「お前」と呼ぶことについて
ライブハウス クラブマーキュリー奈須田さんとツイッターで「お前と呼ばれることについて」の話になりました。
時代背景とともに変化していく文化があり、言葉もその中のひとつです。
「お前」はもともと相手を敬う呼び方だったのだけど今では下に見るような意味合いになっています。真逆ですね。
「煮詰まる」も本来は「いい感じに煮えてきた」というポジティブな言葉なのに「悩みすぎてうまくいかない」という意味合いで使われることが増えてきました。
個人的にも「煮詰まる」は後者の意味の方が使っていてしっくりきます。僕が最初に(間違えて)覚えたのが後者だったからかもしれません。
でも例えばそういう人の方が多くなって浸透し直してしまえば、もう「悩みすぎてうまくいかない」の方が正しい意味として世間に定着したと考える方がいいのかもしれません。
言葉もアップデートされていく。ときには真逆の意味になります。
文章を書くのが好きな身としてはそんなファッションの流行みたいにコロコロ言葉が変わるのは嫌だなあと思ってしまうのだけど、こだわりがない人にとっては服を買い替えるようなものなのかもしれません。
僕がファッションの変化に何も抵抗を感じないように。
正確には「自分が普段使っていた意味から変わる」のが嫌なのです。「煮詰まる」がそうだったみたいに。もっと言えば言葉にかかわらず「抵抗感」が気持ち悪いだけなのです。
変わるのが気持ち悪いから嫌だとごねている間に時代も文化も進んでいきます。それなら柔軟に変化を受け入れた方がきっと楽しいです。時間も精神力も無駄にならないし。
江戸時代初期までは敬意のこもった言葉だった「お前」は、令和では嫌われる言葉ランキングがあったらかなり上位に入ると思われます。
今目の前にいる人が嫌な気持ちになるのであれば、昔はどうだったなんて関係がありません。大事なのは嫌な気持ちにさせないことです。
だけど人それぞれ価値観は違う。
ツイッターでいくつかリプをいただいたのですが「お前」と呼ばれることひとつとっても「別に嫌な気がしない」「男性同士ならあり」「仲がいい男性からなら
むしろOKという女性」など色々な捉え方がありました。
ちなみに僕は男女関わらず「お前」と言うのも言われるのも好きじゃありません。
といいつつ女性への劣等感が強過ぎた頃は優位に立ちたいという気持ちがあって「お前」と呼んでいた頃もあります。恥ずかしながら敬意を欠いていました。
価値観だけでなく心境や環境によっても心は左右されるのです。
そこで大事なのはなんだかんだ「話を聞く」ことです。
相手のことはわからないから、どんなに想像力を働かせても食い違うことはあります。想像はあくまで仮説だからです。
ただそれによってマイナスを減らせることは多い。時代背景や空気を知り自分をアップデートしていくことは想像に役立つのです。
僕は自分の意見に固執し過ぎてたくさんの人を傷つけてきました。想像で人を理解することはできませんが理解しようとする姿勢が想像力だったのです。
それでもダメだったときには「確認」しかありません。
「自分はこういうつもりでこう言ったよ。あなたはどういう風に受け取ってどう感じたの?」そこでちゃんとコミュニケーションが取れればずれていた部分が見えてきます。
確認に必要となるのが「定義」です。
「お前という言葉は本来敬う気持ちが入っていて、決してあなたのことを馬鹿にする意味で使っていたわけじゃないんです。」
『お前は下に見られてるように感じるから言われたくない』
この場合「お前」に対する定義が二人で違います。だとしたら謝るべきは「お前」という言葉を使ったことではなく、定義の違いから「嫌な気持ちにさせてしまったこと」ではないでしょうか。
「女性にコンプレックスがあるから支配したい気持ちがある。」
『お前は下に見られてるように感じるから言われたくない』
これは原因がはっきりしていますね。
そこからは話し合って、お互いがここがいいねというラインを見つけていく作業です。
定義が曖昧だと謝る部分を間違えてしまったり、謝って欲しい部分を伝えられなかったりします。こういうことは多いです。自分の心の話を聞くことも大切なんです。
想像ができるように自分をアップデートしていく。確認ができるように発言や行動を定義づける。
このふたつを押さえてみれば今の時代「お前」をあえて使う理由が見つからないんですよね。
古い価値観や固定概念に縛られないようにどんどん取り入れて、その上で好きなもの選んでいきたいです。
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