すず蟲
夏がおわる。
外では鈴虫がチリチリと鳴き始めた。
わたしはそろそろと、梅雨明けに無理くりカーテンレールに括りつけた風鈴を、手のひらに包みこんだ。
*
社会人一年目の夏、わたしたちは仙台の千代ちゃん家(ち)に遊びに行った。
正確には、千代ちゃんのおばあちゃんの家(ややこしいからもう、シンプルに「おばあちゃん家」と呼ぶ)。
千代ちゃんの勤め先がおばあちゃん家から近いから、おばあちゃんと一緒に暮らしているんだそうだ。
「そうだ、梅干しを漬けよう」
突然言い出したのは、みぃこ。
「じゃあ、うち来る?」
と、千代ちゃん。
そんな軽い流れで、あれよあれよと計画が立って、気付いたら新幹線に乗って仙台駅に着いていた。
いやぁ、ずんだシェイク!
めちゃくちゃ美味しかった!!
仙台でわたしとみぃこ、杏(あん)ちゃんで合流して、おばあちゃん家のある最寄りの駅まで鈍行でなん駅か。
駅を降りると車に乗った千代ちゃんが、久しぶり!と笑顔で迎えてくれた。
田園風景の中を、最近どう?なにしてるの?とか、互いの近況報告をしながら進んでいく。
車のバックミラーにぶら下がった黄緑色のマスコット(えだ豆…なのか??)も、相槌を打つみたいに、ぶらんぶらんと揺れていた。
おばあちゃん家に着くころにはもう、けっこうないい時間で。
荷物を客間に運び込むやいなや、すぐさま麻袋いっぱいの紫蘇の枝を渡された。
梅干しを漬け込む時に一緒に入れる用だ。
あの赤い色は、どうやら紫蘇の色が着いているらしい。20年以上梅干しを食べ続けてきて、この時初めて知った事実である。
納屋の軒下に蚊取り線香を二つと、古びたおんぼろ長椅子を出してきて、4人で腰掛けた。
それからは一心不乱に、紫蘇の葉を茎から毟ってはバケツに、毟ってはバケツに入れる地味な作業を日が暮れるまで繰り返し。
おばあちゃんの、ご飯よぉの合図があるまでひたすらに毟り続けて、この間に手足と首と鼻の頭を、計10箇所以上蚊に刺された。
おばあちゃんの料理はどれも懐かしくておいしいと相場が決まっているわけだけど。
物珍しかったのは糸こんにゃくの明太子和え。
よくよく聞いてみたらこれだけは千代ちゃんお手製の一品だった。
これがけっこう美味しかったから、いまでも自炊する時に作ったりする。
味に失敗しないし、なによりお手軽でぱぱっと作れるから。
とにかく。
糸こんにゃくって、すき焼きに入れる以外に使い道あるんだ、と思ったのを、いまでも強く覚えている。
夕飯の後は、夏といえばこれでしょ!とか言って道中でテキトーに買った手持ち花火をやって
風呂に入って
シメに縁側で、おしゃべりをツマミに月見酒をした。
千代ちゃんが日中冷蔵庫でキンキンに冷やしておいてくれた、一の蔵の「すず音」。
これまた旨い。うまい、うまい。
甘口の日本酒が口の中でスパークリングして、上司の愚痴に恋話に、よりよりいっそう花が咲いた。
そんでもってお腹いっぱい笑って、ふくふくと布団に入って、ぬくぬくと目を閉じた。
翌朝の朝ごはんは、庭で摘んできたブルーベリーをヨーグルトに入れて、蜂蜜をスプーン一杯分、たらりと垂らす。
え、うまっ。
どうやら今日は、松島に連れて行ってくれるらしい。
ああ松島や松島や…で有名な、あの松島だ。(だれが詠んだんだっけ?)
この日の松島は、曇って真っ白だった。
とりあえず花より団子な4人組だから、名物のアナゴ丼を食べて満足した。
どうでもいいけど杏ちゃんは大のアナゴ好きで、途中胃もたれしたわたしは、二切れあったアナゴ丼の片割れを杏ちゃんに献上した。どうでもいいけど。
そして仕上げに山門の出店で、自分へのお土産にと、かねてから欲しいと思っていた南部鉄器の風鈴を買った。
花火柄と蛍柄があって、こりゃまたどっちも粋でかわいくて。
そりゃもう30分くらいかけて悩みまくって。
わたしは結局、蛍柄の風鈴を選んだのだった。
*
ちなみにあの時漬けた梅干しは、翌年の春に宅急便で送られてきた。
届いた時は、ほんとに梅干しになるんだ!という感動とうれしさで、まん丸と太った梅干しをぱくっと丸ごと口に放り込んだんだけど
涙が出るほど塩っぱかった。
そして今年、あの夏から3年が経った。
みぃこは結婚して、転勤族の旦那さんと一緒に地方を転々とする生活。
杏ちゃんはいまも変わらず役場務め。当時の彼とは別れたらしい。
千代ちゃんはあれから2度転職をして、いまの職場はすごく気に入ってるみたい。
そしてわたしは、第一志望で入った会社で、憧れだった営業職になったけど。
もう気力も体力も底を尽きて、空気になって、消えてしまいそうだ。
ふぅー、
と息を吐きながら8畳間の冷たい床に寝転んで、真っ白な天井を見上げる。
風鈴を包んだままの両の手を耳元にあて、小刻みに振ってみた。
松島や、ああ松島や、松島や…
あれって、だれが詠んだ詩だっけ。
手の中でカラコロと、鈴虫が鳴いた。
息を吸って、吐きます。