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【EP7】カサンドラは終わらない

発達弟に契約解除を言い渡したからといって、それで「はいさようなら」と終わらせられるわけではなかった。兄と弟あるいは上司と部下という関係はそれから、自立支援者と発達当事者という関係性に変わった。

とはいえ、このころの僕は疲弊し消耗し切っており、とても彼の自立支援を最優先できるほどの心境でも状況でもなかった。彼が残した事業への傷跡も修復しなくてはならない。結局彼が事業に与えた損害や遅れを取り戻すまで、およそ三ヶ月もかかった。顧客の信用を取り戻すために、それこそ僕はいっそう自分を追い詰め、死に物狂いで働いたのだ。それでも自分の会社を部下に追い出された当時のスティーブ・ジョブズの心境を思えば、きっとずいぶんとマシなのだろう。少なくともそう前向きに捉えるのが、僕にとって唯一の救いだったように思う。

しかし結果的に彼がいる限り、事業の継続は難しかった。そして僕は究極の選択に迫られるのである。彼をそのまま親元へ送り返すか、それとも彼の支援にフルコミットするか。

両立は無理であった。あまりにも時間が足りない。両立を試みればすべてがうまくいかないのは、これまでの経緯から明らかだったのだ。

そうして僕は仕事を捨て、彼の支援を選択したのである。

顧客には事業撤退を宣言し、業務を一切中止した。そのくらいしないと、彼が正しく診断を受け手帳を交付してもらうのが難しいと判断したからだ。私の心はすでに壊れかけている。仕事の合間の片手間ではあまりに時間が不足していた。

弟のため?

結果的にはそう。

でも自分自身の心のためであった。

そしてそうと決めてからはある意味清々しくもあった。

これまでずっと不毛だった関係から、「これで発達とけじめをつけて決別できる」という希望が生まれたからである。旦那にDVされ続けた妻がようやく離婚に踏み切れた時も、きっとこんな気持ちなのではないだろうか。「発達弟と正当に離れる」が、当時の私の“唯一の”希望だった。

動く肉塊だった私は、この時から少しずつ人間らしく呼吸を再開し始めたように思う。

解説)

仕事を捨て弟の支援にコミットするというのは苦渋の決断でした。実はこの後、弟との出来事がトラウマとなり、当時行っていた仕事ができなくなりました。仕事をしようとすると脳が拒絶するのです。当時の焦燥感や不安その他不穏な感覚が蘇り、いてもたってもいられなくなる。結果、私は同じ仕事を二度とできなくなりました。今もです。そしておそらくこれからも。

どういう形で再出発を試みるにせよ、とにかく「発達と離れる」が最優先事項だと思います。今は「発達と共存する方法はあるはずだ」と前向きに考えることができますが、当時は「共存は不可能。離れること」が絶対だったのです。

いかにして離れるか。

義理や筋を通して離れるしかないと思いました。

しかし果たして、義理や筋など気にも留めない相手にその必要はあったのか? 共存が無理だと感じたのなら無情にそのまま突き放すだけでよかったのではないか? 今もその答えはわかりません。

ただ少なくともそのような選択をしていたなら、私は当時の手記をこのような形で公開できなかったでしょう。結果的に見れば正しい選択だったように思うのです。


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