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【アメリカ駐妻】帯同生活の振り返り(人間関係編)

アメリカ駐妻ゴリアテです。

この挨拶から始められるのも

あと少し。

もう数週間で

約5年間のアメリカ帯同生活が終了します。

最初はアメリカで働くぞ!

という目標を胸に

就活をするブログでしたが

日本人村での人間関係

アメリカ生活での日常

本当にたくさんのことを

書かせていただきました。

また、たくさんの励ましのお声を

この5年間でいただきまして

すごく力になりました。

こんな田舎駐妻の雑多なブログに

目を通してくださり

みなさん、本当にありがとうございました。


さて本日は

ゴリの帯同生活

5年間の振り返りを

できたらいいなと思います。

今回は主に人間関係編です。

長くなるかもしれませんが

気長に読んでいただければ

嬉しいです♪


ズバリ・・・

この5年間を一言で

表現するならば

自己成長の期間

でした。

やっぱり辛かったこと

大変だったことの方が

多かったかな。笑

笑顔でいる時間より

涙を流したり

悩んだりする時間の方が

すごく長く感じて

痛みの伴う5年間でした。笑

けれど

そんな苦しみぬいた期間も

もう終わりを迎える今だからこそ

感じている学びがあるのです。

以前からブログを読んでくださっている方は

ご存じかもしれませんが

ゴリは狭い日本人村で

奥様たちの輪に馴染めませんでした。

初めてブログを読んでくださる方に

サラッと説明しますが

初っ端から奥様との関係で

躓いてしまったのです。
(とほほ)

原因はザックリと

2つあるのかな?と

分析していて

村の掟というと

あまり響きが良くないかもしれませんが

保守的な雰囲気を読み取ることができず

その奥様達が望むような

行動に沿えなかったこと。

もう一つは

もともとすごくマイペースな人間なので

当時はまだ自分が日本人村の

一員だという認識が薄く

「自分のやりたいことにまっしぐら」で

その勢いが周りとの溝を生んでしまったのかなと思います。

そして最初に出会った奥様が

村の中でも顔の広い方だったこともあり

その後、自分の思いもよらない方向に

「ゴリアテ」という人物像が

拡散されて

どんどん孤立してしまった経緯があります。

以前ですが

「ブログに駐妻さんの悪口を書いてるからでは?」

というご指摘をいただきました。

ここでもう一度、お伝えしたいのですが

ゴリがブログを始めたのが

渡米して暫く経過してからです。

そして最初は

就活のことしか書いていなかったので

その頃には既に

他の奥様達とは疎遠になっていました。

また、もちろんお相手があってのことですし

身バレも懸念されるので

ブログは現在進行形のように見えますが

お話に出てくる奥様達がご帰国されたり

基本的には時間が

経過してから書いています。
(自分の中で消化してから書いているので純粋に時間がかかる。笑)

紛らわしい書き方をしてしまった

ゴリに非があるので

本当に申し訳ないのですが

そこは安心して読んでいただければと思います。

で、何の話だったっけ?

あ!学び!学び!笑

駐在の環境って

本当に赴任地や赴任時期で

生きやすさが180度

違うんですよ・・・!

ゴリの日本人村は

けっこう難易度高いと思います。

今だから冷静にみられるんですけどね?

常に牽制や緊張感があって

誰かが誰かのことを気にしている状態です。

集団の怖さを凄く経験してきました。

こういう事を書くと

「他人はそんなにアナタを気にしていないよ」

「自分で忙しくして紛らわせたらどう?」

「気にしなきゃいいよ」

と至極まっとうな意見をいただくんです。

わたしも何度も何度も

環境がよくなるように

自分の心が平穏になるように試みました。

語学学校に行きました

お仕事もしました

車を飛ばして

ひとりで遠くまで外出しました。

けれど世の中には

残念ながら一筋縄では

太刀打ちできない

問題があるのだと学びました。

それは孤独です。

忙しくしていると

たしかに余計なことは考えません。

その時間は。

でもずっと働いているわけではないので

ふとできた隙間に

孤独の影が入り込んできます。

ひとりで楽しみにしていた

カフェに行ったとき

前から歩いてくる

顔見知りの奥様グループに

まるで空気のように

無視されてしまうと

やっぱり悲しくなります。

その人たちが本当の友人同士かは置いておいて

向こうは大人数で

ワイワイしているのを横目に

自分は仕事もある

学校だって行ってる

けれど自分は

「いつもひとりぼっち」

という寂しい現実が

心のほんの少しの隙間に

スッと入り込みます。

「自分はひとりで大丈夫!その方が気楽」

と、ゴリも思っていました。

子供の頃から

グループにいれるタイプではなかったので・・・。

しかしこれは

他の方がおっしゃっていたことの

受け売りなのですが

「いつでも他人と繋がれる担保があるからこそ、1人でも平気だと思える」

という言葉が本質だと思います。

あえて自分ひとりの時間を作るのと

排除されてひとりぼっちになるのには

大きな違いがあることを身をもって経験してきました。

ゴリはずっと強がっていたのです。

仲間はいた方がいいですよね。

海外生活をすると

尚更そう感じます。

孤独は人のココロに魔物を作ると思っていて

ゴリはどんどん他人に対して

厳しく、意地悪な見方をするようになっていきました。

日本人村には時にビックリするような

ユニークな奥様がいらっしゃいます。

小さい日本人村であったり

お子さんの学校繋がり

駐在員同士の関係が密な会社だと

基本的には

「嫌だから付き合わない」が通用しません・・・。

そのような逃れられない環境が

奥様達に追い打ちをかけるのです。

「嫌なら関わらなきゃいい」と

言われることもあるのですが

他社の奥様ならまだ可能でも

配偶者の会社の

食事会やイベントに

1度も出席しないというのは

逆に配偶者の方の立場が

危ぶまれてしまうくらい

駐在というのは繊細な環境の場合があります。
(全てではないですからね!)

そういう中で

ユニークな人に遭遇すると

もう傷つけられたくない!!と

怖くなってしまいました。

そのうち自分を守るために

他人と関わらないようになり

でも心は寂しがっている。

そんな矛盾を5年間、抱えてきました。

これも以前、いただいた意見なのですが

「ゴリアテさん、がっかりです。悪口が好きな人なのですね?笑」

と言われてしまったことがあります。

その時はお仕事を含めて

かなり精神的に苦しい時期でした。

「何も知らないくせに、余計なお世話だ!」と

怒りがこみ上げてきましたが

実は心の奥底では

図星だと思っていました。

ゴリ、すごく嫌な奴になっちゃった。

いや、本当は最初からこういう奴だったのかな?

どうして嫌な部分ばかり目につくんだろう?

自分が大嫌いになりました。

自分を嫌いになると

どんどん心が蝕まれました。

そこからでしょうか

ブログの更新頻度が落ちました。

怖かったんです。

批判されたり

誰かに自分の醜い部分を

見透かされるのが。

アメリカに来た時のように

明るく前向きでいたいのに

挑戦して頑張っていたいのに

けれど現実は

人間関係もグチャグチャ

お仕事もすごく辛い

上手くいかない

そんな自分に腹が立って許せない。

うだつの上がらない自分と

ブログの中で目標をもって

前進していたかつての

自分との対比が凄く苦しかったんですね。

このようにゴリには

完全に自分を見失ってしまった時期がありました。

一体、ここでは何が正しくて

どういう自分でいればよいのか

どうやって振舞えば仲間外れにされないのか。

どうしたら「できた奥様」でいられるのか。

ずっと見つかるはずがない

答えを探して彷徨っていました。

周りからの評価が気になり

ネガティブな意見に繊細になりました。

実はいまでも

「悪口ばっか書いてるから、他の駐妻さんから嫌われてますよ」

というお声をXでいただいたりします。

その度に

「ブログ・・・消しちゃおうかな」

と思うのです。

自分にとってブログは

苦しい本音を吐きだせる場所で

とても大切なものだったのですが

他人のことを書いているので

不快になる方の気持ちもわかります。

意見をいただくたびに

落ち込んでしまい

そして自分が嫌になります。

けれど・・・

自分を見失うくらい苦しんで

自分をとことん嫌いになった

時期があったからこそ

人間関係で

追いつめられると

こんな心理状況になるんだとか

本当は別にひとりでいるのが

好きなわけではないんだとか
(ひとりの時間は大切)

逆にどんな状態の時に

自分は平穏な気持ちなのだろう?と

良い部分も

認めたくなかった部分も

素直に受け入れようという想いにいたれました。

それと

自分は駐在界に馴染めなかったという

失敗の経験とも向き合う覚悟ができました。

もちろん、どんな自分でも

受け入れることは

すんなりといきませんけどね・・・!笑

「ゴリは黒い気持ちになる事もあるし、別に良いやつではない」

と素直になってからは

厳しい意見をもらった時

すごく悲しくはなりますが

同時に

「そうなんだよね」

と受け入れているので

以前よりは揺れません。

そして消そうと思っていたブログも

これから駐妻(夫)になる方や

いま日本人村で悩んでらっしゃる方々が

もしこのブログを見つけて

読んでくれた時に

「このゴリアテって元駐妻も帯同生活でメンブレしてたんだな」

と、思っていただければ

とても嬉しいです。
(嬉しいのか?)

帯同生活には必ず波があって

あなたの悩みは変じゃないし

もし他人にわかってもらえなくても

ゴリは少なくとも

その苦しさがわかってます。

経験した人にしか

わからないことがあるからね。

思うような自分でいられなくても

愚痴ばかりの自分になっても

それは大変な環境にいるのだから

仕方がないです。

誰に何を言われても

自分が感じている苦しさに

蓋をしなくても

大丈夫ですよ!

1人じゃないですよ!とお伝えしたいです。


さて、もうひとつ

日本人村の人間関係で

学んだことがあります。

それは「正しさ」が

必ずしも支持される

わけではないこと。

その昔、ブログに書いたかもしれませんが

ゴリが一番最初に行ったESL。

当時そこに通っていた奥様達は

マイペースに通っていらっしゃる方たちでした。

「英語を習得しよう!」というよりかは

奥様同士の交流の場所だったのです。

そこにやる気満々のゴリが

何も知らずに

やってきてしまいました。

個人的にはとても学校を気に入っていて

家も近いし、すごくいい先生でした。

しかし奥様達からは

かなり露骨な排除を受けいていて

無視されたり

ゴリの隣になると

ゴリがトイレに行った隙に

席を移動されていたり

急に自分以外の奥様が立ち上がって
(時間を示し合わせていたと思われる)

挨拶もなく帰ってしまったりするのです。

しかしゴリは当時まだ情熱家だったので

それでもめげずに

皆勤賞でした。

このゴリが皆勤賞ですよ!?
(いや、知らないよ)

「学校がある日に学校に行く」

「授業をちゃんと聞く」

はたから見ると

正しい行いだと思います。

しかし段々とその奥様グループが

学校に来なくなりました。

そんな矢先、お茶会で

古株の奥様にこう言われたのです。

「語学学校ね~!だってゴリちゃんばっかり贔屓されてるじゃない~?」

他の奥様は何も言いませんでした。

「本当のこと言っちゃったよ・・・」

というような

あの空気感、ハッキリ覚えています。

みなさん、同じ気持ちだったのだと思います。

他の奥様達は授業中に

かなり自由にしていたので

先生もやはり授業を聞いてくれる人の方が

嬉しかったんだと思います。

ただ特に贔屓はされていません。

逆にいつもひとりなゴリを

気にして声をかけてくれてたのかな?と今は思います。

その時に「あ、みんなゴリのせいで来ないんだ・・・」

と思いました。

なんとなくそんな気はしていたけれど・・・。

それから奥様達が来ると

わたしも少し不真面目にしたり(?)

奥様達の意見に

そうだ!そうだ!と

合わせてみたりしました。
(間違った創意工夫。笑)

しかし時は既に遅しで

「贔屓」の話をされて以降は

もう隠す必要がなくなったのでしょうか

ますます風当たりが強くなってしましました。

ただ今となってはね・・・

ゴリちゃん・・・

さっさと辞めなさい?と思うんです。
(渡米直後だったこと、田舎だからあまり選択肢がなかった事情アリ)

たぶんほとんどの方が

「ゴリは間違ってない」と

言ってくださるのではないかと

思います。
(そう願う!!!!笑)

実際にゴリ、間違ってはないですよね?笑笑

今回はこのわかりやすい

例を出したんですけれど

「自分の正しい」が

誰かの正しいではないこと。

そして例えポジティブな行いでも

みんなが肯定してくれるわけでもない

場合があるんだという現実。

時には腹を立てる人さえいるのだと

この日本人村で学んだのです。

ゴリがとるべき行動は

奥様達の態度の軟化を期待するのではなく

自分の行動が

正当に評価される環境

自分の価値観と一致する人が多い環境に

移動するべきだったんですね。

そう考えると

ゴリは頑張れば周りの人が

やさしい言葉をくれて

気にかけてくれる
(全てではありませんが)

恵まれた環境に

それまではいられたのだと

新たな感謝もありました。

奥様達の英語へのモチベーションは

人それぞれです。

当時は本当にお恥ずかしながら

人それぞれ自由だと思いながらも

せっかくアメリカにいるのになんで?

と思っていた部分はあります。
(言ったりはしてないよ!)

今は「ペースは人それぞれ」だと

本当に理解することができていると思います。

クルクル回るプールでのんびり泳ぎたい人もいれば

50メートルしっかり泳ぎたい人もいる。

プールサイドで一休みしたい人もいる。

自分に合ったプールに入ることが大切なのだと学んだのです。

そうすれば

お互い無駄にすり減ることはなかったのかな?

と思います。

自分の正しさを信じて

強く行動することも

とても重要なのですが

それがうまくいかなければ

時にはふわっと風のように

柔軟に行動してみる。

「ふんわりしたやわらかさ」が

人間関係をスムーズにするのだと

ゴリの人生にまた一つ加わった教訓です。


最後になりますが・・・

「強さは諸刃の剣」であることも学びました。

この帯同生活の中盤くらいまででしょうか?

ゴリはとにかく

色々なことを跳ね飛ばしてきました。

先ほど書き連ねた

「孤独」すら感じないくらいに。

村の誰よりも外に出て活動しました。

暇な時間が怖くて

辛くてもお仕事を続けました。

誰よりも英語ができるようになってやる!と

意気込んで

丸腰でネイティブの世界に飛び込みました。

自分は他の人にはないモノを持っている

他の人ができないことをやっている

必死で握りしめていた

ほんのちょっとの特別を心の支えに。

当時はブログでも

「強いですね、ゴリアテさん」

とよく言っていただいたのです。

その強さはなんのためだったんでしょうか?

ゴリは何と闘っていたのでしょうか?

本当にやりたいことだったのでしょうか?

こんなことを言うと

もしかしたら誰かを

失望させてしまうかもしれないけれど・・・

途中からは

完全に「虚勢」でした。

もっというと惰性。

暇が怖いから働いて

仲間外れが辛いから

充実していたい。

働いているのに

「英語できないじゃん」と

思われる事が

恥ずかしくてたまらないから

語学学校を梯子する。

いつしか

辛い日本人村での

人間関係を

必死に忘れるための行動になり

自分のためではなくなっていました。

最初は本当に好奇心で

行動していました。

だからワクワクして

輝いていられたんです。

けれど途中から

アメリカで働くことも

働けるレベルの

英語を習得することも

本当は自分には高すぎる壁だと

気が付いてきました。

そして・・・

何より

自分が心からやりたいと

思えなくなっていることも。

でもここでは強くいなきゃ!

1ミリでも傾いてしまったら

もう2度と起き上がれないんじゃないかと

ずっと怖かったんだと思うんです。

現実を見なくちゃいけない。

高すぎる壁なら

プライドを捨てて

自分のレベルからやり直した方がいい。

そんな気持ちに蓋をしながら

安息の地を求めて

「とにかく険しい山を誰よりも高く登ろう」

という事にこだわっていました。

自分が思うよりも上にきた頃

とうとう精神的にも限界を迎え

体力もなくなり

それ以上は登ることができなくなりました。

何のために

どこに向かって登っていたのかすら

わからなくなりました。

そしてそこから一気に滑落しました。

ボロボロの姿で

1番下までおっこちて

ふと目の前を見ると

ゆるやかな丘がありました。

自分が本当に登りたかったのは

高くてゴツゴツした山ではなく

そちらのなんだと気が付きました。

ふと肩の力が抜けて

この5年間、自分で自分に

過酷な試練を与えすぎていたと

気が付いた瞬間です。

ある日、引っ越しの荷物を整理していたら

渡米前に書いた紙が出てきました。

書いた記憶もなく

なぜそんなことを書いたのかも

わかりません。

そこには殴り書きで

「アメリカに行っても自分の限界を見誤らないこと。できないことは恥ずかしいことじゃない。他と比べない。自分が心地いいと思ったところが正解。」

と書かれていました。

必死に倒れないように

倒されないように

強さと高さにこだわり続けた5年間。

その強さに救われもしましたが

最終的には

自分を縛っていたとも思います。

5年間、沢山のヒトを見てきました。

混沌とした日本人村生活の中で

いつの時代も必ず素敵だと思う方がいました。

それは

あたたかな灯を絶やさない人です。

思わず見につまされるような

人間の怖い部分も見てきましたが

心の中に「善」という

灯を持っている人の前では

誰も太刀打ちできないし

潰されることもないという事を

目の当たりしてきました。

闇は光まではのみこめません。

ネガティブな人や環境が

入り込む隙がないのです。

まさに本当の意味で強い人です。

ゴリは残念ながら

心に隙がありました。

そして負のパワーに

どんどん支配されていってしまったのです。

強いとは何か?

自分が強い状態でいられるときは

どんな時なのか

随分と遠回りしましたが

やっと気が付くことができたのです。

それは仕事をすることでも

暇を作らないことでもありませんでした。

強くなれる装備は

人によって違うと思うのですが

ゴリにとっては

刀や鎧の代わりに

花を持つことでした。

これは他人や物事に対して

思いやりを持ち

素直で謙虚な姿勢を向けることです。

誰かと競って勝利すること

何かに成功したり

大きく飛躍してゆく人生も

ひとつの素晴らしい生き方だと思います。

しかしゴリは

目の前の人に

そっとお花を差し出せるような

優しくてあたたかい強さが

きっと自分にはあっているのです。

わからなくても

できなくても

その時の自分を素直に受け入れる。

選り好みせず

自分で殻を作らず

まずは目の前の人と関わってみる。

いま思い返せば

日本では灯を絶やさないでいると

必ず目をかけてくれて

助けてくれる方がいました。

ゴリは弱い人間です。

5年間で身に沁みました。

だけれど今は自分を「弱い」と言える

強い人間になっていけそうです。

アメリカで

たくさんの壁にぶつかってきましたが

この「新しい強さ」を持って

次は日本に行きます。

春からゴリアテの人生における

新章が始まりますが

これからも見守ってくださると幸いです。

そして今までアメリカ生活を

見届けてくださった

読者の皆様には

本当に感謝申し上げます。



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