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ひかりみちるしじま(1)


 あの時代のこと、喪った時間は、陽光にさらされた雪像のように細部が曖昧になり、やがて溶けるように忘れていく。毎日毎日、雪溶け水が流れていくように思い出はどこかへ流れていく。でも、人間は思い出をなくしたら生きていけない。だから、消えていく記憶を無意識のうちに想像で補って新しい思い出が作られていく。どこまでが心と頭と身体のどこかに蓄えられた真正の思い出で、どこからが後から作り上げた第二の思い出なのか、区別できない。


 区別できないまま思い出には魔力が宿る。思い出すたびに、生々しく蘇ってくるものがある。望郷の念に似た限りなく切ない懐かしさ、追い詰められた末の苦笑い、特別な出会いがもたらす発作的な歓喜、激しい悔恨の思い、物語の結末を書き換えたいような哀惜。
そんな思い出を書いておこうと思う。

 十八才で志望大学に現役合格し、広島県の瀬戸内海に面した地方都市から大阪の大学に入学することになった。大阪には私が中学一年まで住んでいた。だから、古い知り合いの家が何軒かあった。そのうちの一軒の家の次男が同じ大学に合格していた。その子の家が二階の二部屋と離れの一部屋を学生向けの下宿として貸しており、生まれて初めて一人暮らしする私は一ヶ月お試しで二階に下宿することになった。

 その家には。二人の息子がおり、次男は私の小学校の頃の遊び友達だった。長男は二才年上の兄ちゃんで小さい頃は近隣の子供達を仕切っていて、私も時々泣かされたことがあった。高校を卒業してから給油所で働いていた。車大好きの兄ちゃんで、色々の車に触れられるので仕事は大好きということだった。
 ある日、兄ちゃんは珍しく早く帰って来て、二階の私の部屋で将棋を指していた私と弟に話しかけて来た。

「好きな子できたか?」
「サッカーはやらへんよ」弟が、「子」を「事」と聞き違えて答えた。兄は高校時代サッカー部の名ゴールキーパーで鳴らしたのだ。
「なにゆうてんねん。好きな女の子ができたか聞いてるんやんけ」
「そんなんまだ早い」


「お前はどうやねん?」ニヤリと笑いながら兄ちゃんは私に言った。
「クラスの2割しか女子がおらへん。ちょっと選択肢が少なすぎる」
 私の答えを聞くと、兄ちゃんは一層濃い笑顔になった。
「ちゃうちゃう、少ない時は少ないなりに、多い時は多いなりにや。あのな、女子はな、待っとるんや。早よ声かけたれよ。とりあえず誰でもええから」
「そんなんやったら、好きな子と違うやんけ」弟がムキになって言い返す。
「あほ、だんだん良くなる法華の太鼓や。まず声かけることから始まるんや」


「もうちょっと待ってよ」私が答えた。あてがあったわけではないが、なんとなくそう答えた。
「ほうか、がんばれよ。ほんでな、俺にも紹介せえよ。スバル乗したるからな」
 兄ちゃんは嬉しそうに笑いながら一階に降りて行った。
「あいつの言うこと、あんまり聞かんほうがええで」弟が私に釘を刺すように言う。
「わかってるわかってる。心配ない」私も軽く答えた。

 下宿暮らしはお試しの一ヶ月で終わった。日本家屋での下宿生活が、どうにも窮屈でたまらなかったからだ。隣の部屋とはフスマで仕切っているだけなので、咳、くしゃみ、屁、どんな音も筒抜けだった。朝夕の食事がついており、隣の部屋の一学年上の学生と一緒に食べるのだが、口の重い男だった。そのくせ食事する時の噛みくだき呑みこむ音が半端なく大きくて辟易した。

 下宿は通学にバスと電車を使って一時間かかった。新しい栖(すみか)は、大学まで歩いて通えた。大学の一駅隣にあるカソリック教会が運営する一棟建てのアパートだった。細長くそびえ立つ三階建ての洋風建築で、もとは信徒の青年や修行中の聖職者のための青年寮だった。このアパートには同じ大学に進学した高校時代の同級生も住んでいた。


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