ドサクサ日記 6/13-19 2022

13日。
この年齢になると、経験のおかげで間違えることが少なくなる。破綻するような瞬間が減るのは良いことだけれど、楽曲制作における音楽的な成功は、間違いや誤解よるものも多いと感じる。情報化社会にあっては、成功のTIPSばかりが積み上げられてゆく。それを読み、僕たちは失敗を避けることが上手になってゆく。それは無難になってゆくということでもある。単に先例に倣っているだけという場合もある。ある種の「失敗」が先例の「成功」の項目を書き換える。そうやって表現はできることを増やしてきた。若く溌剌とした身体にエネルギーを封じ込めながらTIPSを読み漁り、手法だけを老け込ませてゆくことも可能な時代だ。体当たりでぶつかって砕け散り、冷や汗をかきながら手に入れた技術。それすらも手放す準備をしたい。老いてなお、知識を欲望しながら、まっさらな感覚を保つこと。

14日。
サッカー日本代表の試合を観る。一昔前は、組織立っていることが日本の強みだった。しかし、それが柵であるかのようにも言われていて、「指揮官の言うことを聞く従順さだけでは勝てない」という言葉も随分見聞きした気がする。サッカーは、大谷翔平が完封して全打席ホームランみたいなことが起こらないスポーツだと言っていいと思う。そういうところが、面白さであり、厳しさでもあると思った。

15日。
主体性を持って働くというのはなかなか難しい。会社のように組織があって、そのなかで能力を発揮するほうが心地良いひともいるし、あるいは自分が主導権を握ってやりたりようにやるのが好きな人もいる。互いに独立心を持った少人数のチームとなると、いずれは皆がそれぞれの道を歩むことを避けられない。ただ、忘れてはいけないのは、仕事はどうあれ、関係性のなかでしか成り立たないということだ。

16日。
税金、車検、ガソリン代。ほとんど自動車に乗らない俺であっても、グングンと財布のお金が車の維持費として飛んでゆく。そんなことを言うと、だったら音楽まわりはどうなのかということになるだろう。購入時の消費税や関税以外には税の徴収はないが、弦などの消耗品やスタジオの家賃、DTMまわりのソフトの更新費を考えると、これもまた他人から見れば金食い虫なのかもしれない。

17日。
名古屋。とてもいい夜だった。haccobaとコラボしたお酒が届いたので、名古屋へ持って出かけ、飲食店で特別な許可をいただいてみんなと少しずつ飲んだ。とても美味しかった。お酒も食事も、それぞれに感じている味覚を共有することは一生できないが、この楽しい時間は、なんとなくシェアすることができる。それぞれの楽しさを別々のまま繋いでいるのが、お酒や食事だと思う。

お酒の写真撮ってるのに、潔めっちゃ見てくるやん。ピントずれとるやん。

18日。
仲真史さんのブログを読んでいろいろ考える。俺は昔、書籍の再販制度の端っこで会社員として働いていた。書店と文具店では商売の習慣や考え方が違い、どちらかというと書店の掛け率の側にいた俺は文具店への新規営業が辛かった。書店営業では買取でお願いすることの難しさも感じた。音楽の制度は謎なところが多い。ミュージシャンの取り分はせいぜい3~5%と言ったところだ。しかも、定価から10%分は返品やらジャケット代と称して差し引かれ、そこから印税の計算が始まっている。インディレーベルを主宰してみると、原盤を作って採算を取る難しさを実感した。音楽は制作費が高い。しかし、音楽に関わる人たちが皆、金銭的な豊かさを分け合えたほうがいいのは当然だろう。レコードとお金の話でいえば、音源が一枚売れたときの印税よりも、リスナーから直接100円もらったほうが収入がはっきりと多い。けれども、レコードを買って聞いてもらったほうが、100円を恵んでもらうよりも遥かに嬉しい。俺のやっていることはそういうことだと思う。ただ、そうした活動のなかで、どこかに皺寄せが行かない方法を考え続けたい。仲さんがブログに綴られている定価と(お店とお客さんがつくる)コミュニティの話は、問題の本質に迫っていると思う。この話は引き続き、じっくりと考えたい。

19日。
本屋にまつわる本を読んで、朝日新聞の原稿を書く。『本屋という仕事』とミシマ社の『ちゃぶ台(特集:書店、再び共有地)』。書棚づくりだけではなく、コミュニティの話でもある。商売の場所が、目的もなく立ち寄れる開かれた場所になり、地域文化の拠点になる。無縁の緩衝地であることは中世の市場が担っていた役割でもある。共同体(共有)と自治。そんなことを引き続きぼんやりと考えながら。