昭和・平成時代の海外出張はこんなだった
今はセミリタイアして猫3匹とのらりくらり暮らしているので、暇はあれど旅行とは縁のない生活になっているが、そんなワタシでも、過去の長い会社員生活の中では、たくさんの海外出張をしてきた。ある時はゴールデンウィーク中に突然2日後の海外出張が決まったり、4週間で地球一周(世界一周ではない)5カ国を飛び回ったり、年に10回以上も海外出張する年があったりと、2年の海外勤務も含めて多くの経験をした。そんな昔の思い出話をしたいと思う。
ワタシがまだ新米サラリーマンだった30年ほど前は、今ほど活発に誰でも海外出張の機会があるという状況ではなかった。そんなある時、所属部署の課長が海外出張することになった。海外にも事業所がある大手企業だったので特に驚くことでもなく、「課長ともなると海外出張もあるんだなぁ〜」と思ったくらいだ。ワタシ自身も学生時代、バックパック担いでアメリカ一人旅をした経験があり、社会人、とりわけ大企業の課長が海外出張するのは当然で、自分もいつかは行けるだろうと思っていた。
ある日のグループミーティングで、課長の出張スケジュールの詳細説明があった。日曜日に出発して翌週日曜日に帰国する、バブル期の猛烈サラリーマンそのものの強行日程だった。今では考えられないことだが、当時は「24時間働けますか?」が社畜の合言葉だった時代、このくらいの強行スケジュールも驚くことではない。一通りの日程説明のあと、担当者を決めるという話になった。ん?担当って何の担当?頭に疑問符ばかり浮かぶ新米のワタシをよそに、出発日と帰国日にそれぞれ係長1名+若手社員3名が指名された。ワタシも帰国日担当を仰せつかった。で、何をすれば?と先輩社員に聞くと、「当日行けば分かる」とお茶を濁す。なんか嫌な予感だ。。。
課長帰国日の日曜朝、空港に集合した係長以下若手担当者3名、税関出口に直立不動で整列して課長が出てくるのを待つ。自動ドアが開き、いつものスーツ姿とは違ってやけにダサい普段着の課長が出口から出てきたら、全員で一斉に「課長!お疲れさまでした!!」と大声でお辞儀して挨拶。今、国際空港でこんな事したら反社と疑われて空港警備隊に連れて行かれそうだが、その当時はまだ海外旅行客も少なく、それほど目立つ感じでもなかった。日本国旗を振っている団体もいたくらいだ(今なら右翼確定案件)。もちろん、新米社員のワタシも先輩を見習って大声を出した。すぐに係長が課長の傍らに手もみしながら駆けつけておべんちゃらを言い、若手2名は手荷物、免税店のお土産袋、大型スーツケース(なぜか課長に似合わぬパステルカラー)を預かり、残りの1名がダッシュで社用車に戻って出口にクルマを横付けして待機した。そのまま課長を乗せ、自宅まで送り届けるのだ。クルマの中では課長の海外武勇伝に一同皆感嘆の声をあげ、最後は会社に戻って社用車を片付けて任務終了となった。
ちなみに出発日担当になった同期社員に聞くと、だいたい帰国日の反対の行動で、当日朝、課長のご自宅に社用車で迎えに行き、空港に付くと荷物を持ってチェックインカウンターへ。チェックイン後は手荷物検査場入口で整列して見送りし、大声で「いってらっしゃいませ!」とお辞儀をしたと。なるほど、ここまでは帰国日とよくにている。ところが、出発日担当の任務はここで終わらず、その後は空港ビルの展望場に行き、課長の乗った飛行機が離陸して雲の向こうに見えなくなるまで手を振っていたそうだ。いや〜、帰国日担当で良かった・・・。
今では考えられない冗談のような話だが、ほんの30年ほど前まで、日本にもこんな時代があったのだ。しかも、一応誰でも名を知る一部上場企業での出来事。当然、休出手当など付かないし、今なら若手社員が即転職活動を始めそうな話である。