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うまれてはじめて寄付をした。

今日、うまれてはじめて寄付をした。

そんな大きな金額ではないけれど初めての経験にすこしのドキドキと照れくささを感じた。

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僕は3.11 東本大震災の時「自分に余裕がない」という理由で寄付に否定的な気持ちを持っていた。当時は募金活動をする人たちを見ていると自分が悪者のように思えたのである。本当は余裕がなかろうが、周りが何をしていようが誰も僕のことを批判などしていないのに何かに、空気に勝手に反発していた。

チャリティーライブに出演した時も「したくなかったらしなくていい」とMCで話した。もちろん今でもそうは思っているんだけどわざわざ言わなくても良かったよなと思う。

2回ほどそういうライブに出たけど心から参加できずにチャリティーライブは断るようになった。


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先日「polca」というクラウドファンディングで自身の音楽活動の支援をおねがいした。(記事は画像リンクから飛べます)

今思ってみればここに書いてあることは3.11の時に感じた気持ちとリンクしている。自己肯定力の低さが「世界が僕を否定している感 製造機」をつくりだして「落ち込む」というスイッチを押すとモクモクと周りが見えなくなる煙を吐き出すのだ。

僕の自己肯定力の低さ、それは自分なんか必要とされないんじゃないかという不安である。全ての人に必要とされることなんてありえないのに自意識過剰。おはずかしい。おはずかしいけどそんな僕がいるのは事実だ。こいつを否定してしまったら結局 自己否定のスパイラル。大丈夫って抱きしめてあげないといけない。


そこで「無条件でも支援をしたい!」と言ってくれる人がいるクラウドファンディング、その中でもすぐにできそうなpolcaをやってみることにした。その無条件のやさしさを受けとれる僕になれば何かがか変わるもしれないと思ったからだ。


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polcaのアプリの中には日常生活では透明で見落としてしまう世界が「見える化」されていた。

海外でホームレス生活をしたい!というものからiphoneが壊れたから助けてください!という何気ないものまで「たよる」「力をかす」という気持ちが文字や形になってあふれていた。

なんだかとてもドキドキ、と同時に力をかす側の人たちを見ていると僕もちょっと支援をしてみたくなってきたのだ。

だけど今は正直自分のことで精一杯で人に支援をできる余裕はなかった。
できる時が来たらやってみようと思っていた。

そこに飛び込んで来たのがpolcaやLINEで西日本豪雨災害の寄付を募っているというツイートだった。

やるなら今なんじゃないか?

そんな気持ちに突き動かされるようにスマホをポチポチやって人生初めての寄付をした。(polcaの話をしてたけどクレジット持ってなかったからLINEポイントでやってみた。)


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最初に飛び込んで来た感情は「お金を使った…ぜんぜん知らない人に…」だった。
いままで無縁だと思っていた行為。むしろ敵対視していた行為。その反動がないと言えば嘘になる。一番初めの感情は正直にこれだ。

次にわいてきたのは「これで誰かが助かるのか。何かになればいいな。」という気持ちだった。ニュースの向こう側の光景ではやっぱり実感がないのか熱い気持ちというよりは冷静にそんなことを思った。

そして最後に「あれ?ちょっとだけ心あずけることが楽に感じるかも。」という変化が起こった。

愛されるには愛することと言うけど「愛した分かえってくるよ」の他に「愛することは愛され方を知ること」という意味もある気がした。ひらめいたというよりはジワジワと浮かび上がってくる感じだった。新しいようで懐かしい気持ちだった。ずっと知っていたのかもしれない。

たった500円の寄付だったけど僕はお返しに一番ほしかったものをもらってしまった。


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実際にやった人と やってない人は決定的にちがう。

僕はやってみて寄付が偽善だとかどうだとかそんなことはどっちでもよくなってしまった。そして「結局それは自分のためだ論」みたいなのもどうでもいい。そんなことはやってないから考えることだったんだ。

僕の動機は「心をあずけられる人になるヒントが見つかるかも」だった。完全に自分のためだ。もちろん誰かの助けになればという気持ちも少しあったけど震災がなければ寄付や支援をすることはまだまだ先になっていただろう。

結果的に僕の500円は誰かの食べ物や衣服に変わってくれるのだろうし、僕も優しい気持ちを思い出せたのである。

やって残るのは結果。やらずに生まれるのは想像。どこまで走っても想像は結果に追いつけない。やってみて残った結果は「幸せな人しかいないと思える。」だった。

コンビニの募金とか、道端でよくわからないけど寄付してくれって声かけてくる外国の人とか、最初は抵抗あるだろうけど何でもいいからやってみる。自己満足でいい。そういうのが当たり前にできるようになった時に満たされることのなかった穴は埋まっているのかもしれない。


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いままでお金が減るだけだと思っていたけど
誰かの幸せが増える。誰かの役に立てた喜びが増える。困っている人に手をかす優しさが増える。人からの優しさに心をあずける勇気が増える。

きっかけなんて何でもいい。べつに誰のためでもいい。
やったらそこに温かな世界がうまれる。もちろん無理をしてやらなくてもいい。むしろ自分が困ったら助けてって言えばいい。

時間はかかるかもしれないけど僕はそんな世界で暮らしていきたい。
うまれてはじめてしてみた寄付はそんな世界の新芽の1つになりました。


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PS

僕の行動で優しさが連鎖した。
なんだかすごく嬉しかった。

これをもっと大きくできる人になりたいな。


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