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朝活より夕活派。
大人になったら朝からチルな音楽をかけて、コーヒーとこんがり焼いた食パン、可愛い花瓶と1輪の花、小さなダイニングテーブルの椅子を引いてゆっくり腰掛ける私。そういうのがやってみたかった。
あとあれもしてみたかったな。朝早くに軽く身支度を整えて、近所の喫茶店でモーニングを食べる。文庫本かノートPCを机に出して、道行く人を眺めたり。
朝を楽しめるってなんとなく大人な気がして、意識的に朝活をしていたこともあったな。朝7時ぐらいに友達とカフェに集まって、英語の勉強をしたこともあった。朝の散歩だってやってみた。
でもどうにもこうにも、何となくしっくりこない。
それより私は夕方が好きだった。特に太陽が隠れた後のじんわりとオレンジが混ざった空。オレンジと青と月が一緒に見えた日は最高。そして、だんだんと暗くなる瞬間がとてもとても好きだった。暗くなるに従って、誰か知らない人の部屋の明かりがついたり、街灯がゆっくり灯ったり、スーパーの看板の点滅がだんだんとはっきり見えたり。
特にそれを、ふらふらと当てもなく街を歩いている時、少し高いところから見ている時、広い場所でただ眺めている時なんかはより一層心臓あたりがギュッとなる。
夕方が好きなことに意味なんてないと思っていた。ただ私は夕方の時間帯が好きなタイプだったんだなあと考えるくらいで。
でも最近なんとなくその意味がわかってきたような気がするので、忘れないうちに書き残しておこうと思う。
おそらく私は、夕方の時間に「自由」を感じているようだ。
日が暮れてだんだんと夜が始まる時、おそらく大抵の人は夜に向けての準備、1日を終えるための支度を始めると思う。そのために行動していると思う。
例えば、今この時間に行き交う車は、多分今から1日を終えるために家に帰っているんだろう。夜ご飯を作るためにスーパーに行く、といった目的があって今ここを歩いているんだろう。学生もそう、部活動を終えて、今から明日に向けて今日を終わらせるために今この時間に自転車を漕いでいるんだろう、そんなことを思う。
大抵の人には夕暮れのこの瞬間にきっと意味がある。あえてわざわざこの時間に出て行く人はきっと夜何かしら活動している夜の住人なんだろう。
そうやって周りが「終わり」を「始めている」中途半端な時間に、私は当てもなく歩いている。帰りを待つ人もいなければ、1日を終えるタイミングを決める人もいないから。自分だけが決めて、決めなければずっとここにいてもいい。
そういう、こんな時間にわざわざ外に出てふらふらしている自分が最高に自由な気がするのだ。終わりに向かっていく人を外側から見ているような気になるのだ。
だんだんと暗くなっていくのと同じように、自分の体も暗闇に溶けていくみたいに、姿がだんだんと見えなくなって、同化していく心地よさも感じる。私がここで踊り狂おうと、近くまで見に来なければ私はただの闇だから。
見えないという安心感も、私を自由にする一つなのかもしれない。
だからこそ、逆にそこから家に帰る時は魔法が解けたような気持ちにもなる。ああ、私は今からみんなと同じように1日を終わらせるために夜を始めるのかと少しがっかりする。できればずっとそこにいたいのに。
こういうところが、何歳になっても卒業できない思春期の残骸を抱えている独身女たる所以なんだろう。まだ卒業できそうにない。いつもセンチメンタル。
小さい時は、夜に出かけるのが何となくいけないことのようで、花火大会やお祭りなんかで出ていく時はドキドキしてワクワクした。その頃から成長できたんだと思いたくて、今更夜になんかワクワクしないわよって大人ぶりたくて朝に憧れていたのかもしれない。
朝日が気持ちいいって私知ってる。もちろん、朝から活動するのも嫌いじゃない。泣きはらした夜は朝を待ち焦がれるし、そんな夜でもちゃんと次の日が始まることに心底安心したこともある。
ただ私はどっちかっていうと夕方が好きだなあ、って、そんな話。
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