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記憶が温度を取り戻すとき

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母に育てられたことが本当に辛かったな〜と45歳になったいま、あらためてしみじみと感じている。

いままでは、安全に思い出すことができなかったのだろう。出来事は思い出せても、そのときの感情は凍りついてからだに閉じ込めたままだった。

それがいま少しづつ溶けだしてきている。

おそらくわたしのからだが「安心」を感じられるようになったから、なにか怖いことがあっても自分の力で「安心」に戻ることができるようになったからだと思う。

からだがわたしを信頼して閉じ込めていた感情を少しづつ放出させてくれている。

それはなかなかにしんどいものだ。
幼いわたしには危険すぎて感じることができなかった感情。
こうやってわたしが自分の力で「安心」を感じることができるようになるまで、わたしから隠してわたしを守ってくれていたもの。


たとえば幼いころ、母はいつも不機嫌だった。しんどそうにため息をついては父親の悪口をわたしに聞かせた。

文章にしてしまえばなんてことないし、むしろよくあることかもしれない。
でも小さくて無力なこどもにとって母親の不機嫌は脅威だ。からだがこわばる。神経が緊張する。


冷たくて薄暗いリビングにいるわたし。
どんなに心細くて寂しかっただろう。
そんな感情を思いだすことはものすごく怖くて辛いことだ。
大人になって自分の力で好きなところに行ける大人のわたしじゃなく、小さくて無力でどこにも行けなかったころのこどものわたしが、いまでもあの薄暗いリビングで震えて泣いている。

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うれしくて涙がでるよ