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ドサクサ日記 7/4-10 2022

4日。
「ヤマトさん、もうひとつ持っていって」。散歩中、民家のドアから顔を出したお母さんに、いきなり声を掛けられたことがある。昨日は、診察に訪れたクリニックで別の会社の配達員に間違われた。カジュアルな格好で配達している方もいるので、なんとなく理解できる。しかし、クロネコヤマトの配達員はきっちり制服を着ているように思う。緑のパンツもシャツも、俺は着ていなかったはず。

5日。
年々代謝が鈍っていると感じるので、1日の摂取カロリーや消費カロリーを記録することにした。ゼロ年代の終わりにNYへレコーディングに出かけた際は、1週間で5kgも太ってしまった。ピザの過食とコーラの飲み過ぎが原因だと思う。その際に役立ったのがこの記録で、メモを継続するだけで元の体重に戻った。何も考えずに食べている食品のカロリーが、自分の考えていた数値とは違ったりして面白い。

6日。
中村哲医師の活動を記録したドキュメンタリー映画を視聴させてもらった。本で読んだだけで感銘を受け、人生が変わったと言っても過言ではない中村医師の活動を動画で見られる喜び。水路が開かれ、荒野がゆっくりと緑地に代わっていく様には感動する。何より、武器ではなくツルハシやスコップを手にした人たちが、鮮やかにその生き方や暮らしぶりを変えていく様の美しさ。強さとは何か、考えたい。

7日。
『音楽業界4団体による今井絵理子氏と生稲晃子氏の支持表明への抗議』の賛同人を集める過程で、成りすましが散見されたという報告を受けた。本来ならば、こうした活動にを妨害する人間にこそ非があると思うが、名簿の作成の体制に準備不足があったことも事実だと思う。協力した皆さんには、その点についてお詫びしたい。賛同してくださった人には心からの感謝の念をここに記したい。

記者会見にあたって(記者会見というかたちは実現しなかったが)、Save Our Spaceの皆に渡したコメントもここに記す。対象が自民党でなくても、4団体が音楽への支援を求めて、特定の政党を選挙応援することは間違っていると俺は思う。「一丸となって」という文言もよくなかった。選挙協力の外側で、各団体が様々な政党に助成を呼びかけることは、もちろん問題ないと考える。私たちはそうした活動の恩恵を受けているのは事実で、彼らのロビー活動にはとても感謝している。しかし、陳情選挙応援の違いは本当に大きい。5兆円の防衛費について反対した市民も、国民として保護されるのと同じように、選挙応援の有無に関わらず、文化全般への助成はなされるべきだし、その妥当性についても議論されるべきだと思う。今回のような動きが、専制への入り口にならないことを強く求めたい。

新型コロナウイルスの流行によって、多くの音楽関係者が苦境に立たされています。そうした状況にあって、私たちに代わってロビー活動をしてくださる4団体の皆さんには感謝しています。しかし、今回の件については、政権与党を選挙応援しなければ助成を受けられない社会の恐ろしさを思います。それは支配的な立場である者が独断ですべてを行う専制政治への入り口ではないでしょうか。

コンサートに集う人たちは様々です。主義や思想どころか、何から何まで違う私たちが、たった一瞬でも何かを分かち合う瞬間が持てるのだということ。分断だけが可視化し続ける社会にあって、音楽はその可能性を見せてくれます。

それぞれに違う私たちの選択が、それぞれに尊重される社会を望みます。 そして当然のことですが、選挙における私たちの選択は組織のものではなく、私たちそれぞれの権利です。

後藤正文

8日。
最悪のニュースを知ってから、動揺でしばらくのあいだ何もできなくなってしまった。多くの人の言論を萎縮させる暴力を強く非難する。便乗するかのように他者に圧をかけるような振る舞いも同じく。俺自身の胸に手を当てれば、過去に吐いた言葉の呪力で自分の心が焼かれるのは仕方がないことだと思う。表現の自由は、自由に評価されることを含んでいる。この日は、多くの仲間たちと接する現場があって本当に助かった。お互いに混乱を抱えたまま、背中に手を当て合う以外に術はなかったが、それがどれだけ人間を癒すのかを思い知った。ステージではCharaさんが誘ってくれて「やさしい気持ち」を一緒に歌った。それでいくらか気が紛れた。反動的な憎悪については恐怖を感じている。先を競うかのように、金儲けの種と私怨の発散に使う人がいることにも驚いた。容疑者の素性や背景が明らかになるにつれて、その矛先が無用な方向に煽られることも危惧している。賛同であれ批判であれ、政治や社会について語ることは、これからも必要だと思う。特に政治については、政治家本人もまた複雑で多面的なひとりの人間であることとは別に、その政策や成果について忖度なく語られることが彼らの責務だと思う。週末にはどんな足取りでも投票所へ行き、家族や友人と社会や未来について話し合いたい。

9日。
高崎でコンサート。自分自身の抱える混沌とは別に、ステージでは会場の空気をより豊かで温かいものにすべく、全霊を尽くすことができたと思う。音楽は社会の片隅で鳴るわけだから、社会と切って離せない。それでも、ある種のサンクチュアリのような機能がコンサートの現場にはある。誰に笑われようとも、複雑さの前に立ち、それらが少しでもリンクするような音楽と言葉を探したい。強く思った。

10日。
昼過ぎにゆっくりと投票所へ行った。太陽がギラギラとしていて、とても暑かった。泥濘に精神をたっぷりと浸して、こんがらがった自分自身の魂を解いていく。これから先10年、いや、15年の生き方を見直さなければならない。日々の生活や活動のなかでの、少しのフォームの修正ではない。ガバガバなアウトプットの口をいくらか結んで、自分がこれから綴るべき言葉を適切に選びたいと思う。