そもそも、信仰とは一体何なのでしょうか?What is Your Convictions About Faith?
単に、クリスチャンになったからといって、信仰を持っているとは言えません。
クリスチャンになったからといって、信仰を持っている証明にはなりません。
そもそも、信仰とは一体、何なのでしょうか。あなたは信仰の本当の意味を知っていますか?
信仰の本当の意味を知ることによって、あなたは今まで以上に成長し、そのことによって、あなたの人生は大きく変わることでしょう。
信仰という言葉…。
おそらく、多くの皆さんは『信仰』という言葉については、聞いたことがあることでしょう。
『信仰』という言葉を、辞典で調べてみると、次のような説明を見ることできます。
通常、多くの皆さんは、信仰という言葉は、何らかの宗教の中のみで使用されている言葉だと思い込んでいらっしゃるかもしれませんが、実は、信仰という言葉は、宗教以外のことについても用いられているのです。
この場合は、何かを信じて疑わないことを指して『〇〇信仰』というような使い方になり、例えば、ブランド(高級ブランドなど)を絶対のものだとして信じて疑わない場合は、『ブランド信仰』と言ったりします。
Faith という言葉の正しい発音ですが、Faith の 『th』の正しい発音は、日本語の音では表現できない音ですので、この場では『Faith』をカタカナ表記にすることは避けさせていただきます。
※ちなみに『Faith』はフェイスという発音ではありませんのでご注意下さい。
「信仰とはどのような意味なのか?」ということを考える場合、ただ、日本語の『信仰』の意味だけに頼った理解をするのではなく、
「英語ではどのような定義になっているのか?」ということを知ることが、信仰という言葉をより深く理解するために役立つことであると私は思います。
信仰は Faith です。Faith の定義は次のようになっています。
日本語に訳してみますと次のような意味になります。
いかがでしょうか。
日本語の『信仰』の意味よりも、さらにもっと、深い意味合いが『信仰/Faith』にはあることが理解できるのではないでしょうか。
つまり、信仰の中身というのは、
ということであるです。
ちなみに、Faith の英語の定義の中に出てきた『Devotion/ディヴォーション』とは、直訳すると『精進して献身的になること』という意味になるのですが、
クリスチャンとしての『Devotion/ディヴォーション』とは、”神様との交わり”を指します。
神の子供として生きている私たちにとっては、『Devotion/ディヴォーション』は、とても大切なことです。
なかには、その必要性が曖昧に感じられたりするために、『Devotion/ディヴォーション』の意義がわからなかったり、
あるいは、『Devotion/ディヴォーション』の本来の意味や目的を理解していないため、なかなか、やる気にならない方たちもいらっしゃるかもしれません。
では、なぜ、『Devotion/ディヴォーション』が必要なのでしょうか?
■『Devotion/ディヴォーション』が必要な理由とは?
『Devotion/ディヴォーション』が必要なひとつめの理由は、
もしもあなたが、既に、神の子供として生きていらっしゃるのであれば、あなたは父なる神様と『親と子』の関係性をお持ちのはずです。
神様は、神の子供である私たちからの話を聴くことを望んでおられます。
それは、親の立場として当然のことと言えるでしょう。
もしもあなたが、親という立場であり、この世でのあなたのお子さんがいらっしゃる場合、
おそらく、あなたはご自分のお子さんからのお話を聴きたいと思うのではないでしょうか。
どんな些細なことでもいいから、自分の子供の話を聴きたいと思うのは、多くの親が共通して願うことでしょう。
また、もしもあなたが子供という立場であり、この世でのあなたの親がいらっしゃる場合、
あなたはご自分に関することや、ご自分が頑張ったことなどを親に話したり、
ときには、くだらないと思えるような話題でも、心を許して話せることができることができたら、
あなたと親の関係性はきっと良い関係になることでしょう。
もしもあなたが、誰かとの関係性を深めたいと思うのであれば、おそらくあなたは、その人と何度もメッセージの交換をしたり、ときには電話をしたり、直接、会って話をすることをおこなうのではないでしょうか。
まさか、相手の方とまったく接触をせずに仲良くなれるなんて思っていませんよね?それは、普通に考えてムリですよね(苦笑)
神様との関係性を深めることも、それと同じです。
私たちが、神様との関係性を深めるためには、個人的な交わりの時間を持つ必要があるのです。
神様と個人的な交わりの時間を持つことは、私たちのイエス様もおこなっていたことです。
マタイの福音書14:22-23ではこのように言っています。
イエス様にとっては、父なる神様とふたりきりで対話をするために、おひとりになる時間と場所を確保することが必要でした。
イエス様も、おひとりの時間を持ち、神様との個人的な交わりの時間を持っておられたのです。
なかには、「私は、毎週、教会に通っているから、教会に通うことだけで十分で、『Devotion/ディヴォーション』は必要ない。」と思われる方たちもおられますかもしれません。
しかし、毎週、教会に通っているからといって、それだけでは、神様との関係は深まりません。
神様との関係を深めるためには、『Solitude/ソリテュード』を選択することが重要です。
『Solitude/ソリテュード』についての詳しいお話はこちらをご覧下さい
聖書のマタイの福音書6:6では、次のように言っています。
『一人で部屋に閉じこもる』という言葉の意味は、”神様と自分が誰にも干渉されず、ふたりっきりで真摯に向き合っている状態”を作るということです。
そのため、もしも、自分ひとりの個人部屋を確保することが難しい場合は、世の中の雑音から離れてひとりになれる場所であれば、どこでも構わないと思います。
以前、私が見た映画に『祈りのちから』(原題:War Room)という映画があり、この映画は、ある夫婦の夫婦関係が悪化し、夫は仕事で大きな不祥事を起こし、さらには、夫には不倫疑惑が発生し、
家族関係に大きくヒビが入っていたこの家族が、大きな問題に直面していたとき、
ひとりのクリスチャン女性ミス・ウィリアムズが、その家族が救われるためには『神様へ立ち返ること』が必要であるとその家族に教えていくお話です。
そのお話の中で、ミス・ウィリアムズには、”ウォー・ルーム(War room)”と呼んでいるクローゼット(洋服を収納する部屋)があり、彼女はそのクローゼットを神様への祈りの場所として使っていました。
ミス・ウィリアムズは、「敵と戦うために、あなたは膝を突いて祈らなければなりません。」と、その夫婦の妻に力説し、
妻は、ミス・ウィリアムズの勧めに正直に従い、神様への救いを求め、自分自身も、クローゼットを”ウォー・ルーム(War room)”にし、忍耐強く、神様に祈り続けた結果、神様が祈りに応えてくれるということが起こったのです。
膝をついて祈るということについては、聖書のエペソ人への手紙3:14でも言われています。
私はこの映画を観て、「クローゼットをお祈りのための場所として確保する」というのは、とても良いアイディアだと思いました。
もしも、自分だけのお部屋を確保できない場合、ひとりになれる場所を確保するためには、このような方法もあるのだと、目からウロコの気分でした。
もしも、『祈りのちから』(原題:War Room)にご興味がある方は、ぜひ、ご覧になってみて下さい。
神様は私たちのことをいつも見ておられますが、それでも、私たちが真摯に神様と向き合わなければ、神様からの私たちへの語りかけも聞こえないのではないかと、私は思います。
『Devotion/ディヴォーション』が必要なふたつめの理由は、
『Devotion/ディヴォーション』の時間の中で、聖書を読むということも大切です。
理由は、聖書の中には、神の子供である私たちに向けての神様からのメッセージがたくさん書かれてあるからです。
しかしながら、ただ、漠然と聖書を読んでも、神様の言葉を正しく受け取れないかもしれません。
そのため、もしも神様からのお言葉をきちんと正しく受け取りたいのであれば、聖書を読み始める前に神様に向けて次のようなお祈りをすることがお勧めです。
実は、神様が与えてくださる精霊(ホーリースピリット)の力と聖霊の導きを求めることは、私たちにとってはとても重要です。
なぜなら、私たちはホーリースピリット(聖霊)の力がなければ、聖書に書かれた神様の言葉を正しく理解することができないからです。
イエス様は、聖書のヨハネの福音書14:26で、このようにおっしゃっています。
さらに、イエス様は、私たちにこのように約束してくださっています。
ホーリースピリット/精霊は、私たちの助け手であり、私たちが父なる神様の言葉やメッセージを正しく理解するためのとても重要な役割を担っているのです。
そのため、私たちには、神様に『ホーリースピリット(精霊)の力と導きを与えていただくこと』をお願いすることも必要なのです。
■信仰(Faith)を持つとは、どういうことか?
信仰(Faith)を持つとはどういうことかというと、
(1)神様の言葉を聴くこと(Listen)
(2)神様の言葉に従って生きること(Obey)
(3)神様と対話すること(Talk&Pray)
(4)神様を信頼すること(Trust)
です。
私たち神の子供にとっては、聖書は神様からのガイダンスであり、神様からの指針です。
だからこそ、聖書を正しく理解するために、ホーリースピリット/精霊の力を求めることが、私たちにとっては必要なことになるのです。
神様の言葉に従って生きるということは、神様の言葉を実践することです。実践するためには“行動(Action)”が必要です。
行動がなければ、信仰は死んだものと同じだと聖書のヤコブの手紙2:26では言っています。
※ヤコブは、英語ではJames/ジェイムズと呼ばれています。
ヤコブの手紙2:12では、
「キリストの命令を守る者にふさわしく語り、行動しなさい。思いやりのない人には、思いやりがないさばきがくだります。しかし、あわれみ深い人には、神のあわれみがあるのです。」
と言われています。
神の子供である私たちには、神様の言葉に従った『実践の行動』が必要なのです。
イエス様も、父である神様と祈りを通して、対話をしておられました。
そのことは、聖書のマルコの福音書1:35にも書かれてあります。
※マルコは英語ではMark(マーク)と呼ばれています。
イエス様がそうなさったように、私たちもイエス様を見習い、父なる神様とのふたりっきりの対話をすることが大切です。
神様を信頼することは、神様を疑わずに強く信じることです。
世の中には、「神様なんて信じない。」とおっしゃる方たちもおられることでしょう。
しかし、実際には、聖書と神様のことを学べば学ぶほど、逆に、神様が存在していることを認めざるを得ない数多くの証拠が、歴史上の中でも発見されているという事実に直面します。
聖書には、神様のことがこのように書かれています。
※申命記の『申命(しんめい)とは、“繰り返し命じる”という意味で、申命記という言葉は、漢語訳の聖書で使用されていた名称から来ている言葉です。
日本語の聖書で申命記という言葉が使用されている理由は、日本語の聖書は、明治維新期に”漢語訳聖書”を参考に日本語訳に翻訳されたからです。
神様は、神の子供である私たちを『最善の人生へ導く』と約束されています。
しかも、神さまは私たちに、助言を与えながら、私たちの一歩一歩を見守ると言っておられるのです。
こんな心強いことはありません。
私たちには、信頼できる神様がついています。
そのため、神様とあなたの関係性を、益々、深くしていただき、何事にも感謝を込めて、神様への祈りを捧げ、神様にあなたの正直な気持ちを打ち明けていって下さい。
神様は、あなたとの関係性が深くなることを望んでいらっしゃいます。
Article by Toshie Ito ©copyright Good news Minstries with Toshie Ito
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