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感動できる仕事

今日は久しぶりにライブハウスでPA(音響)と照明の仕事だった。

それぞれの事情で事務所を離れ一度ステージを降りた出演者が3人。また再開する人もいれば、今日だけのシークレットゲストという形での人もいた。

その中のシークレットの子を一番応援していたファンの方が来ていて、その子のステージで泣きそうな顔で笑っていて僕までグッときてしまった。

その場に感動があって、自分もその感動に携われることを仕事としてやっていたいなあと強く思った。


「これ別に僕じゃなくてもいいよな」「感動はその場にあるけどなんだか燃えない、やらされてる気持ちになるな」という仕事がたくさんある。

その仕事が成立しているということはどこかの誰かの役に立っていて、それをすることに情熱を持てる人もいるということ。でもそれが自分に当てはまるかは分からない。という意味で。

いろんな職種を経験してきたけれど今は音楽や文章の創作表現、またそれに関わること以外で感動しながらできた仕事はない。いや、時々、数時間という単位でならあったかもしれないのだけど創作活動のように「感動し続ける」ことはできなかった。


「僕だからいいこと」や「熱を持った感動」を持つには「やっていて楽しい」よりも「必要がそこにあるか」だと思う。

例えばPAの仕事。僕は機材をいじったり音量を整えたりすること自体にはあまり楽しさを感じない。だけど僕も歌う側だからか「共にステージを作る」という点において熱を持っている。

逆に言うと演者が適当なライブをしているとどうしてもテンションが下がりそうになる。そういう時はお客さんにできるだけいいものを届けたいという気持ちを一番前に持ってくるようにしている。「僕は作れるものを作った」と自分に言えない日は僕自身の気分が良くないからだ。

ペンライトが出てきたりすると僕も照明をその色に合わせたり、イメージカラーがわかっていたらソロになるところでそのカラーにするようにしている。一度それをみて「愛のある照明で感動しました」と言ってもらえたことが嬉しかった。一生懸命やってよかったなと思った。

「あの人の時歌いやすいな」「あの人の照明好きだな」って言ってもらえたらそれは僕の「必要」に変わる。ここにいたいなと思えるようになる。

そして今日みたいに誰かが必要とされている場に一緒にいること、できるなら関われる時もここにいてよかったと思える。

友達の誕生日や大事なライブとかも客席で見てたら泣いてしまいそうになる。というかほぼ泣いてるんだけど人がいると恥ずかしいので涙を我慢しているだけだったりする。

提供曲の発表ライブで大切な場面に歌ってくれて、お客さんもグッと来てたりすると作ってよかった!!!と思う。


お客さんに必要とされる。上司が信じてくれる。やっていてちゃんと成果が出る。そういうものが後天的に「やりたいこと」になっていくことが多いんじゃないかと僕は思っている。

この前コンビニでものすごい効率よくレジをさばくおばちゃんがいたけど、そこに笑顔はひとつもなかった。僕は速くてもその人のレジには次は並びたくないかもなと思った。

おばちゃんも僕が並んでほしいと思ってなかったし、僕もおばちゃんを必要としていない。あれは仕事じゃなくて作業だったなあ。

速いことはすごいことだけど、それよりも丁寧に袋に入れてくれるとか、笑っていらっしゃいませって言ってくれることとかそういうことの方が「必要」を育んでいくんだと感じた。

人と人が、僕とあなたが、お互いにありがとうと思いあえる仕事をしていきたい、選んでいきたい。もしかしたら今いる場所でもできるかもしれないし、頑張らなくても自然にそれが発生する場所があるかもしれない。

仕事の感動には必要がセットになっているんだなあ。
みなさんは仕事に感動していますか?


読んでくれてありがとうございます:-D

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