閑さや岩にしみ入る蝉の声
早朝の仙台駅は閑散としており、朝食を食べ、駅の周辺を散歩して、JR仙山線に乗る。車窓からの眺めは、都市の風景からやがて山々の景観に移る。夜行バスではよく眠れず、うつらうつらしながら、時々窓の外の景色を眺めていた。今月のナショナルジオグラフィックの睡眠特集のページを開くが、眠気で文字を追うのに苦労する。山寺駅に到着する。朝の空気は爽やか。
山寺。正しくは宝珠山立石寺。この寺を訪れる者は、登山口そばの石碑に刻まれた、かの俳人がこの地で詠んだとされる句に想いを馳せながら、その長い長い石段を上ることになる。
閑さや岩にしみ入る蝉の声
松尾芭蕉『奥の細道』
石段の続く森の中は日陰で涼しく、木々の葉擦れの音と、蝉の声だけが聞こえる。無音ではないが、静けさを感じる。所々に現れる奇岩も目に愉しく、階段上りはそれほど苦にならない。
1000段以上の石段を上りきった先の五大閣から、田園風景を眺望する。夏の青空の下、鉄道模型のような電車が、中央の駅舎めがけて速度を落とす。豆粒のような自動車が1台、中央から右奥にかけて延びる細い坂道を、ゆっくりと走っている。坂道の両脇には、お互い寄せ合うように数軒の家々が並び、その周りには畑、そして森林が広がる。そよかぜ。いつの間にか坂道を上りきった自動車は、視界の向こう側に消えていた。
その後、同じ仙山線を乗り継ぎ、山形駅に到着する。繁華街の七日町を散策するなか、果物に目が無い奥さんの断固たる申し出を受けて、路面に構えるスーパーマーケットの店内を一緒に覘く。野菜や果物の価格が、目を疑うほど安い。東京より1/3以上安価なこだま西瓜を丸々1個と、大袋にびっしり詰められた枝豆を買う。以降は、子供の頭部ほどあるこだま西瓜を毀損しないように、赤子のように大事に抱えながら旅を続けることになる。
かみのやま温泉の宿に着き、共有空間のソファに座って寛ぎながら、奥さんと一緒にそれぞれの読書をする。須賀敦子と藤谷道夫が訳したダンテ『神曲 地獄篇』の続きを読む。夕食後、仮眠を取り、そのまま夜更けまで読み続ける。ダンテたちが地獄の第七の谷第2円、自殺者の森を彷徨う第13歌まで。
私はそのとき四方から叫び声を聞いたが、
声の主はどこにも見当たらなかった。
それで私はすっかり狼狽し、立ち止まった。
いま思うに、あの茨の藪の中から、われわれの眼に隠れた
人々が多くの声を発していると、私が思い込んでいると
師は思っておいでだった。
それで、師はこう言われた。「もしおまえが
これらの藪の小枝を一本折ったなら、
おまえの考えていることはみな切り落とされてしまうだろう」
それで私は恐る恐る手を前にさしのべて
大きな茨の茂みから細い小枝を一本摘みとった。
すると幹が叫んだ。「なぜ私をへし折る」
それから、どす黒い血が流れ出し
幹がまた言った。「なぜ私を引きちぎる。
おまえには憐れみの心がひとかけらもないのか。
われわれがたとえ蛇のたましいだったとしても、
おまえの手には、もっといたわりがあってもよいはずだ」
生の薪を火にくべると、
一方の端が燃え、もう一方の端からは樹液がしたたり、
吹き出す風[蒸気]の漏れざまに、シューシューと音を立てるが、
ちょうどそのように、枝をもがれた幹の口から
言葉と血がともに噴き出してきた。私は持っていた枝を
取りおとし、怯えた人のように立ちすくんだ。
ダンテ (著), 須賀敦子 (訳), 藤谷道夫 (訳)『神曲 地獄篇: 第1歌~第17歌 (須賀敦子の本棚 1)』河出書房新社,p.292-293
自殺の罪を犯した者(地獄では木にされてしまう)と出会う描写だが、訳者藤谷道夫の語注では、枝を折ることによって彼らが言葉を話し出す、その奇妙な性質の意味を解説している。
ダンテの前置詞perの使用法も秀逸である。灌木は「折りしだ」かれたためにper le rotture≪原因≫泣いていると同時に、「折れ口を通して per le rotture」≪手段≫泣いているからである。枝が折れて傷が開くと、血が出て痛みを伴うが、同時に、言葉の通り道が作られることで、その痛みを初めて表現できるという自殺者特有の表現方法を―すなわち、苦しみの原因を、苦しみを吐き出す手段に変えてしまう彼らの存在様式を―ダンテはper一語で見事に表している。
同上,p.308 注42
その後、財産を浪費する蕩尽の罪を犯した者たちが登場する。同じ歌のなかで、自殺者と蕩尽者が登場する意味を、その後に続く同氏の解説によって理解する。
財産を無に帰することを意思する蕩尽者においては、理性が本能に負けているのではなく、理性そのものが浪費を意思しており、これをダンテは一種の自己破壊衝動とみなしている。ダンテは自殺という生命の自己破壊と、蕩尽という資産の自己破壊を根底において同じ衝動から生み出される二種の発現とみなし、両者を並置している。さらに、ダンテは両者の自己破壊衝動の奥底に絶望が潜んでいるのを見て取っている。
同上,p.311
同訳者による豊かな語注と解説の存在は、ダンテに地獄を案内するウェルギリウスのようで、その導き手なしに、この物語の深淵に辿り着くことはできるのだろうか。本書では地獄編の第17歌までしか訳されておらず、第18歌以降は他の訳者の版を読み継ぐ必要があるが、いまから不安である。
プルーストの『失われたときを求めて』の続きを少し読んで、眠りにつく。
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