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小説が読めない。

僕は小説が読めない。

正確に言うと人物や景色のイメージが全く絵で浮かばず、どこで誰が何をやっているのかが分からないから読むのをやめてしまうのである。

例えば「海岸に白いワンピースの女の子が立っている」という文章に対して、海も砂浜も女の子の顔も背丈も服装も浮かんでこない。もちろん風の音や潮の匂い、温度なんかも。

すると何が起きるか。

現在進行形の状況把握にすらすごく時間がかかるし、女の子が走り出した瞬間にせっかく把握した周りの海岸や砂浜が消え去ってしまう。白いワンピースも着ていない。全裸というわけではなくて「女の子が走っている」という情報しか残らないのだ。

登場人物が多い作品は特に地獄で、高校生の頃に読んだ東野圭吾の白夜行は無理やり読み進めたものの「この人誰やっけ?」の連発だった。

小説を買ったきっかけのドラマも「取調室で武田鉄矢が超重苦しい空気を醸し出していた」という情報しか残っていない。現実に見た俳優の顔も目を閉じれば消え去ってしまう。

瞳を閉じてもあなたがまぶたの裏におらずレミオロメンも形無し、地獄の鬼たちの顔もまばたきの瞬間に天国へと召されるのであった。


こういったイメージを脳内で視覚化できない人のことを「アファンタジア」というらしい。2015年にやっと目を向けられはじめたようで文献などを探してもほとんど情報が見つからない。

今までずっと文字を読んでも絵が浮かばないことを普通だと思って生きてきたので、多くの人がそうではないと知って衝撃を受けた。


アファンタジアは人の顔が覚えられない。面と向かって話しているその瞬間でさえ目を離すと顔も服装も消え去ってしまうから。

人間関係の構築において顔を覚えることは大きなポイントとなるのでずっと悩みだった。僕が他人に興味がなさすぎて覚えられないのかもと考えたりもした。それも少しはあると思うが根本の原因はここにあったみたいだ。


アファンタジアは道にも迷う。さっきまで歩いていた道を全く覚えていないから。

アーケードを思い浮かべてほしい。姫路ならみゆき通り、大阪なら心斎橋筋商店街、愛媛なら大街道だ。(アファンタジアで検索して来てくれた人にはもはやこの時点で挫折ものだろうけど。)

どこかのお店に入って出て着た瞬間に自分がどちらから来たのか景色で判断できなくなってしまうのである。「出たら左」みたいに情報を覚えておかないと通い慣れた場所でも毎回迷子になることができてしまう。


単純に僕の記憶能力が低いのかもしれないが、イメージができない=記憶をしづらいという法則はあるように思う。

進撃の巨人でパラディ島に閉じ込められた人たちは海を「商人が一生かけても取り尽くせないほどの巨大な塩の湖」と言っている。だけど海を見たことがないから「海ってなんだっけ?」と聞かれてもうまく答えられないかもしれない。しかし壁の外へ出て実際に見たエレンたちは海のことを忘れないだろう。

人間が物事を理解するには概念とイメージの2つが必要で、アファンタジアはその内のイメージがすっぽりと抜け落ちてしまう。記憶を定着させるためにはその分を何かで補わなければいけないのだ。

それが人によっては音、匂い、触感だったりする。僕のように完全に言葉のこともある。


知り合いは「海岸に白いワンピースの女の子が立っている」と読んだだけで太陽の眩しさや影が見え、女の子が麦わら帽をかぶっていて、スカートはこういうふうに揺れて、周りにこんな人たちがいて…と書かれていないところまで見えると言っていた。

僕の場合はこうだ。

海岸といえば、海、砂浜、ビーチボール。ビーチボールということは周りに人がいて騒ぐ声が聞こえるかな。白いワンピース、夏っぽい爽やかな服、麦わら帽にサンダル…と意味や関連性をつなげて連想していく。ちなみに今も書いていて何も絵は浮かんでいない。

ああ、そりゃ小説を読めなかったわけだと納得がいった。


小説だけじゃなく、歌を聴いても歌詞を読んでも何も浮かばなければ匂いも触感もない。

冬が寒くて本当によかったと思える君の手の温もりも思い出さないし、少し背の高いあなたの甘い匂いに誘われるシーンに舞い戻る事もできない。

意識しないと自分の作る曲に景色がほとんど出てこないことも、内面的な比喩表現ばかりになってしまうこともそれに起因していたのだ。

歌詞だけじゃなく音のイメージもない。「海だからこんな音がほしい」と感覚では浮かんでこない。曲のアレンジやミックスをする時に死ぬほど苦戦したのもアファンタジアの影響が大きいように思う。

しかし表現をする上でポップ、つまり普遍性を持っていたいと思えばやはり情景、五感の描写は必須になる。そことどう折り合いをつけていくのかが表現を生業としていくものとしての大きな課題になってくるだろう。

小説は読めないがエッセイは大好きだ。短い文章であればなんとかイメージを保ったまま、もしくは登場人物が少なくイメージしなくても概念だけでも最後まで楽しめるから。

アファンタジアだけでなく自分の性質に合ったエンタメや仕事や人間関係が必ず存在する。ディズニーのキャラクターデザインをしている方にも絵が浮かばない人がいるみたい。

自分の感覚で、感動できることで、進める道筋で歩んでいけばいい。過程は違ってもゴールで待ち合わせできればいい。

そのためにはできる限り知ることだ。アファンタジアについての研究がもっと進んで僕自身のことをより理解できる日を、同じようにイメージが苦手な仲間でワイワイと共感し合える日を楽しみにしている。

「できないからできること」はなんだろう?

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