なぜ、私たちには聖書が必要なのか?Why We Need The Bible
おそらく、多くの皆さんは『聖書』の存在について知っていることでしょう。
たとえ、神様を信じていない人であっても、おそらく、『聖書』という言葉は聞いたことがあるのではないでしょうか。
神様と共に生きていない人たちは、『聖書』という言葉を聞くと、
・昔の歴史が書かれてある本
・他の国の過去の話が書かれてある本
・キリスト教のルールが書かれてある本
・自分には関係がないことが書かれてある本
などといったイメージを持っているかもしれません。
しかし、聖書は、単なる普通の本ではありません。
聖書は、人間に向けての全能の神からの啓示であり、神の子供たちに向けての重要なメッセージなのです。
神様は、神の子供たちが、この世の悪に染まらないように、神の子供たちが悪の道へと落ちていかないように、
賢く生きていけるように、聖書をとおして『知恵』を授けてくださっているのです。
聖書は、神様が『神の子供たちに与える指南書(ガイダンス)』でもあり、神様から『神の子供たちへのメッセージ』でもあります。
そのため、神の子供である私たちは、神様の言葉である聖書の意味を正しく理解することが必要なのです。
しかしながら、聖書を正しく理解するということは、意外と簡単ではなかったりします。
理由といたしましては、
などといった理由があるのではないかと、私は推測いたします。
実際、私自身も、クリスチャンになったばかりの頃は、そのような理由から、聖書を読むことから遠ざかってしまったときがありました。
今でこそ、私は聖書を深く探究する情熱を持った人になりましたが、クリスチャンになったばかりの私は、
●聖書と実生活がつながらない。
●聖書をどのように自分の生活に実践したらよいのかわからない。
という状態でした。
ただ、こんな私ではありましたが、神様が私を『聖書を探求する者』に変えてくださり、ホーリースピリット(精霊)の力をいただいたおかげで、以前よりは、聖書を理解できるようになりましたので、
もしも、今、聖書を読んでいるあなたが、過去の私と同じように聖書を読むことに苦手意識を持っているのであれば、そんなあなたのお役に立てたら幸いだと思っております。
聖書は、神様からのメッセージであり、神様のガイダンスです。
神の子供である私たちは、聖書から離れてはいけないのです。
そのためには、聖書を理解するための方法を見つけることが重要です。
聖書は、数多くの言語に訳されて、世界中で出回っております。
日本の教会で、多く使用されている聖書は、
●新改訳聖書
●新共同訳聖書
これらの2冊でしょう。
私個人的には、読みやすくて、わかりやすい日本語の聖書は、リビングバイブルだと確信しておりますので、もしも、誰かから、
「一番読みやすい日本語の聖書は何ですか?」
と質問されたら、
「リビングバイブルです。」
と答えます。
(※ちなみに、リビングバイブルは、いのちのことば社から出版されています。)
英語の聖書にも、いくつかの翻訳の種類の聖書がありますが、英語で聖書を読む場合、私がお勧めするのは、
●The Living Bible(リビングバイブル)
●The Good News Bible(グッドニュースバイブル)
これらの2冊です。
これらの2冊は、英語を母国語とせず、英語を第二言語として学んだ人たちにとって、非常にわかりやすい英語が使用されているために、とてもお勧めです。
世界中を伝道した伝道者として非常に有名なビリーグラム牧師(Billy Graham)が、The Good News Bible を使用して、数多くの人たちに伝道していたことは、とても有名な話です。
ビリーグラム牧師の伝道のおかげで、世界中のものすごい莫大な人数の人々が、神の元に立ち帰り、神の子供として生きていくことになりました。
私は、ビリーグラム牧師が『The Good News Bible(グッドニュースバイブル)』を使用しているということを聞き、このように思いました。
もしかしたら、ビリーグラム牧師は、あえて、The Good News Bible(グッドニュースバイブル)を、伝道のために使用していたのではないか?と。
理由は、『The Good News Bibleは、人々にとって、わかりやすい英語で書かれた聖書』だからです。
私が非常に尊敬しているドクター・チャールズ・スタンリー 牧師(Dr. Charles Stanley)は、世界的に有名な伝道者なのですが、
ドクター・チャールズ・スタンリー 牧師(Dr. Charles Stanley)も、以前、「The Living Bibleを、毎日、読んでいた。」と言っておりました。
ビリーグラム牧師と、ドクター・チャールズ・スタンリー 牧師に共通していることは、
ということと、
ということです。
英語の聖書としては、おそらく、オーソドックスな定番の聖書は、キングジェームス版だと思います。
キングジェームス版の聖書は、アメリカの多くの教会で使用されている聖書です。
しかしながら、世界的に有名な伝道士のおふたりが、人々に伝道する目的でよく使用していた聖書は、
●The Living Bible(リビングバイブル)
●The Good News Bible(グッドニュースバイブル)
ということですから、非常に興味深い話だと私は思いました。
ここで、私たちは、今一度、このことを考えてみる必要があります。
理由は、おそらく、
という理由なのではないかと、私は推測いたします。
そのような背景から、私は、「どの聖書が、一番、わかりやすい聖書か?」ということを追求し始めたという経緯があります。
その結果、私の目から見ますと、日本語の聖書で最もわかりやすく、読みやすい聖書、理解しやすい聖書は『リビングバイブル』ということになったのです。
聖書は『神様の言葉』です。
そのため、もしもあなたが聖書を読んで、聖書の意味がまったく理解できない、ということであれば、それは、神様が望むことではありません。
聖書をもっと深く探究する場合は、いくつもの違う翻訳の聖書を読むことが適しています。
理由は、いくつかの種類の翻訳の聖書を読むことによって、ひとつの聖書で書かれていること以外の『大事な情報と意味』を見つけることができるからです。
例えば、伝道者の書を例にとってお話してみますと、まず、日本語の聖書では、伝道者の書は『コヘレトの言葉』と訳されている場合があります。
●新共同訳聖書・・・コヘレトの言葉
●新改訳聖書・・・伝道者の書
と記載されてあります。
私は、1955年改訳の『口語訳聖書』を持っておりますが、『口語訳聖書』では、『伝道の書』と書かれております。
伝道者の書とコヘレトの言葉。
なぜ、2つの別のタイトルが存在しているのでしょうか。
そもそも、伝道者とは誰なのか?コヘレトとは誰なのか?
この点についての正しい情報がなければ、伝道者の書・コヘレトの言葉が、なぜ、書かれているのかについての『意図』が読み取れないように思えます。
それぞれの聖書をさらに見ていきますと、
と書かれてあります。
と書かれてあります。
と書かれてあります。
と書かれてあります。
では、英語の聖書では、伝道者の書とコヘレトの言葉について、どのような記載がされているのでしょうか。
The Good News Bible(グッドニュースバイブル)では、『Philosopher, David’s son, who was king in Jerusalem』と書かれてありますが、
Philosopherは哲学者という意味ですので、エルサレムの王であるダビデの子というのは、哲学者であったことを意味します。
The Holy Bible(New International Version)ホーリーバイブルでは、『Teacher, David’s son, who was king in Jerusalem』と書かれてありますが、
Teacherは教師(教える人)という意味ですので、エルサレムの王であるダビデの子というのは、教師、あるいは、教えることに長けている人であったことを意味します。
The Living Bible(リビングバイブル)では、伝道者の書の著者(author)は、エルサレムの王であるダビデの子・ソロモンと言っており、
さらには、ソロモンのことを『Preacher(説教する人)』と言っているのです。
いかがでしょうか。
このように、違う種類の翻訳の聖書を見てみますと、
伝道者の書・コヘレトの言葉というのは、エルサレムの王であるダビデ王の子・ソロモンによって書かれ、
また、ソロモンは哲学者であり、教師(教える人)であり、説教者(説教ができる人)であった、ということがわかります。
ソロモンが伝道者の書・コヘレトの言葉を書いた著者だということになりますと、伝道者の書・コヘレトの言葉で言われているすべての言葉が、非常に納得いくものになります。
理由は、ソロモンは、世界で最も有名で、最も有力な王であり、最も大金持ちであり、最も知恵があり、最も文才に優れていた人だからです。
この地のすべての栄華と富と権力と名誉、そして、すば抜けた知恵を手に入れたソロモンだからこそ、『すべては無意味』ということを言えるのでしょう。
では、ここで『コヘレト』という言葉についての疑問が残りますので、コヘレトについて考えてみます。
なぜ、コヘレトという言葉が使用されているのかにつきましては、いくつかの諸説があります。
『コヘレト』とはヘブライ語で、語りかけるために『人や集会を集める人』という意味を持っているとも言われており、
また、別の聖書(フランシスコ訳聖書)では、『コヘレト』は、本名ではなく、筆名(ニック―ネームやペンネームのようなもの)とも言われています。
さらには、『コヘレト』とは、仕事・職業を指し、集会の司会者の意味を持っていたり、知恵の教師であったり、あるいは、説教師などの意味をも持つと言われています。(※フランシスコ訳聖書より)
そうなりますと、
コヘレトという言葉自体が『ソロモンは哲学者であり、教師(教える人)であり、説教者(説教ができる人)』というキャラクター性に合致しているのではないかと思うのです。
いかがでしょうか。
聖書のほんの一箇所… 「伝道者の書を誰が書いたのか?」ということにおいて、明確な答えを見つけるために、私は複数の聖書を読み比べましたが、非常に興味深い体験ができたように思えます。
私個人的には、複数の種類の翻訳による複数の聖書を読んだ方が、より一層、理解を深めることができるとは思っていますが、
ただ、これは、時間もかかりますし、労力も非常にかかりますので、まず、あなたにお勧めしたいことは、
●あなたにとって、読みやすい聖書を見つける。
●あなたにとって、わかりやすい聖書を見つける。
ということです。
以前、私は、一冊の本に出会いました。
それは、『イエスの言葉』ケセン語訳 という本です。
この本は、ケセン語(岩手県気仙地方の方言)で訳された福音書なのですが、山浦玄嗣(はるつぐ)さんという医師が、ご自分の出身地の方言であるケセン語で、聖書の福音を翻訳したものです。
私は、この本を読んで、初めてケセン語(岩手県気仙地方の方言)について知ったのですが、
「神様の言葉を理解するということは、まさに、このようなことなんだ。」と、目からウロコの気分になりました。
ケセン語は、ガキグゲゴ といった濁音が、言葉のあちらこちらに含まれるとのことで、たとえば、
ヨハネの福音書のはじめの言葉。
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。
これを、山浦玄嗣(はるつぐ)さんは、次のようにケセン語で訳されています。
初めに在(あ)ったのァ 神さまの思いだった。思いが神さまの胸に在(あ)った。その思いごそァ 神さまそのもの。初めの初めに神さまの胸の内に在(あ)ったもの。
山浦玄嗣(はるつぐ)さんは、このように言います。
『天地の初めにあったのはまず神さまの思いであったと、ヨハネは言います。その思いは、神さまの胸にあり、その思いこそは神さまです。神さまの思いとは、あらゆるものを幸せと喜びに導く熱き思いです』
このケセン語訳の本を読んだ時、私はこのように思ったのです。
「もしかしたら、たとえ、同じ日本語でも、自分たちが使い慣れている言葉に翻訳されていないと、自分たちの心に響く言葉になって伝わらないのかもしれない…。」と。
それと同じようなこととして、「たとえ、同じ日本語でも、自分たちが使い慣れている言葉に翻訳されていないと、聖書の内容を理解することは難しく感じるのかもしれない…。」と。
そのような経緯があり、私は、『わかりやすい聖書』『理解しやすい聖書』を探し続け、何種類もの聖書を読み比べた結果、
日本語聖書の場合は、
●リビングバイブル
英語聖書の場合は、
●The Living Bible(リビングバイブル)
●The Good News Bible(グッドニュースバイブル)
という結論に達したのです。
私個人的には、どの種類の聖書を読もうが、神様の言葉を正しく理解できるのであれば、どの聖書でもいいのではないかという思いがあります。
神様が神の子供である私たちに伝えたいメッセージを、私たちが正しく理解することは、非常に重要なことだと思うのです。
理由は、私たちがこの世での正しい道を進むためには、神様のガイダンスが必要だからです。
終末時代には、偽教師が増えるということは、聖書でも言及されているとおりです。
だからこそ、私たちは、神様の言葉を正しく伝えてくれる説教者を選ばなければいけませんし、
神様の言葉を正しく伝えてくれる説教者を選ぶためには、自分たち自身で神様の言葉である聖書を学び、神様の言葉を正しく理解しなければいけないのです。
この記事を読んでくださっているあなたも、ぜひ、あなたにとってわかりやすい聖書を選んでいただき、聖書を読んでみて下さい。
その際には、神様の言葉を正しく理解できるよう、ホーリースピリット(精霊)に力を与えていただくように求めていくことも大切です。
あなたが神の子供として生きているのであれば、あなたは神様が承認した、れっきとした神の子であるため、
あなたの中には、神様から贈られたホーリースピリット(聖霊)が住んでおり、あなたが試練を乗り越えるために、神様とホーリースピリット(聖霊)があなたに必要な助けを与えてくれるのです。
もしも、今、この記事を読んでくださっているあなたが、まだ、神様の子供として生きていく決心をしていない場合は、ぜひ、今日、この瞬間に、神様の子供として神様と共に生きる決意をして下さい。
私は、あなたが神様を求め、神様と共に歩む道を選ぶことを切に願っています。
Article by Toshie Ito ©copyright Good news Minstries with Toshie Ito
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