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日記 11/29~12/5

29日。
どこも人で溢れている。なんだか懐かしい。しかし、どの風景も当たり前に見えて当たり前ではない。いつまた、こうした風景が失われるとも限らない。変異株ウイルスの感染力や、重症化する確率はどうなんだろうか。事実に基づいた報道を望む。最近、「知識とは過程である」という言葉を読んだ。例えば、100年前と今では科学的な常識が違う。人類的なアップデートを願っている。

30日。
久々に運動をして極端にお腹が空き、珍しく中華料理屋でスープ代わりに半ラーメン的なものを注文したところ、自分にとっては全ラーメンと呼ぶべきサイズのラーメンが出てきた。続いて、体育会系の運動部の合宿で提供されそうなサイズの爆飯と呼ぶべき炒飯が目の前にドカリと置かれた。これらの料理の定量がどうやって決まったのか、その過程を想像するのは難しい。サービス精神は少食派に厳しい。

1日。
将来にスタジオを所有するならば、モバイルスタジオがいいのかもしれないと思った。トレーラーハウスやキャンピングカーを改造して、移動できるスタジオにしたい。山奥でも、温泉街でも、キャンプ場でも、停められる場所さえあればどこでも行ける。騒音の苦情が出ない僻地へ行ってもいい。実際にストーンズとかも移動式のスタジオで録音していたはず。土地に縛られない身軽さに憧れる。

2日。
誕生日。子供のころはちっとも時間が進まなかった。何日たっても子供のままで、それは永遠のように感じられて、ジリジリと胸の奥だけが焦げた。そのうちに自分が何者でもないまま社会に放り出されることに気がついて、それはそれでまた、ジリジリと指先まで焦げて疼いた。何回転もして、もはや終わりまでの時間を数えたほうが早い。それでもなお、最後の一瞬まで生きたい。本当にそう思う。

3日。
月の頭の金曜日なので、Bandcampで何組かの音楽を買った。配信サービスのお陰で、音楽がタダ同然になって久しい。けれども、ささやかながらでも支援をしたいという気持ちがある。素敵な音楽を聞かせてくれてありがとうという感謝の気持ちもある。愛情と金銭の多寡には何の関係もないが、お金がないと機材が買えない。そういた事実がミュージシャンを苦しめ続けないことを願う。

4日。
夕方に無茶苦茶に腹が減り、何食べたろかしらと勇んでスーパーに出かけて、刺身用のカンパチの柵を買って帰ってきた。食洗機の食器とかを片付けながら蒸した芋やクッキーを摘んだところ、ほんの少しだけだったのだけど、人体の不思議、空腹感が消えて、目の前の刺身がまったく美味しそうに見えなくなってしまった。仕方がないので刺身は明日食べることにして、なんでもない饂飩を食べた。無念。

5日。
新しい配信サービスはもういいやと思っていたけれど、ビートルズの『Get Back』観たさにDisney+に入会。さっそく観た。ビートルズがウダウダしている。メンバーがノってくる前の空気が重たい。自分のバンドの同じ時間を連想して重油のような気持ちになる。これを2時間も観れるのか...と思っていたけれど、通して観てしまった。一切の映像が、自分が生まれる前の出来事だという事実。