見出し画像

シンプルに生きる

今回の記事は、ちょうど2年前くらいに、ノルウェーで暮らしていた時に書き溜めていた文章を、改めて再構成したものです。
(本記事とは全然関係ないですが、noteって日記的に自分の思考が辿れるのがいいですね・・・!)


シンプルに生きるってなんだろう、と、最近すごく考える。

東京、NYでの生活を経て、ノルウェーでシンプルに生きていた、というのは間違いない。けれど、どんな生活がシンプルに生きる要素なんだろう。

パッと思いつくのは、これぐらい。
・人が少ない都市での生活
・ゆっくりした時間の流れ
・少ない選択肢
(食品や消耗品といったモノ、レストラン、余暇の使い道、お金の使い道などなど、生きていく上で発生する、ありとあらゆる選択肢が少ないこと)

※当時の私の生活=シンプルな生活という定義なので、必ずしもこれが一般的な回答ではないとは思います。

もしくは、周囲の環境とかそういったことではなくて、「人生を揺るがすような根本的な悩みがない状態」とか、精神的な状態のことをシンプルに生きている、というのでしょうか。

私自身は、時たま物足りなくなる事もあったものの、なんだかんだ、ノルウェーの暮らし方が非常に気に入っていました。
東京に戻った時に、どうすればこのような生活を保てるのだろうと考え、中々答えが見つからないままに帰国し、結局、毎日バタバタといろいろなことに追われ、いわゆる「ノルウェーのような暮らし」とは程遠い暮らし方をしています。

都心ではなく、郊外の自然豊かで人の少ない地域に住めば、当時と同じような心持ちで暮らせるのでしょうか。
なんだかそういうことでもない気がするんですよね。

やっぱり思うのは、日本は選択肢が多すぎる。

そこがノルウェーとの大きな違いかと思います。
日本に帰国して10ヶ月、当初は美味しいもの、新しいもの、刺激的なもの、便利なものに囲まれる幸せを噛み締めていましたが、最近は逆に疲弊しているように思います。
人間幸せになるのに、そこまで選択肢って必要ないのかもしれないですね。
選択肢があるからあれこれ迷い、悩み、割とどうでもいいことに時間を使ってしまう。そんな気がします。

ちなみに、日本のモノの多さについて以前執筆した記事はこちら。
https://note.com/goro2020/n/n51c813f9c9ac


ちなみに、シンプルに生きる(暮らす)、丁寧に生きる(暮らす)って、よく使われる言葉ですが、これも微妙に違いますよね、多分。
なんとなくの方向性は同じですが。

ノルウェーに住んでいた当時の私自身も、シンプルに生きてるな〜とは思いますが、丁寧に生きているとはまだまだ思えず。
ただし、シンプルに生きることが、丁寧に生きることの近道な気はしています。


なんだか普段以上にとりとめのない文章になってしまいました。
日本でクリスマス、お正月と賑やかな季節を過ごし、静かな中にも「これから明るい夏に向かっていくぞ!」という希望を感じているであろうノルウェーの人たちが、少し羨ましいこの頃です。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?