見出し画像

47歳で1000mTT3分24秒の感想

*記事は無料で最後まで読めます

今回は47歳で1000mタイムトライアルに挑戦し 3分24秒であった 件についての 感想を報告したいと思います

タイムトライアルに至る経緯(40歳あたりから)


まず背景としまして 練習をずっと継続していたわけではありません

41歳の時に心臓の手術を行ない約半年間完全に練習を停止しています
その後心臓の様子を見つつ少しづつ走り始め 5000mも ギリギリ16分台に入るくらいの実力に 戻ってきました

しかし、その後祖母の 認知症がひどくなっていき、介護にあたることになり またこの時に完全に練習を停止しています
(このときは完全に陸上競技にかかわるのをやめる決断をしまして、過去の練習日誌や書籍を後輩に譲り渡しました)

この祖母の介護は非常に過酷なもので、昼は会社勤めをしつつ
夜は日に日に認知症がひどくなっていく祖母の介護をするというものでした

目の前で自分にとって大事な人間が壊れていく
その様子を毎日じわじわと見せつけられるにつれ睡眠もろくにとれない中で何とも言えない負の感情や疲労感 徒労感に襲われます
その結果、私自身も介護うつを患い  心も体も 壊れ果て何のエネルギーもないような枯れ木のような状態に陥りました

結果的には偶然にも介護施設に空きができ祖母はそちらへ預け入れることが できまして、 ボロボロの状態になりながら介護に携わる日々は終わります

そして私は少し休んで心身を回復させればよいのに、また走りはじめたのです
半年ほどして20キロの 起伏ジョグが できるところまでたどり着いたのですが 体はもはや限界だったのでしょうね

すべての身体の状態がおかしくなりました

ジョグをしようとしても 走り始めて1分くらいで ふくらはぎがつる、流しを しようとすると3歩で ふくらはぎがつる、 そういった状態になりました

心臓も完治しているわけではなく 睡眠不足状態で 疲労がたまると あからさまに脈が乱れるという 状況です
これが2020年の 10月くらいの話です

深海に沈み果てようが海面を見上げる


もう自分には何のエネルギーも残っていないんだなと、
何一つ可能性はないんだろうなと すごく落ち込んだんですけれども
それでも心の奥底にある「何か」は、また走る方向へ私を突き動かそうとするのでした

しずかにボロボロに朽ち果てながらも
私は過去の自分の努力を振り返り
「いかに自分の走りへの取り組みの努力が
自分の体に対して乱暴であり
自己中心的な自己満足であり
ただただ(考えた練習をして)記録が出ればそれで良い
そんな”雑なもの”であったこと

レベルの低い子供の考え程度の努力であったこと」

このことを深く考えさせられました
40代の 半ばになってようやくです

そういったこともあり体調を整える努力を重ね研究し
2022年の 9月から またというか、、
なんというか 練習を再開するのです

「自己満足の 効率重視の記録を狙った 厳しい練習」
をするより
「いかに自分の体を大切にして 体に記録を 出してもらうか?」

そこを踏まえて新しい練習理論の 開発をしよう
それをごせんシステムと名付けよう

また再び
向かう方向性は変わるのですが、何かを目指した旅が始まるわけです

2022年9月1日 練習再開


詳しい内容は書きませんが 、本当に体の様子を見ながら
・無理をせず
・楽しい感覚
・新鮮な感覚
これらを 大切にしながら 少しずつ練習をすすめました

ジョグの量もその日の体の状態に従い 2キロの日もあれば 最長で平地で15キロです
流し(というよりスタート練習みたいなもの)も 力を出してゆく「全力」ではなく、いかに少ない 力で速く動いていくかを追求する「最速」を求めるものを少しずつ実施しました

最初は1分 走るだけでも体が重くこの世の地獄みたいな感じでした
全力で1キロ走るどころかジョギングで1キロ走ることもできない
40代のブランクとはここまで恐ろしいものなのか、、、

散歩や、3分 ゆっくり走って 3分歩く そのような練習から取り組みはじめました

そのころの練習の感想としてはやはり体が重たく、以前のように颯爽とジョギングができるようになる予感すらない
1日練習をやって1日休んでもまったく成長している気配がない
そのような感じです

ただそれでも無理せずじわじわとやっていくことで3週間目には キロ7分くらいのゆっくりですが「疲れることなく」平地で6キロを走ることができるようになりました

ただこの「疲れることなく」というのは不思議な感じで走ってるときは 確かに疲れを感じていないんですが、 翌日に疲れが出たりするという 奇妙な感覚に遭遇することになります

若いころというのは 走ってる時にきつければ当然 疲労が発生して その練習をした日の夜や 次の日がきつくて、
走っている時に きつくなければ その後も疲労は発生していない感じだったのですが

40代後半になると走っていてきつくなくても 次の日などその後に疲労が出てくる という奇妙な感覚が現れます
歳をとると筋肉痛が遅れてやってくるのと同じように疲れも遅れてやってくる(みたい)なので油断はできないものです

少しづつ練習を継続



9月の月間走行距離は 42キロ
その後 10月11月は 70~80キロ
12月は推定ですが 80キロ ほどになります

そういった感じで 12月の初めには 平地で15キロのジョグ ができるようになりました
3か月前の9月1日に走った時に感じた「動かない絶望感」からしたら嘘のような感じです

もちろんできるようになりましたと言いましても、 次の日は散歩という練習にしていますので
普通の競技者ふうに表現すると私にとっての15キロのジョグは高負荷練習(ポイント練習)になります

若い人には信じられないかもしれませんが
40代後半のブランク明けの15キロジョグは練習再開 3ヶ月後でも高負荷練習(ポイント練習)のレベルになるというのは かなり恐ろしい話です

なので出来る限り 40代で走っている方は 故障などで中断することなく 練習を継続していた方が 良いですね

9月から 再開した練習の中で ジョギング以外の練習は


・3000mTTを2回 12‘26(10/25) 11’46(11/29)
・200x5(34“) r=walk (12/6)
このようなものです
流しは重心移動の最速を求めたものを3~15本程を、ほぼ毎日行っています、 ただこれは一般的な流しではなく 動作の確認作業のようなものと 考えてください

いよいよ1000mトライアルスタート

 

そしていよいよなんだかんだで1000mタイムトライアルの日です

私個人の 予想として日々のジョギングや流しの感触から 3分10~15秒 くらいで行けるのではないかと 感じておりました
(ただその感触は若いころの感触で考えていたのであり、現実は甘くありませんでした)

練習のときはほとんどの場合 ペース確認のため時計を見ながら走るのですが 今回は600mで 一度だけ時計を見ようと決めて
佐世保高専の400m砂トラックでスタートを切りました
シューズは10年前のアシックスのソーティージャパンです

流しをきちんとしていただけあって 動きはいいです
走り出して「なんだこの動かない感じは!!これがトシってやつか!?」という事態になるかもしれないと心配していましたが、動きは良い!!

ほっとくと行き過ぎる感じがあるので 時々意識的にピッチを落とします
200を通過、400を 通過してもピッチは落ちません
ピッチは落ちませんけどやはり心肺機能がきつくなってきました
酸素が行きわたらない!
そして時折 乳酸が溜まってくるので意識的に ペースを抑えたりもしないといけなくなってきました
600の通貨が2分06秒! 自分の中の予想では1分55秒ぐらいだと思っていたので この数字を見た時はかなり衝撃を受けました
結構 体力もギリギリなんですけど、このタイムはまずい、、、
「あと2段階は踏み込めるかな」
と思って速度を上げます

速度の変化はできるんですけれどもジョギングしかしてないので
心肺機能が働かない維持できない、
LTペース走も出来ていないので乳酸もうまく回せない
ゴールまでたどり着けるギリギリの 速度を計算しながら体と相談してペース配分し ゴールまで行きました

47歳1000mトライアルの感想


結果は書きましたように3分24秒、ラスト1周は400m78秒 で回っていますので600mまでに比べるとラスト400mのペースは少々上がっています

600mまでの100m平均は21秒
600m~1000mの100m平均は19秒5

オーバーペースにもならず、不完全燃焼にもならず
全力0.25歩手前くらいの追い込み度合いで無事ゴールしました

感想を箇条書きでまとめていきますと
・ 今の体力レベルでの1000mを走りきれる最低限の能力はある
・ 心肺機能、 筋力は恐ろしいほどに衰えている
・ 走りながら自分を観察しペースを配分する能力は衰えていない
・ 今のレベルで乳酸を出して走ることはできる、しかし乳酸の再エネルギー化はできない
・ 今のレベルで 細かいペースの アップダウンはできる、 なのでATP-CP系の 能力(7秒間ほど発揮できるエネルギーの形態?/主に短距離の能力)は 最低限ある
・ スピードを出せるランニングフォームはとれたと思うが、 筋力・ 持久力共に衰えすぎていて生かすことができない
このような感じになります

良かった点はというと
・ 自分の身体を感知する能力は高いので現状の力でのオーバーペースや 不完全燃焼にならずに走り切ることができた
・ ランニングフォームには特に問題を感じない、 動きが小さくなっているように感じる事は無かった(←このことは日々努力して取り組んでいた)
・ 速度を上げようと思えば あくまでも感覚的ではあるが 何段もあげれる感覚だけはあった(事実上 筋力と持久力がないので無理だが)
・ 現状で乳酸を出す筋力の発揮ができたこと

悪かった点は
・ 筋力も持久力も 完全に衰えている感じがする
・筋力はもう少し発揮できたと思うが、そこまでやると 痛めた可能性が非常に高い
・持久力においてはこれ以上発揮できなかった
・今後、鍛えたところで 筋力や持久力が戻るのか?が 今のところ 疑問符に感じる
なによりも
走る前の予想に比べてタイムが良くなさすぎる→若いころの感覚で予想予測してはいけないことを実感
このような感じになります

すごく大きな感想としましては ありきたりなんですけれども 身体の衰えを感じるという点です(ありきたりすぎて本当に申し訳ない)

わかりやすく説明すると 一ヶ月ぐらい入院して 寝たきりになって 久しぶりに走ってみた 時のような感じですね
体が一回り二回り細くなって 筋肉が体を支えきれない感じ、まさにガラスの脚!
心臓や肺の力が すごくか細くなっている
骨すら細くなってるような気がする
このような感じです

普段のジョグのときも衰えを感じてはいましたが
1000mトライアルではそれ以上に感じました

ですので繰り返しになりますが 40代で 練習を継続されている方は 故障などで 練習が途切れないように注意して欲しいなあと思います
これは30代の方にも少しは当てはまるかもしれませんね

もうひとつの感想としましては、 走りながら自分自身を観察する能力があってこそ今回は1000mという距離を走りきれたと思います
これは良かった点です

もし私に 走りながら自分自身を観察する能力がなければ
動き自体は良かったのでオーバーペースでつぶれていたことだと思います
また前半から 飛ばしすぎて筋肉を痛めていたかもしれません

このように、この冷静に自分を観察する能力は すべての世代・ すべてのレベルの競技者にとって必要なことだと思います

最後にまとめです


正直な私の感情としましては ジョギングや流しの 感覚から 予想した タイムより はるかに悪かったので すごく言葉悪いですけどがっかりです
「くそー!悔しい!!もうダメなのかー!!!」
そして これから どこまで戻せるのか? どこまで向上できるか?
ここについても あまり希望はありません
けっこう絶望的な感じです

ただ希望はないんですけれども、それと同時に
・こんなことを試してみたい
・あんなことを試してみたい
そういったアイディアは たくさんあります
まだ試していないことが私にはたくさんあります

絶望的であるからこそ、試してみたいことがあるわけです

かなり状態が悪いところから よくここまで走れるようになったなと思います
本当に体に感謝しないといけません
身体を労わらないといけません

・これからはいかに 身体の声を聞けるか?
・身体を健康な物にできるか?
・自分の心を穏やかに保つことができるか?
そういった日々の取り組みになっていくことでしょう

日々の取り組みの中で、身体に目を向け、さまざまな発見に出会い
さまざまなことに気づいてゆく
それを この文章を読んでくださっている 皆さまへ向けて発信して行きたいと思います

あと3年後、、50代になった時 皆さまと共に本当の意味で強い ランナーでありたい
どうにかしてプロランナーになりたい
それが私の願いです

最後の最後に


20代30代の若い選手がこの記事を見ていてくれたらこれだけは伝えたい「絶対に自分に過剰な負荷をかけてはいけない
これは練習面だけではなく仕事面、生活面、すべてです
人生において自分に与えた過剰な負荷はやがて帰ってきて自分を苦しめる

可能性は無限にある、しかし人の心と身体には限界がある
自分を大切にしてほしい」

今後は、自分の過去の反省の上に立ち中長距離走、陸上競技の理論の研鑽を深めていきたいと思います

すべての年代の選手・エリート/非エリート 関係なく、個人の能力を才能の頂点まで発揮できるための理論を追求し情報を発信していきたいと思います

お付き合いいただきありがとうございました

*この記事の内容や管理人ごせんの考えに共感できる!今後も頑張れ!と応援したいと思われる方は記事を購入していただくと嬉しく思います

購入していただいた後には私からの感謝メッセージが表示されるのみで、記事本文はここまでです

ここから先は

59字

¥ 500

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?