い僕のような日本人は特についていきにくい内容だと思う。この映画では信仰とは何かがテーマでもあるので、ここも描きたかったんだと思うけど、やっぱり血みどろサイコなホラー部分が強い分、信仰とは何かの分が薄く感じられてしまって、この要素が実はいらなかったんじゃない?とも感じてしまった。物語が重くなった気がする。重厚感は出ず、不細工な作りになった感じだ。

意味の無いシーン

 映画全体を通して、作り手が撒いたタネを回収せず、放置したきりになっている。まず前半、主人公が教団トップを暗殺者から守るシーン。教団トップは命を救われたことで主人公へ借りができる。自分が島へ潜入しているとバレれば殺されてしまう主人公としては、教団トップから目をかけられるようになるというのは、もってこいの状況だ。物語のセオリー的にも良いプロットのように感じる。教団トップも「借りは忘れない」的な言葉を伝える。だが、このシーンはすぐに忘れ去られて、主人公は追われる身に。こんなシーン作るくらいなら他の説明不足のシーンを補強しませんか?と言いたくなる。もちろんこのおかげて主人公を看護するヒロインとも出会えるわけだが、このヒロインがあまり物語全体に効いてこない。キャラを削って他のキャラを深堀りしてもよかった気がする。
 そして、女神についての情報はほぼない。何やら特別な力を発揮するということだけだ。女神なのに飼えることとか、そもそもコイツだれ?的な感じだ。納屋で飼われている女神と地下で出会う女神は違うモノ?たまに現れるのは幻覚?なんだかこの辺りも放り投げられていた。そう言えば主人公の家の床下にも女神が住んでたような・・・
 放り投げた理由はおそらく、グロテスクなシーンに力を入れたかったから。映画で描きたかった部分が後半のため、そこへいくために色々と物語の展開を無視してしまっていた。

優れた撮影技術とカット割り(&遊び)

 内容が「う〜ん・・・」な一方で、この映画でよかったなと思ったのは、撮影技術。これが観客を繋ぎ止める要素になっていた。
 1つ目は、ブレもなく綺麗に丁寧に撮られている映像の中に急に差しこまれる手ブレした映像。主人公の目線や緊迫感を出す際に使われていた。そうしたシーンは映画冒頭から使われている。主人公のトーマスが孤島の尾根を歩くシーン。景色と土地の雰囲気が伝わる綺麗なロングショットと、そこから切り返しで頂上を目指す主人公の目線カット。頂上付近にある十字架に近づいていくカットはブレていて主人公が近づいている様子と観る側も一緒にその風景を発見し、世界に入り込んでいくような感覚を与えてくれる。
 2つ目は好きではないけど、拷問シーン。「そこまで見せるか?」というくらいエグい。頭に穴を空けるシーン、指を切り落とすシーン・・・徹底している感じがとても好印象で、「目を背けつつも、また見たい」という自分がこの映画に入り込んでいることを確認させてくれたシーンでもあった。
 3つ目は個人的にお気に入りのシーン。部屋の窓から外を見ている主人公、そこからカメラがズームバック。その姿を遠くから見ているカルト教団の肩越しまでカメラがズームバックするというカットだ。ダスティン・ホフマン主演の「卒業」では多用されていたりもしたけど、その後は映画技法から消えている。あの当時はおそらく優れたズームレンズが出たりしてそれを取り入れてみたかったということでもあるのだと思うが、ズームは今ではあまりみられない技術だ。映画ではテレビと違ってあまりズームは使われないのは、基本的に「人の目がズームしないから」というルールがあるためだ。そのためにカットを積み重ねる。テレビの場合は、視聴者が簡単にチャンネルを変えることができる中、ズームを使って一発でわかりやすくインパクトを与え、観る人に何も考えさせずに話を伝えるためにこの技法は進化したのだと思う。話はそれたがそのズームが使われていた。「誰かが誰かを見ている」というシーンはやり尽くされている。ズームの発送は安易だし、映画ではあまり使われないけど、それでも導入する制作人の頭の柔らかさが良いなと感じた。とにかく撮るのが好きなんだなと。

感想

 色々と盛り込めるネットフリックスだからこそ、もっとシンプル化した方が良いのではないだろうか?スタッフや演出技術はとてもよかったと思う。難しい背景ものをより削ぎ落としてサイコな面に集中した方が見ているが側も見やすかったと思うし、こうしたサイコな話に神秘的な要素を入れられると何を見せられているのかわからなくなる。グロなの?ファンタジーなの?的な感じに・・・そして放り投げるならもっと謎のままにするとか、中途半端をやめてとにかく謎は謎のままでも良いと思える振り切りが必要だったと思う。
 良い映画とう〜んな映画を分ける決定的な点は、要素の絞り込みと観客に物語から逸れた想像を膨らまさせないストーリーの統一性だと再確認させられた映画だった。

一言、言いたい・・・

タイトルの「復讐の掟」って何!?復讐要素どこにあった?英題では「アポストル」のみ。適当な邦題つけたポンコツセンスの人は猛省してほしい。そして制作人に対する冒涜でもあると思う。本当にどうにかしてる。観る側も勘違いするし怒りしか湧かない。

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