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常識いらね

自分の人生の中でもっとも有意義だった(であろう)気付きの一つが、「常識ってゆーほど重要じゃなくね?」でした。あくまで個人的な話ではありますが、今回は「常識」をテーマにお話しします。

なお、この話の結論は「いらねー常識もあるよね、それを捨ててこう」です。


常識とはなんぞ?

Weblio辞書によると、常識は以下のように説明されています。

一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。「常識がない人」「常識で考えればわかる」「常識に欠けた振る舞い」「常識外れ」

カサンドラ期に私は非常識な発達弟にずいぶんと悩まされましたが、実は私は「常識ってさほど役に立たないよね?」とこれまでの人生の大半をかけて疑問を抱き続けてきた人間でもあります。最初に疑問を抱いたのは、カサンドラを経験するよりもずっと前のこと。10代には既にそうで、「優しい子はなぜ損をするのか」を主題とした原始的な疑問を機に、生き方を大きく変遷させてきました。

今思えば私がカサンドラになった時、最終的に発達弟を詰める方向でなく環境を疑う方へと目線をスイッチしたのは、こういう経緯があったからかもしれません。

結局私は20代前半で「常識なんて役に立たない」とほとんど確信してはいたものの、カサンドラになっていよいよ痛烈にそれを実感しました。その理由と経緯を順にお話しします。

人生から少しずつ常識を排除した結果

結論からいうと、常識を選別して「いらない常識」を人生から少しずつ排除した結果、自分も周りもとても快適になりました。たまにQOLグラフが落ち込むことがあったものの(主にカサンドラで)、基本的に右肩上がりです。

私はもともと繊細君で(詳しくはこちら)、人に譲り過ぎて自分から損を取りに行くような子でした。周囲の評価は「優しい子」「思いやりのある子」と上々でしたが、私のような子は実質的に貧乏くじばかり引きます。我慢できる子には我慢を強いられ、我慢できない子に牌が配られるのが世の常。私は前者でした。

思春期以降、パンクス精神を育んだ私はそんな自分を変えたい(もっと得したい)という動機で、自分の性質と真逆であろうアウトローの世界へと徐々に足を踏み入れました。根本的な性質や生来の性格というのはおそらくあまり変わらないはずですが、この鍛錬が功を奏して私は「わがままを言える繊細君」へと進化しました。

さて、わがままを言える繊細君に進化した私がさっそく試したのが、言うまでもなく「わがままを言ってみる」です。アウトローよろしく常識を無視してみました。たとえば最初は「約束を守らない」とか「他人より自分を優先する」などそういうところから。当時の自分には難しいことでしたが、わがままを言えるくらいには進化した結果、次第に校則を守らなくなり、やがては学校にもろくに行かず悪友と遊ぶようになりました。繊細で不遇な自分を克服するほか、男社会のマッチョヒエラルキーを攻略するための並行実験です。

結果、「わがままに生きても特に何も困らない(むしろお得)」という答えに行きつきました。

え?あんなに常識やルールや他人の気持ちや評価や世間体を意識してきたのに、全部捨ててみても何も変わらんの?なんなら貧乏くじを引くどころか当たりを引く機会が増えたし、人生が楽しくなっちゃってるし、ほんなら今まで優先してたもん全部捨てちゃるわ──と。

幼少から大人の顔色を伺い、大人の期待に応えていた私にとって「特に何も困らず問題ない」という結果は衝撃的でした。自分勝手に生きたらきっと誰かが迷惑して、困って、不幸になるに違いない──と信じていたからです(親のせいです)。

私の素行が悪くなるにつれて困ったのは、ほとんど親だけでした。むしろ私は「優しいアウトロー」だったので、なんなら救われた人の方が多かったはず。

さて、親がその困り感を私にぶつけてきても、「それはそっちの問題で俺は知らん」でしたので、彼らの困り感にはほとんど無関心(幼少期に彼らの困り感に振り回された結果)でした。概ねが彼らの親としての立場や世間体やメンツや(今や自分にとって価値がなくなった)常識の要求だったからです。

高校を卒業してすぐ、私は鬱陶しい親から解放されるべくすぐに実家を出ました。そうすると、わがままな私に迷惑する人間はいなくなりました。晴れて自己責任の世界にデビューです。

新たな人生を歩み出してからも、しばらくの間はアウトロー&わがままで生きていました。根が優しいからか、私のわがままは比較的好意的に解釈され、わがまま道に磨きがかかるばかりでした。そのせいでたまに道を踏み外したり失敗したりもしましたが。

しかし社会人になると、プライベートの素行がどうあれ、さすがに仕事においてわがままは通用しません。「業務を選ぶ」や「遅刻する」というわがままもNGです。

今の私は好きな仕事しかしませんので、仕事やパートナーを露骨に選びます。ところが当時の私はまだそうでありませんでした。しっかりと結果を出したり、効率よく業務を処理したり、他人の嫌がる仕事を率先してやったりするのが評価を得るのに効果的と知っていたので、仕事においては決してわがままではなかったのです。繊細気質を利用した周囲への配慮も欠かしませんでした。優秀さが正義でした。プライベートを好き勝手にやる分、仕事はきっちりこなして誰にも文句を言わせたくないという意図も。

ただ私が唯一苦手だったのが「拘束」です。

1日8時間以上も拘束される上に、出退勤時間まで強制される(当たり前ですが)。十分な報酬があれば話は別ですが、そうでもない貧相な暮らしでした。自分で選んで入社したとはいえ、本音は好きな時に遊びたいし好きな時に寝起きしたいし好きな時に働きたい。お金だってもっと欲しい。ブラック企業ではなかったものの、当時私の周りは先輩後輩関係なくほとんど誰しも会社に対してこんな不満を抱えていました。しかし彼らは「でもこれが生きるってことだから……」「これが人生だよ……」と、まるで演歌みたいな理由で諦めムードです。

私は諦めませんでした。

たとえば「就業時間までに出社する」は常識です。これには誰も異論がないはず。ところが実際の社会では、この常識に負担や不満を感じている人が少なくありません。

我々は人間ですから、当然その日のコンディションがありますしたまには体調を崩します。それでも、相当ひどくなければ就業時間を厳守しなければならない場合がほとんどです。風邪をひいても、二日酔いでも、重い生理痛でも、貧血でぶっ倒れそうになっても、それこそ這ってでも職場へ向かう人は少なくないはず。家庭の一大イベント(一生に一度しか機会がないような)より仕事を優先させている人も多いでしょう。どうしてそこまでするのか?答えは「それが当たり前(常識)だから」ですよね。つまり「みんながそうしているから自分もする」という程度の話です。そこに信念はあっても合理性はありません。なので先輩連中も「俺達がそうやってきたんだからお前達もそうするべき」と、手前勝手な理屈で後続に負担を押し付けるわけです。

私もかつてはそんな社会で生きていて、特に疑問も持たずその常識に合わせながら生きていましたが、結局は合理的でない損失を嫌って会社員を辞めました。

会社員を辞めてしばらくたち、独立してから痛感したのが「出社時間なんてマジで重要じゃないじゃん」ということでした。なんなら「別にお前がいなくても会社は回る」のが現実です。会社員時代に私が守っていた常識のほとんどは、ほとんど何の利益にも生産性にも直結しない無意味な慣習だと知ってしまった。またしても「あれ?俺が守ってきた常識、なんだったの?」です。

まぁこれは業種によると思うので異論はあると思いますが、少なくとも私は人命や人権やインフラ等に関わるような高尚な仕事をしていませんでしたし、実際に私がいなくても会社や社会は回ってたわけで。

学生時代に小さな常識を捨ててみて結果的に何も困らずに衝撃を受けたのと同様、このときも私は自分の常識を更新してみた結果、特に何も困りませんでした。

理由は単純です。

これは後からわかったことですが、出社時間の厳守を迫るよりもある程度ゆとりがあり融通が利く環境の方がチームパフォーマンスが上がりやすく、そもそも出社時間が早いからといって必ずしもパフォーマンスが上がるわけではないのが現実だったからです。

つまり「出社時間を守れ」は仕事において言うほど重要でなく、何なら上司の管理責任の履行を確保するための退屈な決まり事に過ぎず、少し考えれば「その生産性のない慣習のためにチームパフォーマンスを奪うコスパの悪さ」に気が付こうもの。しかしこの「少し考える」余裕と知識と立場が、会社員時代の私にはありませんでした。「時間を守るのが当たり前」と思い込み、その常識を妄信していたのです。

後々自分の事業で実験的にこの「時間や成果は別にいいや」的なゆるい制度を採用して検証してみたところ、スタッフのパフォーマンスや士気が出社時間やノルマの強制により低下しやすいことがわかっただけでなく、私自身もゆとりあるルールの下に身を置いてみてずいぶんと快適でした。この「日本の一般社会と異なるゆるい制度」を私は「ウチナータイム」と比喩しています。沖縄の人達のあのゆるい感覚のことです(バリバリに働く沖縄人もいますが)。

海外企業の指導にあたった時も、ほとんどが外国人で構成される現地のチームでそれとなくウチナータイムを取り入れてみたところ好評でした。短期間の実験ではありましたが、「人種や文化はあまり関係なく、そりゃある程度のゆとりがあった方がパフォーマンス上がるよね」という所感を得ると同時に、「生産性と効率を徹底する東京(主に渋谷)が異常なのでは?」とも。

実際、私の主な顧客は都内に拠点を構える企業がほとんどでしたが、消耗している人が多かった。ご挨拶に伺っても何せ顔が疲れている。「お、この会社は人が生き生きとしている」と感じたのは、7社中1社くらいの割合でした。大手だろうが中小だろうがベンチャーだろうがあまり関係なく、単に企業体質かと思います。まぁ、社長連中は大体皆生き生きとしていましたが。

タイトな仕事を詰め込むよりも、ゆとりがある方が人間はパフォーマンスが上がります。生産性(集中力)も上がります。「今日は残業!」より「好きな時間に帰っていいよ!」の方がパフォーマンスが上がることもわかりました。「あれ?会社員時代の常識って何だったの?無意味じゃない?」と、改めて常識の不合理さに気付かされたのでした。

なお余談ですが、人によっては「好きな時間に帰っていいよ」の裏側に「(でも実際に帰ったらしばくぞ、わかってるな)」的なニュアンスがある場合があるので、定型はこれを恐れて文言通りの「そろそろ帰ります!」をしません(会社員当時の係長がこれだった。うざ!)。

私はこういう裏読みを強いるタイプでないので(嫌い)、スタッフは素直に「帰ります!」を口にしました。結局、定型もこういう建前や裏読み文化にうんざりしているところがあると思います。女性社会に多いと聞きますが、体育会系の男社会もがっつりだったけどなぁ。

カサンドラになってから

常識にあまりとらわれない生き方をしてきたものの、カサンドラになるまで私はゆーてもそこそこ(常識的に)頑張っているビジネスマンでした。自分に課していた課題も多くありました。相変わらず常識への執着はありませんでしたが、意識は高かったと思います。

アウトローの世界ではたくさんのことを学びましたが、あちらの世界は私の常識とは相容れない世界だったので、吸収すべきものだけ吸収し20代半ばで足を洗いました。私が独立したのもちょうどその頃です。

「世間の常識はおかしい」という気持ちは、ここからさらに加速していきました。なぜなら賛同者が意外なほど多かったからです。ほとんどが経営者など事業者でした。

「自由に生きたいから独立した」と、私と似た動機で独立した人もいれば、「人間は搾取する側と搾取される側に分かれる。自分は前者が希望」的な人など、思想はさまざまです。しかしいずれにしても彼らは「ルールを作る側」の人間であり、ほとんどが「拘束時間」や「低賃金」「人間関係」「出退勤コスト」「ワークライフバランス」など「一般的な会社員が“常識”として泣く泣く飲んでいる酷な条件」にとらわれずに生きているようでした。少なくとも彼らには多くの選択肢と権力があり、会社員にはそれがない。この差はそれこそ人生の幸福度を直接左右するくらいには大きいと感じました。

カサンドラになって発達障害を詳しく知り、いよいよ私の「常識を重んじない正当性」は信憑性を増してきました。「そもそも常識に苦しんでいる人がこんなにいるのなら、やっぱ常識いらねーじゃん」と、私の非常識はついに正当性すら帯び始めたのです。

発達障害者だけでなく、定型発達者すら“常識”で軽く自分の首を締めながら浅い呼吸で必死に生きているなら、手に持っているそのロープ、一度手放してみなさいよと思うくらいには。

いる常識、いらない常識

「常識いらね」と言っても、結局「どの常識を手元に残し、どの常識を手放すか」は、各々に委ねられるところです。私もとどのつまりあらゆる常識を手放してきたのでなく、「いらない常識を手放してきた」というだけに過ぎません。

一方、私が思う「いらない常識」に執着して苦しむ人も少なくないようです。たとえば「離婚は悪」や「「No」は失礼」など。「育児は女性担当」や「男性は一家の大黒柱」などもそうでしょう。「挨拶」という常識すら、今の私には比較的どうでもいいです(私はしますがそれを相手に求めない)。

こんな私でも(こんな私だからこそ?)カサンドラになり、心を病み苦悩しました。しかしそれを機に常識をさらに更新してみた結果、自分の人生がより快適になったのも事実です。

こういう生き方を「自分軸を持つ」だの「鈍感力を身につける」だの「自分らしく生きる」だの色々な言葉で表現できるようですが、結局は「自分の不幸を他人のせいにしない」という話に尽きます。

そしてそれを可能にするのは、「~はこうあるべき」という「べき思考」、つまり自分が定義する常識に囚われた状態からの脱却でしょう。

常識を自分で選ぶというのはつまり、自分が生きる世界を自分で選ぶということでもあると思います。世の中にはさまざまな常識を持つ世界があり、あちらの世界の常識がこちらの世界の常識に通用するわけではありません。あの会社の常識がこの会社では非常識になることもよくあります。

我々は、自分で思っているほど広い社会に生きてはいませんし、自分が思っている常識が意外と広く適用されないということをほとんど知りません。

それを知ることが、それに心を開くことが、自分に最適な常識ひいては自分に最適な生き方を獲得する第一歩だと思います。

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