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ドサクサ日記 2/14~20 2022

14日。
スーパーボールのハーフタイムショーを観た。L.A.のコンプトンから連なる現在進行形の音楽史がショウビズのど真ん中で鳴らされることに、多くの人が感動していた。音楽的にも興奮するところがあったと思うけれど(ハーフタイムショーがゆえの音楽的な物足りなさも個人的にはあった)、L.A.の街の空撮の上からケンドリック・ラマーが現れた瞬間に震えた。エミネムが跪き、終盤に登場したアフロアメリカンのダンサーたちは囚人服だった。もちろん、これは世界史とも連なっている。Netflixで見漁った様々な伝記やドキュメント、BLMやアメリカの歴史にまつわる書籍、どれもが数珠繋ぎになる。10代や20代だった頃の自分は、そんな複雑な歴史を意識しながら、アメリカの音楽を聴いていなかった。今はどうだろう。日本の端にいる俺ですら感情移入する。それが文明の前進であることを願う。

15日。
1stアルバムをリリースした頃、「あんなのロックじゃない」と言われた。2ndアルバムがヒットした後もそうだった。大きなフェスの公式掲示板に「あんなバンドを呼ぶな」と書かれたこともある。居酒屋で友人たちが「ロックかロックじゃないか」論争をしていた学生時代から、ロックかどうかなんてクソどうでもいいことだと思っている。ただ俺は、ジャンルはどうあれ、自分が美しいとか凛々しいとか素晴らしいとか、そうした賛辞を送らずにはいられない表現や表現者たちと、どこかでつながっていたいと思う。それは、小説家、詩人、ラッパー、DJ、音楽家、俳優、映画監督、ダンサー、芸術家、様々な技術者やオペレーター、etc.。胸を張って、その傍に立ちたい。いや、すべての川下で、流れの一部となり、その流れの先の、まだ生まれていない表現や行為と連なりたい。それがロックでなくても。

16日。
音楽を制作していると、時折、思ってもいない方法で思ってもいない音に出会うことがある。押したことのないプラグインのスイッチや、音源ソフトのよく分からない機能、マイクの立て間違えや楽器のミスタッチ。ポップミュージックの現場ならば失敗だと片付けられてしまう音たち。何もわかりやすく音楽であることだけが、音楽の魅力ではない。すべてを解体して、その耳触りが楽しい。

17日。
常磐線の特急に乗っていわきへ。何年ぶりだろう。本当は、古川日出男さんの『ゼロエフ』に参加する予定だった。しかし、思わぬコロナ禍の影響により参加できなかった。いわきから車で双葉郡へ。富岡、大熊、双葉を巡る。何度もその前で途方に暮れたバリケードが撤去されて、町は少しずつ復興に向けて進んでいる。駅舎は立派になり、商店街や住宅街は更地が増えた。冬の海風で耳が痛くなった。

18日。
南相馬の小高へ。初めて小高に来たときは、警戒区域内ということもあって人の影が見当たらなかった。壊れたままの商店や住宅もあった思う。2016年に一部の地域を除いて避難指示が解除された。ここでも町には更地が増えていた。でも、確かに、小高には人々の生活の灯が戻っていた。温かく力強い人たちにも会えた。双葉郡の人気のない夕闇を思った。また、夜でも眩しい「東京」のことも思った。

19日。
東日本大震災・原子力災害伝承館へ。税金を何に使うのかというのは大変に難しい問いだと思う。大震災の後、被災地を巡った。被災体験を伝承することは、未来の世代の被害を減らすことにつながるのだと知った。住民が入れ替わることで薄れる記憶。石碑は苔生していた。もっとも強いのはコミュニティだと思った。記憶の容れ物としての人。紙でも石でも、それを保つのは人の連なりなのだと思う。

20日。
浜通りの取材の余韻に浸る。一言では言えない。ポジティブな風景もネガティブな風景も目にした。でも、出会った人から感じた振動は、どれも温かいものだった。もっともそれも、俺の人生から見たひとつの角度でしかなくて、何かの全体であるかのように話すことはできない。無数の人生がどの町にもあって、複雑に絡み合っている。そのいくつかと自分の人生が交わっていることを、ありがたく思う。