見出し画像

イヤな日をノりこなすには。盲目の世界を覗いて。

イヤな日というのは結構多い。

筋肉痛が残って体じゅう痛いとか、雨が降ってて気分がどんよりするだとか。生きていく上で、人はそのようなイヤな日がきても生活していかなければならない。

そんなイヤな日にどう向き合うのか。目が見えない人の世界を参考に、考えてみる。

__

結論からいうと、イヤな日を変えてくれるのは視点の移動である。

盲目の人からすると世界は見える人をベースにできてしまっているので、不便だと感じる瞬間は晴眼者に比べて多いだろう。

では、彼らはどのようにしてそれらの不便を乗り越えているのだろうか。

例えば、ふりかけを選ぶ時。

しゃけ味がどれで、おかかがどれで、のりたまがどれかなんてわからない。袋に見分けがつくように細工が施してあれば区別することができるが、どの味も同じ形の袋に入っている。

さてこのもどかしさの解決策の一つとして、目の不自由な人も使えるようなデザインを袋に施すというのが挙げられる。確かにこのような運動を起こすことによって、より快適な生活を手に入れることはできる。しかし、それを実現するにはあまりに時間がかかりすぎる。

じゃあふりかけを買わないようにすればいいともなるが、それは根本的に何も解決していない。問題の先延ばしにしかならない。

__

ぼくが勧めるのは、出来事の捉え方を変えることである。本題のテーマだ。

例えば、このふりかけの不便さをガチャガチャと捉えたらどうだろうか。どの味が出てくるかは毎回のお楽しみ、と考えてみる。

「ふりかけを選ぶ」という行為の内容は変わっていないが、ユーモアによってそれは「不便なイベント」から「運試しガチャ」へと昇華したのである。

__

どの角度から出来事を見るかによってそれは万華鏡のように景色を変える。

ダルい日にどのような意味を付与するかは、どの視点からそれを眺めるかに大きく依存するのだ。

__

この視点の移動というのは受け流す行為である。

攻撃を正面から受けてしまうと受けるダメージも大きい。体をそらすなり、後ろに跳ぶなりして、できるだけ少ないダメージで済むように工夫しなければいけないのだ。

それは波にノるサーファーに似てる。本来であれば人を飲み込んでしまう波を、サーファーは利用してしまう。自分でコントロールできないイベントをうまく利用する。そこでは、受動が能動に変身する。


不便に感じることもユーモアをきかせて利用してしまう、受け流してしまう。そんなちょっと超越的な視点で俯瞰することが、ラクに生きるコツなのかもしれない。


_____________________________________

読んでいただきありがとうございました。

合わせて読んでほしい記事↓↓↓


読んでいただきありがとうございました。