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千葉県長南町を踏破<日本全市町村踏破(制覇)>

8月20日、睦沢町より西進し、長生郡長南町へ。
長南町については、斜面の街道沿いに展開する中心部を通ったのだが、車を停める場所やタイミングを上手く見つけられず、あっという間に茂原市との境にある圏央道のインターに着いてしまったので、そこで撮影することにした。

圏央道茂原長南インターは、2013年と、当記事執筆時の4年前の開業。鉄道路線も走っていない長南町だが、これにより圏央道から東京アクアラインを経て東京へと直接向かえる交通アクセスの良さを獲得した。

比較的新しいインターだけあって、その周辺は森。もっとも国道409までは1kmあるかないかであり、その交差点あたりには多数の店がある。

国道からインターへ続く道は、インターの先で、Uターンして折り返すようになっている。間違ってインターへ来てしまった車の為のものだが、こういう不思議な構造の道路というのはなかなか面白い。

国道へと続く道の傍らに、観光案内看板が設置されている。しかし、駐車場と看板しかなく、トイレすらないので、わざわざ立ち寄るのは、私のような物好きだけだろう(苦笑)

長南町も、前回の睦沢町、前々回の大多喜町と同じく、房総半島にあって内陸の町である。

国道とインターを結ぶ道は、茂原、睦沢を経て、沿岸の一宮へと至る「長生グリーンライン」なる道の一部らしい。ただし、完成しているのはインターと国道の間のみ。しかしいつかは、インター横のUターン路も消えてしまう訳で、そういうかりそめの儚い運命が、また趣深いのである(笑)

ただ、そういう一時的な設備を作った道に限って、それが撤去されて本来計画した姿になるまでに、長大な時間が掛かったりするのも、往々にしてある事である。

なお、「長南」という町の由来は、長生郡の南なのか、この町の北にある長柄町の南隣にあるからなのか、どちらだろうと思って、調べてみたところ、長生郡というのは、明治時代に長柄郡と上埴生郡が合併して生まれたものだと分かった。

戦後、いくつかの町村が合併して長南町が生まれたのが、その時中心となったのは「庁南町」であった。その町名は、戦国時代に上総武田氏が構えた「庁南城」に由来するもので、明治時代の、長生郡が生まれる数年前に付けられたものだった。

しかし、そもそも城の名前の由来になったのは、長南という地名であり、それは長柄郡の南部という意味である。

平安中期には、菅原氏の一族が土着して長南氏を名乗ったというので、かなり古くからある呼称ということになる。

長南町は、こうした由緒から付けられたもののようだ。長柄町の南隣であったり、長生郡に属したいたりするので、近年付けられたものかと思ったが、意外にも歴史ある地名であった。

千葉県全市町村54のうち、踏破済50、残り4。

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