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詩人の近況2023.1.11

こんばんは彭城吾朗(さかきごろう)です。

そんなに猛勉強してるわけでもないのですが、
英語脳が疲弊してるかんじで、
本日臨時で勉強オフにしました。
今日は英検前最後のリフレッシュの日ということにし、
明日から英検当日までの10日間は再び勉強に集中し、
noteの更新も休む予定です。

note始めて一週間。
とても気に入っています。
昔の楽しかったmyspaceにも少し似た印象もあり、
期待が膨らみます。
メッセンジャー機能があったらなおいいのですが。
とりあえずnoteは3年スパンで使ってみて様子を見たいです。
3年でnoteで人気の作家に、
という目標でいこうかと。
でも、
文章がお金になる前から作家と自称するのもちょっと恥ずかしいかな。
今は「物書き」でしょうか。
朔太郎風にいえば「老書生」というのもありかな。
こっちのほうがシブいかも。
まだ47ですけど。
でも、
noteを収入源にしたいのかどうかも正直まだわからないかんじです。
詩や小説やエッセイを多くの人の元に届けたいのに、
有料にすることでそれが遮られたらと考えると、ちょっと。
世の中全てがタダになって、貨幣経済なんて終わっちゃえばいいのにね、
とか。
まあでも、
作家として成功することを残りの人生の目標に掲げたのは事実なので、
貨幣経済が続く間はこの目標に生きます。

お金になってないうちに作家とか小説家とか自称するのは個人的にはちょっと恥ずかしいですが、
詩人ならそれもできます。
詩人は職業ってかんじではないですからね。
そもそも、
著名な詩人て何をメインの収入源にしてるのでしょう。
詩集の印税ではないですよね。
成功してるポピュラー音楽や演歌の作詞家なら詞そのもので大きなお金を稼ぎ出せるだろうけど、
現代詩、純粋詩はお金にならないのはいつの世も変わらないですよね。
なぜなんでしょう。
寂しいことといえば寂しいことです。
私も書籍形態の詩集を出版したいのですが、
世の多くの詩人たちがやってるように、
一冊に100万円とか払って自費出版するつもりは今のところありません。

詩の師匠、萩原朔太郎と同じくらいの数の詩を残し、
小説の師匠、太宰治の全小説の半分ほどの枚数の小説を残すことを、
一応「作家」としての量的な目標にしています。
それに書けるだけのエッセイを加えて。
そんなかんじです。

そろそろ詩作にも戻りたいのですが、
英検終わってからですね。
ああ、
忘れてた、
英検終わったら文学賞に小説応募する作業があるんだった。
一度に8作も出すのでひと仕事ですね。
まだどれをどの文学賞に出すのかも決めてません。
全てこれから。

今日は締まりのない記事だナ。

書きたいことがあったわけでなく、
これから10日更新休むからその前にnoteをいじりたかったという、
それだけの理由で書いています。
すんません。

先日、
既知の友人以外で初のフォロワーがつきました。
嬉しかったです。
今後も楽しい出会いが、あるといいな、noteで。

そうそう、
これから写真を始めてみたいと思ってます。
noteの見出し画像用の写真素材が品薄で、
なるべく自前で賄いたいので。
画家時代に絵の撮影専用に使っていた10年もののミラーレスが、
画家を辞めてからのこの2年、埃をかぶって部屋の隅に佇んでいます。
使わないのはもったいないね。
でも、
まだちゃんと動くだろうか。

《今日の自薦自作詩》

「生活詩」

つめたい麦茶を飲みながら、
あの夏を思い出していた。
ぼくは年老いた心で、
きみの問いかけに再び答えようとしていた。
あの頃、
ぼくら二人が繰り返した若き過ちは、
時間と共に色褪せ、
多感だった二人が共有することももう二度とない、
小さな、
どこにでもあるような物語となった。
ぼくは少し疲れた心持ちで、
安物のカメラをいじって遊んでいた。
ちょっとした白日夢を見たようだった。
きみといた夏は、
もうあまりに遠い。


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