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55歳で会社を早期退職し、3匹の愛猫のお世話をしながら、のんびりセミリタイアライフを楽…

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55歳で会社を早期退職し、3匹の愛猫のお世話をしながら、のんびりセミリタイアライフを楽しんでいるサイドFIRE翻訳者です。過去の海外での面白おかしい体験話を中心に紹介します。

マガジン

  • 40歳からの挑戦:外資系転職と海外移住のリアル

    40歳で日本企業を辞めて外資系企業に転職。2年後にはオーストリア企業に現地採用され家族と共に海外移住しました。その時感じた日本と欧州の違いを、仕事面、生活面の両面で書いてみました。

  • プライベート海外旅行の思い出

    初めて海外旅行した20歳のころから、個人旅行で世界各地を旅行してきました。そんな懐かしい、昔の海外旅行の思い出を書いています。

  • 昭和・平成時代の海外出張

    日本企業と外資系企業、双方で約30年勤務した際に行った海外出張で、いろんな楽しい思い、ひどい目に遭ってきました。そんな思い出話を書いています。

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自己紹介|セミリタイアおやじが海外での思い出話を綴るnote

コロナ禍が始まった直後の2020年6月、31年の会社員生活に終止符を打ち、セミリタイア生活を開始しました。 地方の大学を5年(!)で卒業後、とあるメーカーに技術者として就職し、40歳で外資系部品メーカーに転職。その後、海外エンジニアリング会社への現地就職と海外生活を経て、2020年に55歳でアーリーリタイアしました。 現在は、実務系の翻訳業務をフリーランスとして細々と請負いながら、妻と猫3匹といっしょにのんびりとセミリタイア生活を送っています。資産運用と翻訳事業収入が半々

    • オーストリアのスーパーで見つけた、食と文化の違い

      オーストリアで生活していた頃は、見るものすべてが日本とは異なり目新しさを感じていたため、特別な場所に出かけなくても、街のスーパーに買い物に行くだけで十分に楽しめた。平日は仕事があり、日曜日にはほとんどのお店が休みとなるため、家族でショッピングセンターに買い出しに行くのは必然的に金曜日の夕方か土曜日の朝になる。土曜日をゆっくり過ごしたい週は、金曜日の午後早め(遅くとも午後3時頃)に仕事を終え、家に帰ってすぐに家族で出かけるのだ。金曜夕方の街では、同じように早めに仕事を切り上げた

      • 英会話は学問ではない:実践から学んだ理系エンジニアの英語習得術

        日本企業で海外プロジェクトを担当し、40歳で外資系企業に転職、42歳で念願であった海外企業への転職まで果たした。そして今では翻訳者としてセミリタイア生活を送っている。このように海外と接点の多いキャリアを積んできたが、「英語が得意だったのか」と問われれば、答えはノーである。学生時代は全く英語が苦手で、テストで平均点を取るのも難しかった。 私見ではあるが、理系で英語が得意な人は少ないのではないだろうか。私も例に漏れず、学生時代の英語の成績は散々であった。そんな私が英会話を学び始

        • 日系企業 vs 外資系企業:雇用形態から見る生産性の差

          私は、新卒で就職して55歳でセミリタイアするまで、サラリーマンとして働いていた。その間、日本企業2社と外資系企業2社で約15〜16年ずつ仕事をした経験がある。外資系企業時代には海外本社で外国企業とも仕事をし、日本支社では多くの日系企業との共同プロジェクトにも携わってきた。自分で言うのもおかしいが、国内外の多様な同業他社でこれだけ広範な経験を積んだ日本人サラリーマンは、それほど多くはないのではないかと思う。これまでの経験を基に、日本企業と外資系企業の違いについて、独断と偏見に満

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        自己紹介|セミリタイアおやじが海外での思い出話を綴るnote

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        • 英会話は学問ではない:実践から学んだ理系エンジニアの英語習得術

        • 日系企業 vs 外資系企業:雇用形態から見る生産性の差

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        • 40歳からの挑戦:外資系転職と海外移住のリアル
          10本
        • プライベート海外旅行の思い出
          7本
        • 昭和・平成時代の海外出張
          5本

        記事

          海外転職経験:開発現場における日本と欧州のギャップ

          転職した欧州のエンジニアリング会社での私の役割は、新製品の設計プロジェクトマネージャーであった。それまで日本で同種製品メーカーに15年勤務し、いくつもの設計プロジェクトを経験してきたし、最後は10人強のグループの責任者として新規開発をこなしてきたので、海外でも十分やっていける自信があった。 具体的な私の仕事は、日本の顧客からの開発委託を受けて、新製品を受託開発することであった。自分ではその製品設計の進め方を熟知しているつもりであったが、欧州の会社でのそれは、日本で経験してき

          海外転職経験:開発現場における日本と欧州のギャップ

          超初心者スキーヤー、アルプスに散る……

          日本の国技が相撲であることはよく知っていたが、オーストリアの国技がスキーだとは知らなかった。私が大学生だった40年ほど前、冬になるとほとんどの学生がスキーに出かけるほど、日本でも大人気のスポーツだった。しかし、私はスキーにまったく興味を持てなかった。寒いのがとても苦手だったので、ただでさえ寒い冬になぜさらに寒い雪山に行くのか、その気持ちがまったく理解できなかったのである。今思えば、単に「陰キャ・ボッチ」のひがみだったのかもしれないが……。 そんな私にも、ついにスキーに行く日

          超初心者スキーヤー、アルプスに散る……

          海外転職のリアル:言葉と文化の壁

          日本企業で働いていた頃、数々の海外プロジェクトを担当し、さまざまな国の人々と仕事をしてきた。海外転職をする前は、外資系企業の日本オフィスで働いており、日常的に欧米各国の同僚とやりとりをしていた。また、海外の本社や事業所で短期間仕事をした経験もある。だから、オーストリアの会社に海外転職しても、それなりにやっていけると思っていた。しかし、実際に来てみると、初めはなかなか思うようにいかなかったのである。 最も大きな障害となったのは、言葉の問題だ。そもそも海外で働くのだから言語が重

          海外転職のリアル:言葉と文化の壁

          海外転職のリアル:オーストリアでの子どもの学校探し

          海外企業への転職を考えた際に最も気になるのは、帯同する家族の生活面であろう。特に子どもの学校に関しては、最も悩ましい問題である。我が家が住むことになったグラーツ市はオーストリア第2の都市であったが、人口はわずか25万人で、日本人住民は約25人しかいなかった。当然ながら、そんな小さな街に日本人学校は存在しない。オーストリアで日本人学校があるのはウィーンだけである。ウィーンからグラーツまでは高速道路で約3時間かかるため、毎日通勤するのは現実的ではない。そうなると、現地校に入るか、

          海外転職のリアル:オーストリアでの子どもの学校探し

          欧州流仕事スタイルを体験!オーストリア転職初日のリアル

          海外転職を機に、4月初めに家族とともにオーストラリアへ転居した。しかし、この時点ではまだ正式には前の会社に在籍しており、有給休暇を消化中だった。新しい会社との契約は5月からで、4月の1ヶ月間は「アルバイト」という形で給料をもらい、先行して現地入りしていたことになる。 そんな中、いよいよ新しい会社に初出社する日がやってきた。この1ヶ月間はアルバイト社員という立場だったため、ビザなどの公的手続きを進めつつ導入トレーニングを受ける期間となった。人事部から会社概要や配属部署について

          欧州流仕事スタイルを体験!オーストリア転職初日のリアル

          オーストリア生活開始!驚きと発見に満ちた週末

          家族での移住を伴う転職を決意し、ドタバタと日本を出国した私たち家族は、オーストリアに到着後の最初の1週間、会社が手配してくれたこじんまりとしたホテルに滞在することになった。社宅アパートの準備がまだ整っていないとのことだった。ホテルには小さなキッチンがあり、朝食はホテルのレストランで食べることができた。近くに大きなスーパーもあって、非常に便利で快適な環境だった。 到着したのは金曜日の夜で、土日はホテルでゆっくり過ごすことができた。そのホテルには温水プールがあり、土曜日の朝、早

          オーストリア生活開始!驚きと発見に満ちた週末

          40歳からの挑戦:外資系転職と海外移住のリアル〜日本出国

          40歳の時、長年勤めた日系企業から外資系企業へ転職した。 学生時代に初めて海外旅行をして以来、常に海外との仕事に興味があった。就職後も、海外出張のチャンスがあれば躊躇せずに手を挙げていたし、何度も海外関連部署への異動や海外赴任を志願していた。しかし、会社は国内市場を重視しており、仕事で評価されるほど国内のプロジェクト担当が増え、海外勤務の機会は遠ざかっていった。評価されるのはありがたいが、当時の私はどうしても海外で働きたい、自分とは異なる価値観を持つ人々と接して多くのことを学

          40歳からの挑戦:外資系転職と海外移住のリアル〜日本出国

          1歳児と行った最初で最後のハワイ島旅行

          息子が1歳になった時、家族でハワイに1週間の旅行に行った。それまでハワイといえばワイキキ、ワイキキといえば日本人観光客であふれている買い物天国、という感覚しかなく、どうしても行ってみたいという場所ではなかった。しかし私たち夫婦にも子どもができ、さすがに1歳児を抱えてNYのマンハッタンを歩き回るなんてできない。それでもどうしても海外旅行に行きたかった私たちは、ハワイをはじめての子連れ海外旅行の目的地と定め、旅行の計画を立てたのだ。 当時、会社で受けていた英会話でアメリカ人の先

          1歳児と行った最初で最後のハワイ島旅行

          2005年、満州国・新京(長春)訪問記

          はじめて中国に行ったのは、ある製造業の会社で設計をしていた39歳の時だった。当時ワタシが担当していた製品に、ドイツ・メーカーの部品を採用した。それまでの日本製部品と比べ、その設計の妙に惚れたというのは表向きの理由で、裏の理由は欧州に出張したいからでもあった。その製品がいよいよ量産準備に入り、新しく取引するそのメーカーの生産工程を視察する話があがった。もちろん、設計担当者であったワタシもちゃっかり我先に手を上げ参加することになったのであるが、なんと生産国はドイツではなく中国工場

          2005年、満州国・新京(長春)訪問記

          現代のわらしべ長者|はじめてのファーストクラス

          頻繁に海外出張を繰り返していた時期があった。年に10回以上海外に行く年もあったほどだ。そんな時期、海外から帰国して1週間ほどした時になんだかおなかが痛くなった。それも通常の胃腸の痛みとかではなく、もっと下の方、膀胱の近くに鈍い痛みを感じた。しかも日に日に痛みがはっきりしてきて、ジャンプしたりすると響くようになった。これは膀胱炎かもと、近所の胃腸内科を訪れた。 その街に引っ越したばかりで初めて行く医院だったが、なんだか昭和チックでレトロな雰囲気で、同世代っぽい女医さんに症状を

          現代のわらしべ長者|はじめてのファーストクラス

          1991年湾岸戦争真最中の香港旅行記

          30年前の海外旅行は今のようにネット予約がなかったので、直接ツアー旅行会社のカウンターに出向くか、電話帳(これって死語?)のように分厚い貧乏トラベラーの友、旅行雑誌「ABロード」で安いツアーを探すしかなかった。1990年冬、退屈な日曜日の午後、FMラジオを聞きながらいつものようにABロードのページをめくっていると、激安の香港ツアーを発見。これなら冬のボーナスで行ける!と思い、早速電話で申し込んだ。香港往復航空券+ホテル4泊が基本のツアーパックで、現地観光は別料金となっていた。

          1991年湾岸戦争真最中の香港旅行記

          なぜ献血のできない男になってしまったのか? BSE騒動とイギリス出張

          ワタシは献血ができないらしい。自分勝手を絵に描いたようなセミリタイアおやじなので、特に進んで人助けをしたいと思っているわけではない。しかし、タダで血液検査をしてやろうと企てたとしても、受け付けてさえもらえないようだ。 2000年代初頭、ワタシは仕事の関係でベルギーのブリュッセルに長期間滞在していた。そこを拠点に、ヨーロッパの各地へ訪問を繰り返していた。特にイギリスには工場があり、社内の打ち合わせなどもあったため、よく訪れていた。ちょうどその頃、狂牛病(牛海綿状脳症、BSE)

          なぜ献血のできない男になってしまったのか? BSE騒動とイギリス出張