「まあいいか」と「点」と「線」
「まあいいか」というようなことはたくさんある。
これぐらいやらなくてもなんともないだろう。これぐらい計らなくてもそこまで影響ないだろう。
確かにその場は大きな自体にはならないのだけど、塵も積もれば山となるで同じような手抜きが大変な自体になったり、単体だとなんら影響ないものが他の物質と結合すると毒素を発生させるように後日痛い目を見たりすることがある。
自分一人がそれでしんどい目にあうならいいのだけれど、大概そういうものは見えないところで他の誰かが処理することになっていたりする。
そして腐った食べ物のそばに置いておいたものも一緒に腐ってしまうみたいに「まあいいか」を繰り返していると心自体に手抜きグセがついて様々なことを雑にこなしてしまう。やがて大切なことにも手を抜き初めてしまってどでかいミスをしてしまうことになるのだ。
だけど僕は思う。
1回の大きなミスも辛いものだけど、実は一番怖いのは小さな不信感の積み重ねなのだと。
例えば寝坊をして大遅刻をしてしまったとき、誠意を持って心から謝罪をし改善しようと努力をすればまたチャンスをもらえることもあるだろう。
しかし5分の遅刻を当たり前のように毎回してくる人にはきっとチャンスは与えられない。ああ、ギリギリ族の自分にとっても耳の痛い話だけど続きを書く。
失敗は誰にでもあるから許されることができる。信用を失うということは許される以前に諦められている。いざという時に諦められている人に声はかからない。
「まあいいか」が一番よくないことなのだよなあ。
という記事を眠たすぎて2時間ごとに起きては寝てを繰り返しものすごく浅い睡眠になってしまった。
「まあいいか」にはならず、でも区切りをつけてどちらかに振り切るバランス、判断が難しい。
全部が今じゃなくてもいいんだよな。判断のためには締め切りを見つけること。「点」で考えずに「線」で考えてみればいいのかもしれない。
うんきっとそうだ。線で考えれば「まあいいか」はよくなくなるし区切りどころも見つけやすい。思わぬ発見があったので体はしんどいけど良かったことにしよう。
過去の失敗を良かったことと思う。
これも「線」の考え方だよなあ。
読んでくれてありがとうございます:-D
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