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あなたがこの世に存在している理由Why You Are Exist in This World?

あなたは、今、あなた自身が、なぜ、この世の存在しているのかを考えたことがありますか?

あなたがこの世に存在しているということは、あなたには生物学的な両親がいるわけですが、

ただ単に、『生物学的な両親から生まれたから、あなたがこの世に存在している』ということが、あなたがこの世に存在している理由にはなりません。

以前、私は、科学的な側面から見た人間の生命の始まりについて学んだことがありますが、

人間という生き物の構造を知れば知るほど、人間という生き物が、何らかの偶然のアクシデントによって生まれたものではないことがわかります。

この世界では、

●人間というのは、他の動物の進化過程の中で発生した(進化論/Evolution)

このような説を強く信じている人たちが大勢おりますが、

しかし、実際には、本当の意味で科学を極めた科学者たちの多くは、人間の進化論には反対の意を唱えており、

むしろ、多くの科学者たちは、人間の進化論は絶対にあり得ないということを主張しているのです。

その証拠のひとつといたしましては、遺伝子の研究をおこなっている研究者たちの話によりますと、

遺伝子の研究をおこなっていると、生命があまりにも精妙な設計であることを見つけ、それが、単なる偶然によって、書き込まれたものとは、とても思えない。

そこには、人間を超える何か偉大な存在を意識せずにはいられない。

ということなのです。

生命科学の先端に立つ科学者ほど、『人間は進化論で生まれたわけではない』と、実感することが、非常に増えていったとのことなのです。

遺伝子の本体であるDNA(デオキシリボ核酸)が発見されたのは、1860年代の後半と言われています。

その後、遺伝子の本体であるDNA(デオキシリボ核酸)は、ほとんど注目されないまま、年月が過ぎますが、1953年にジェームスワトソンと、フランシスクリックが、DNAの二重らせん構造とその仕組みを解明しました。

※ワトソンとクリックによって、 Molecular Structure of the Nucleic Acid (核酸の分子構造)と題された論文が発表されました。

『DNAの二重らせん構造』という言葉は、おそらく、多くの皆さんが学校の授業の中で、一度は聞いたことがある言葉だと思います。

ヒトのゲノム(全遺伝情報)の重さは、1グラムの2000億分の1と言われており、その幅は、1ミリメートルの50万分の1と言われています。

これだけでも、普通の一般人にとっては、どれくらい小さいものであるのか、まったく想像がつかないものだと思いますが、

●1グラムの2000億分の1

●1ミリメートルの50万分の1

という数値を見れば、ものすごく、非常に小さいものであるということは、通常の頭脳を持っている人たちには認識できることだと思います。

そして、さらに驚くべきことは、

この超・極微小の非常に小さいゲノムには、『32億という数のDNAの塩基(A・T・C・G)の情報』が書き込まれており、それが、人体には約60兆、存在する。

というのですから、もう、摩訶不思議の世界です。

※ATCGとは、アデニン(A)、チミン(T)、シトシン(C)、グアニン(G)という名前です。ご興味がある方は、ご自分で人間のDNAやゲノムについて調べてみてください。

このような理由から、数多くの科学者たちや、遺伝子の研究をおこなっている数多くの研究者たちは、

いったい、誰がこんな『超・極微小の非常に小さいゲノム』の上に、32億もの情報を書き込んだのか?

この『超・極微小の非常に小さいゲノム上に書き込まれた32億もの情報』は、生命の材料を作るための指示を出す、極めて重要で整然たる情報であるため、これが、単なる偶然の結果によって、書き込まれたこととは、到底、考えられない。

このことは、「人間を超える大いなる存在がなければ、遺伝子情報そのものが存在するわけはない。」と、考える方が自然である。

と言うのです。

つまり、科学を極めた数多くの科学者たちや、人体の遺伝子を研究する数多くの研究者たちは、人間という生き物が生まれた背景には、

『まさに、人知を超えた大きな力を感じる』

『人間は、進化論のように生まれたわけではない』

と言っているのです。

世の中には、「神様が人を造った」ということに対して、否定的な考えを持つ人たちが一定数、おりますが、

しかし、科学や遺伝子の研究が進めば進むほど、多くの科学者たちや研究者たちも、神の存在を信じるという方向に変わっているわけです。

創世記の第2章では、神様が人間を創造したことについて書かれています。

主なる神は、土(アダマ)の塵(ちり)で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。(新共同訳/創世記2:7)

神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生き物となった。(新改訳/創世記2:7)

主なる神が人を造る時が来ました。まず、地のちりで体を造り上げ、それにいのちの息を吹き込んだのです。そこで人は、生きた人格を持つ者となりました。(リビングバイブル/2:7)

Then the LORD God took some soil from the life-giving breath into his nostrils and the man began to live.(Genesis 2:7)

これは、多くの皆さんが知らないことかもしれませんが、実は、私たちの人間の体を構築している成分は『土を構成しているの成分』と同じなのです。

そうなりますと、神様が人間を造った際に『土(アダマ)の塵(ちり)』を使用したということも、辻褄が合うことなのではないかと思うのです。

人間は、死んだ後、肉体は『土に返る』と言われています。

聖書ではこのように言っています。

人間が獣よりもすぐれている点などないのです。なんとむなしいことでしょう。どちらも同じ所へ行くのです。土から出て土に帰るのです。(リビングバイブル/伝道者の書3:19-20)

人間は動物に何らまさるところはない。すべては空しく、すべてはひとつのところに行く。すべては塵(ちり)からなった。すべては塵に返る。(新共同訳/伝道者の書3:19-20)

人は何も獣にまさっていない。すべてはむなしいからだ。みな同じ所に行く。すべてのものはちりから出て、すべてのものはちりに帰る。(新改訳/伝道者の書3:19-20)

昔から、人間が死んだ後、死んだ人間の肉体は、土の中に土葬という形で埋められています。

近年では、特に日本では、人間が亡くなった後の肉体を火葬してから埋葬するという方法が一般的ですが、西洋では、亡くなった後の肉体を火葬をせずに、そのまま、肉体を土葬として埋葬する方法が一般的です。

しかし、これこそが、まさに、『人間の肉体が土に返る』ためにおこなわれてきたことなのではないでしょうか。

日本でも、以前は、火葬ではなく土葬が主流でした。

実際には、明治時代には、明治政府によって、『火葬禁止令』が出され、明治時代、日本では火葬は禁止されていたという経緯があるのです。

今の日本では、土葬をする土地が減ってしまったため、火葬という方法が主流になっているようですが、それでも、一部の日本の地域では、土葬をおこなっている地域もあるようです。

私たち人間は、神様の何らかのご計画のために、この世に存在しています。

しかし、神様のご計画は私たち人間には計り知れないことであり、私たちのような未熟な生き物の目線では、神様の壮大なご計画を想像することもできません。

おそらく、神様を信じない者たちにとっては、自分たちの人生が神様のご計画の一部であるということは認めたくないことでしょう。

けれども、たとえ、この世に存在している悪者であっても、神様の『良いご計画を達成するためのコマの役割』をしている場合があるのです。

神の存在を否定する多くの者たちは、

●人生とは、自分の目標を達成するためにあること

●人生とは、自分の好きなことをやるためにあること

●人生とは、お金を稼いで財産を増やして楽しいことをするためにあること

などと思っているかもしれません。

あるいは、もしかしたら、多くの皆さんは、

この世に赤ちゃんとして生まれてから幼少時代を過ごし、そして、学校を卒業し、会社に就職し、毎日、仕事に明け暮れた毎日を過ごし、

その中で、自分が稼いだお金で好きなことをし、適当に遊び、そして、ある一定の年齢になったら誰かと結婚をし、子供が生まれ、子供を育て、子供が大人になった頃、自分たちも歳を取り、仕事を引退する年齢になる。

その後は、歳とともに、肉体的にできないことが増え、そのうち、70歳、80歳というような年齢の高齢者と呼ばれる人たちになり、病気になったり、あるいは、自分の寿命と共に、この世を去る。

これが、人の人生と思っているのかもしれません。

しかし、これが人間の人生だとしたら、何と空しい人生なのでしょう。

これが人生だとしたら、はたして人間は一体、何のために生命を受け、この世に存在しているのでしょうか。

この世の中は、過去も現在も、相変わらず、悪で満ちています。

それだけではなく、

この世は、地の至るところで正義がすたれてしまい、犯罪が横行し、法定さえお金次第になっていると聖書は言っています。(伝道者の書3:16)

今の現代では、そのような状況を目にすることが、益々、増えています。

では、このような世の中で、なぜ、あなたが存在しているのでしょうか。

私たちが、この世に存在している理由というのは、一体、何なのでしょうか。

このことを理解するためには、今一度、創世記に立ち戻る必要があります。

そもそも、神様は、なぜ、この世界を創造されたのでしょうか?

神様の単なる気まぐれだったのでしょうか?

それとも、神様は嫌々ながらも、この世界を創ったのでしょうか?

神様が単なる気まぐれでこの世界を創ったわけではないことや、神様が、嫌々ながら、この世界を創っているわけではないことは、創世記の1:3-4を見ればとてもよくわかります。

創世記の1:3-4には、「神様はご自分が作ったものを見て、神様は大いに満足した」と書かれてあります。

このことからも、神様は『ご自分が創ることに喜びを感じておられた』ということがわかるのではないでしょうか。

そして、ご自分が満足するように創った『地と空と海と生き物』を治めさせるために人間を創造し、

さらには、ご自分が創ったその人間を『神の特性を持つ者として、男と女に創造された』ということなのです。(創世記1:27)

神様は、喜んで人間を祝福し、人間がこの地に存在しているすべての動物の主人になることをお命じになり、

さらには、この世に存在している植物、実のなる木、これらをすべてを人間に与えてくださり、

人間が食物で困らないように、すべて好きなだけ食べていいとおっしゃっていたのです。

このことからも、神様が人間を創造された目的の中には、『神様の元で人間が幸せに暮らすこと』があったことがわかります。

しかし、それは、残念ながら、サタンの誘惑を受けたアダムとイヴの愚かな行動によって壊されてしまいます。

これが、人間の中に『シンネィチャーSin Nature(罪の根)』が入り込んだ瞬間です。

その出来事以来、人間は『シンネィチャー Sin Nature(罪の根)』によって、生まれながらにして、神様から離れた者になってしまった のです。

シンネイチャー Sin Nature (罪の根)について、もっと詳しく知りたい方は『あなたは何とつながっていますか?』をご覧になってみて下さい。

サタンの誘惑を受けたアダムとイヴの愚かな行動によって、人間の中にシンネィチャーSin Nature(罪の根)』が入り込み、

さらには、この世はサタンと悪人が支配する、いわゆる『悪の帝国』のような場所になってしまいました。

そのような世界で、なぜ、あなたは存在しているのでしょうか。

そのような悪に支配されたこの世の中で、なぜ、私たちは存在しているのでしょうか。

その疑問についての答えを見つけるためには、実は『ヨハネの黙示録』の最終章を読み解く必要があります。

ヨハネの黙示録の最終章では、『新天新地(新しい天と新しい地)』について語られています。(ヨハネの黙示録21章)

新しい天と新しい地では、神は人々と共に住み、人々は神の民となると書かれてあります。(ヨハネの黙示録21:3)

この場所には、のろわれたものが何ひとつつなく、神と子羊(イエス様)の王座があり、神に仕える者たちが礼拝しており、この場所では、神様と直接、顔を合わせることができると聖書には書かれてあります。

この世の悪とサタンが神様に滅ぼされた後、人は神様の国である『新天新地 / 新しい天と新しい地』に行くことができるのでしょう。

しかし、神様の国である『新しい天と新しい地』に入れる者については、聖書では明確に言及しておりますので、

この条件を満たさず、『新しい天と新しい地』に入れない者は、かなり大勢いることが推測されます。(ヨハネの黙示録22;15)

これは、私の個人的な見解になってしまうのですが、もしかしたら、今、この世にいる私たちは、神様の国である『新天新地 / 新しい天と新しい地』に入るためのトレーニングを受けている最中なのかもしれません。

神様は、『新天新地 / 新しい天と新しい地』には、一切の悪を入れたくないのだと私は思います。

理由は、もしも万が一、『新天新地 / 新しい天と新しい地』に、たったひとつの悪が入り込んでしまったら、

あるいは、アダムとイブから継承されている『シンネイチャー Sin Nature(罪の根)』が入り込んでしまったら、サタンと悪で支配されたこの世と同じ状態になってしまうため、

同じことを、再度、繰り返さないために、一切の悪の根を断ち切るという目的で、さらには、神の義を守る正しい者(Righteous/ライチェス)として神様の元へ戻るために、今、私たちはこの世での鍛錬を受けているのではないでしょうか。

神の子供として生き、イエスキリストを信じる私たちは、『子羊のいのちの書』に名前が記されている者たちです。

神様は、『子羊のいのちの書』に名前が記されている者たちを、『新天新地 / 新しい天と新しい地』に入れることを計画しておりますが、

ただ、なかには、羊の皮を被った狼がいる可能性があるため、それらを適切に振り落とし、神に仕える本物の『子羊のいのちの書』に名前が記されている者たちを厳選したいのではないかと思うのです。

だからこそ、この世は、神の子供として生きる者にとっては、サタンと悪の誘惑に負けず、誠実に神様を求める者としてのトレーニングを受ける場所であり、

『新天新地 / 新しい天と新しい地』で、神様と一緒に暮らせる者(Righteous/ライチェス)として、より一層、ふさわしい者になるための鍛錬に必要なことを継続していく場所なのではないでしょうか。

いかがでしょうか。

神様の壮大なご計画の一部をご理解いただけましたでしょうか。

神の子供である私たちは、ただ単に、この世で苦しむために生命を受けたわけではないのです。

私たちは、この世で十分なトレーニングをして、最終的には神様の元に戻るのです。

神様の壮大なご計画の中に組み込まれているあなたが、神様のためにお役に立てる者になることを私は切に願っています。

Article by Toshie Ito ©copyright Good news Minstries with Toshie Ito

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