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【小説】私がビールを飲む理由。episode1:アユミ①

「ビール」をテーマに、連作短編集を毎週月・水・金に更新していく自主企画です。

 今日は穏やかな晴天で、時おり吹く風が心地良い。駅から歩いて十五分ほど。都会の喧騒からだんだんと遠ざかり、緑が増えてきたところに、絵本から出てきたような白くて可愛らしい教会があった。

 あの人にもこんな可愛らしい一面があったのかと考えていると、ふいに名前を呼ばれたので、その声の方向に顔を向ける。大学を卒業して以来久しく会っていなかった、サークルの仲間たちがそこにいた。

 久しぶりーと声をかけあう。今日はサークルの先輩であるザキさんの結婚式だ。

 アユミは全然変わってないねと言われ、そうかなと答えた。就職先を尋ねられ、電子メーカーの経理だと答えると、あぁやっぱりと理由が分からない笑いが起きる。ほんと独特な空気感だよね、とまだ昔との変化を探そうとする目から逃れるために、受付済ませてくると答えその場から離れた。

 一歩ずつ踏み出すと、その協会で植えているお花なのか、甘くて爽やかな香りがした。そっと息を吐き出すと、急に心が静かになる。あの人の隣にいたときもこんな風に穏やかな気持ちになれていたなと、今日の主役のザキさんとの出会いを思い出していた。

  ○◯○

「ビール苦手なんだったらこれ飲んでみなよ」

と差し出されたシャンディ・ガフ。

 入学式が終わり桜が散り始めていた頃。よく分からないまま時間割を決め、必修の授業を終えて帰ろうとしていたときだった。一人で駅まで向かおうと歩いていたところ勧誘され、無理やり連れてこられた軽音サークルの新入生歓迎会。

 こちらが声を挟む隙も与えず、あれよこれよと個人情報を丸裸にされ、四月生まれの浪人生だとバレたところで、一気に注がれたビールと下世話な野次。こんなもの美味しいと思ったことない。意味が分からない。早く帰りたい。

 そう思って殻にこもっていると、だんだん周りは面白い方に集まっていき、いつの間にかその場にあったのは飲めないビールと自分だけだった。

 新入生はお金も払わなくていいみたいだし、トイレに行くふりして帰ろうとした瞬間、シャンディ・ガフをオススメされた。いや、いいです。いーからいーから!ね!と埒が明かない会話を繰り返し、じゃあ一口だけと口にしてみると、信じられない美味しさがあった。今まで苦味しか感じなかった金色の液体がこんなにも飲みやすく感じるなんて。

 思わず美味しいと呟くと、目の前の人物はまるで自分を褒められたかのように顔をほころばせた。

 その瞬間、心臓を掴まれる思いがした。

 騒がしいはずの飲み会で、その人の声しか聞こえなくなった。
 これがザキさんとの出会いだった。

  ○○○

 軽音サークルにはその日に入った。
 ザキさんに会うためにサークルには顔を出していたが、話すことはめったになかった。いつも多くの人に囲まれていたからだ。いるだけでその場が明るくなり、行動的で、担当のベースが上手く、どのジャンルの音楽にも詳しいザキさん。
 そして、地味でそこにいても空気になって誰の目にも映らない自分。音楽を知らず未経験のギターを抱えているだけなので話題もない。せめて一つだけでも共通点が欲しかった。

 同期のお情けでバンドを組んでもらったが、ギターの練習よりも必死にシャンディ・ガフに慣れる努力をした。ザキさんが参加すると聞けば、必ず飲み会に参加した。一杯目のビールにも慣れていったが、二杯目はシャンディガフにして徐々にザキさんのいる島に近づいていった。ようやくザキさんの隣に座れたときにはもうシャンディ・ガフで胃がタプタプだった。

 「お!シャンディ・ガフじゃん!ビールも好き?」

 ザキさんは私のことなんて覚えていなかった。だけど、そんなこと気にならなかった。話が出来るだけで嬉しかった。

 ザキさんからまた課題がでたので、今度はスーパーでビールを買いこんだ。冷蔵庫のなかを占領していく大量のビール。家族に苦情を言われたので、部屋に隠し飲む数時間前に冷やしてまでも飲み干していった。

 次の飲み会ではビールをめちゃくちゃ飲む奴ということでサークルに名を轟かせた。

 ザキさんからLINEが来たのはその一ヶ月後の、八月だった。

(続)


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