Gin Mat
吐きだめと自己顕示の揺らぎだよSNSは
テーマに沿って少話を
本を読むのが苦手な読書感想文
立ち姿の美しい人は、挨拶で体を曲げる時もきっと美しいのだろう。 私などは普段から猫背だし、体に芯がないとよく言われる。お辞儀などしようものなら、ただでさえ曲がった体が波打って誠意のかけらも表せない。 「美しさ」なんて私からは遠く遠くにある形容詞だ。 でも、社会人ともなればお辞儀をする機会も増えるってもんで、いつまでも波打ってるわけにもいかない。わかめでもあるまいし。 さてと、美しいお辞儀。何をお手本にすればいいのやら。美しく二つ折りになるものを、とりあえずは手近で探し
夕方が春になった ベランダにでて思った 青い夕方だった あの風を知っていた とても懐かしかった いつかは忘れた 懐かしさはいつから感じるのか 小さい頃は知らなかった 何かに出会うたび過去の似たものをたどっては探し当てたり懐かしんだりしている気がする 朝がきて昼になって夕方が沈んで夜になる 繰りかえしている 懐かしむのはそこに大切なものを置き忘れていてもうそれを拾いにはいけないことを知っているから あの時こうしておけばよかったなというか弱い後悔 拾わない方が良かったか
歴代自己紹介文 「大学をでて社会の何も知らないままに猟師の真似事を。ただ生活の技術として、狩猟と捌きの技術を身に付けたい。」
完璧なものばかり集めている。 まん丸い硬貨。 しっかりと角の出た豆腐。 真っ直ぐな姿勢。 そんな中で、なかなか完璧なものを見つけられないものがある。 完璧な弧を描く「曲がったバナナ」だ。 曲がったバナナ、たくさんあるじゃないかって? …はぁ、わかってないな 巷に溢れているのは「歪んだバナナ」ばかりだよ。 #ショートショートnote
毒々しい、という言葉が似合う夕焼けを見た。 自分の書く文章は一人称を離れられない、とひとの文章を眺めて思った。あなたが、君が、そんな言葉を使ったことがない。 彼、彼女も出てこない。誰か、という不特定な他者は出てきても、あなたや彼のように顔の見えるひとは出てこない。自分中心で、自分出発の自分が終点。いま悶々と問いあぐねているのは、自分に関わる全てに対してであって、それ以外のどれでもない。あなたも、彼も、彼女もいない。自分と切れた途端に、思っているほど寄り添いはなくなるのか