ドサクサ日記 9/4-10 2023
4日。
熊本から戻って、自宅でひたすら作業。ツアーの準備、ミックスの準備、やらなければならないことは山ほどある。そんななか朝日新聞で連載している「朝からロック」が書籍化されるということで、そのゲラをひたすら読む。もう3回目の校正だ。自分の書いた文章をひたすら読むのは、過去の自分の至らなさがわかってなかなか恥ずかしい気持ちになる。本当に自分が書いたのかも不思議になるほど。
5日。
ほとんど1年がかりのレコーディングが終了。10代で横浜のライブハウスシーンに颯爽と登場し、GREEN DAYのビリー・ジョーとアルバムを作ったことがあるLINKも、俺と同じ40代だ。バンドが壊れてしまった時期もあったが、復活して、人生としてのパンクロックを奏でている。中年になってバンドをやり直す人が増えている印象だけど、運動能力は不思議なもので、スポーツのような瞬発的な記録とは別の方向に発達していくところがある。楽器の演奏は生き方や考え方とリンクしているので、ただ身体が動くだけでは味わいみたいなものは出ない。また、その味わいを感じられる能力は身体性と関係のないところもあるので、楽器の演奏が下手でも、とにかく美醜については誰よりも感度の高い人もある。ゆえに、踊ったり笑ったり暴れたりするだけのメンバーがいてもいいのがロックバンドのいいところ。
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6日。
朝日新聞の俺の連載は無料会員になれば読める、はず。今週は『ハンチバック』を巡るバリアフリーについての文章を寄稿した。まちなかをスケートボードで走るとき、ほとんど初心者の俺はスロープの傾斜に恐怖する。これ親切だよねと歩行者のときには思っても、スケートボードで滑ると驚くほど加速して怖い。登るのはもっと辛い。体験してはじめて、こうしたスロープも親切かもしれないが配慮が足りないというか、想像力がいくらか足りていないということに気づいた自分が情けない。ないよりはマシだが、車椅子で昇り降りする人のことを十分に想像して設計されていないんだと思う。ここではスペースを考えるとそれしかできない、みたいな反語のその先の話を書いている。街や社会が、健常者というか、平均的なマジョリティならまだしも、無意識の強者たちのためにデザインされている。そういうことに向き合うのはとても大切なことだと思う。それは「私たち」のためでもある。
7日。
静岡。藤枝。石の蔵はきれいさっぱり解体されていた。伊豆石だけでも引き取らせてもらえればよかったなと少し後悔しているが、没交渉だったろうという思いもある。幸いなことに、新しい物件が見つかりそうなので、オーナーの方といろいろな話をしている。スタジオの規模は少し小さくなるけれど、自分が音楽から預かったものを、音楽にお返しする機会になればと思う。いろいろ思案、計画中。また。
8日。
リハビリ。筋肉の断裂だという認識でいたのだけれど、リハビリのシートには腱板断裂と書かれていた。うーむ、という気持ちが込み上げる。医療の現場はAIで劇的に変わるという話を聞いた。すべての症状について、AIがかなりの精度で病名や治療法まで選定できるようになるという。そうなると、外科手術の技術以外に医者に必要なことはコミュケーション能力だろう。説明はとっても大事だと思う。
9日。
the chef cook meの鹿児島公演に出演。シモリョーのみならず、ニーチェやジマとの久々の演奏はとても楽しかった。オリジナルメンバーというのは、やっぱりエモい。演奏の技術で言えば、上手なミュージシャンを集めたほうが高いに決まっているのだけれど、なんとも言えない味わいがバンドにはある。音楽は音と音の関係性をどう考えるのかということだが、そこには人間の関係も含まれている。メンバー間の雰囲気だとか、コミュニケーションの状態だとか、そういうものも音に含まれているのだ。それらは耳だけで感じているのではなく、皮膚や、視覚でも感じている。見るからに雰囲気が良いだとか、良い感じのバイブスだとかは、管轄外の器官や全身でも感じていることなのだと思う。もうすぐ彼らのバンドとしての旅が終わる。愛おしい瞬間を共にできて光栄だった。楽しくテキーラを飲んで爆睡した。
10日。
ミックスの仕込み作業だとに没頭しつつ、買い物など。飲食店で食べる素麺の背徳感。スーパーで買って自分で茹でて食べたときの価格を考えると、とんでもない付加価値がついている。鬼高い。それは料理人の技術への対価と、サービス料ということになる。しかし、このあたりをケチって削りまくると、調理場の大将や接客をしてくれている女性の頬の肉、ひいては社会の余裕も削られていくのだろう。