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部屋の窓から無数の星

眠れない夜がある。たとえば今夜。眠りたい。眠れない。どうしたものか。考えるのも億劫だ。眠りたい。眠れない。他に何かをする気にもならない。

本棚から『不安の書』を抜く。眠れない夜のしんがりとして機能するこの本の著者はフェルナンド・ペソア。ポルトガルの詩人・作家で、生前は無名の存在だった。死後、トランクいっぱいの膨大な遺稿が発見され、脚光を浴びた。ポルトガルの国民的作家となり、紙幣の肖像画に選ばれたこともある。

『不安の書』は、ペソアが帳簿係補佐ベルナルド・ソアレスという架空の著者になりすまして書かれた、現実と夢想の区別が定かでない孤独者がつぶやくひとり言のような──決して明るい気持ちになることはない類の──短いテキストの寄せ集めである。

それらのテキストは、昼間の比較的精神が活発な時間帯に読むと、全く頭に残らない。なぜか夜、それも眠れない夜にだけ、それらの言葉は夜空の星のようにきらめき、心の深奥に、羽毛のようにふわりと落ちてくるのである。この鬱々としたテキスト群がなぜ私を癒すのか、私にもよくわかっていない。

***

ちょうど開いたページに、いまの私の気分を言い当てたテキストがあったので引用する。私はこれを読んで、共感とか、安堵とか、そのようなたいそうな感興をもよおしたわけではないのだが、心の奥底で何かが私をチロチロと駆り立てて、いてもたってもいられなくなり、ここに抜書きしたいと思った次第である。

夜になると初めて、ある意味でわたしは喜びではなく、安らぎを感じるが、安らぎが満足感を伴うことがあるので、感覚の類似性により満足を感じる。すると、眠気が去り、その眠気のせいで起こった精神的黄昏の混乱は消えてゆき、明るくなり、輝かんばかりになる。一瞬、何らかの期待が生まれる。しかしその期待は束の間だ。それに続いてくるのは、眠気も期待もない倦怠、眠らなかった人の寝起きの悪さだ。そして、哀れにも心は身体に疲れ、部屋の窓から無数の星を見つめる。無数の星、無、無ということ、しかし無数の星……。

フェルナンド・ペソア (著), 高橋 都彦 (翻訳)『不安の書(増補版)』彩流社,p.244

今夜は星が見えるだろうか。窓辺に近寄ろうとしたが、窓から放たれる夜気の冷たさにうろたえ、すぐに引き返してきた。星が見えるかどうかなど、寒さの前ではどうでもいいことだ。今夜、私は眠らないかもしれない。このあとも本の続きを読もうと思っている。





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