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【ep20】さいごに~カサンドラからの復活~

僕はまだカサンドラ症候群から抜け出したわけではない。傷跡はずいぶんと深いようだ。しかし、復活の見通しは立ってきた。結局、過去を気に病んでも仕方ない。たとえ割り切れないものがあったとしても、過去を忘れるために未来に向け、人生に新たな希望を見出すしかないのである。そう思えば、彼と過ごした時間はこれからの自分にとってバネのようなものかもしれない。

もちろん、すべてのカサンドラがそういうふうに前向きに考えることなどできないことは理解しているつもりであるが、これが今の僕にいえる精一杯の強がりである。

彼は最終的に専門医から発達障害の診断を受けた。そんなわけで「発達障害の中でも注意欠如の傾向が強い」という診断を受けたようだが、僕としてはどうにも煮え切らない思いである。なぜなら発達弟を“あの両親”の元へ送り返すのは、まるで若き兵士を過酷な戦場へ見送るようなものだと感じるからだ。

しかしこれを機に彼は遠く離れた親元へと帰郷し、僕も一つの役目を終えたのだった。

僕がここまで献身的に彼に尽くせたのは、率直にいえば「きれいに縁を切るため」だったのかもしれない。少なくとも、また仕事をともにしようとは思えないのである。顔を合わせると当時の苦しみが蘇り、まるでPTSDのような症状に襲われるのだ。

かといって、ただ契約解除だけしてハイさよならという薄情な真似はしたくない。そんな矛盾した思いをいつも抱えていたが、結局は自立支援者としての役割をまっとうし、きれいに別れを告げるのがベストだったのだろう。

結果だけを見れば、僕は彼を見限ったということになる。自立支援者としての責任云々は、見方によっては偽善だと責められるかもしれない。しかしやはり“棲み分ける”ということが、僕にとっても彼にとっても最良の選択だったように思う。大切なのは問題としっかり向き合い、解決へ向けて尽力すること。誠意をもって最後まで向き合うことで、少なくとも僕は自分の選択を気に病むことなく未来に目を向けることができるようになったように感じる。

発達障害当事者にしても、あるいはカサンドラ症候群当事者にしても、たくさんの苦しみがあると思う。

すっかり消耗してしまったが、それでも僕は何とか一つのゴールへとこぎ着けた。彼からすれば、これはゴールではなくスタートだろう。僕にとっても、カサンドラからの復活を遂げるスタートといえるかもしれない。

いずれにしてもこの体験を通して僕は、この障害に悩む方々に「合理的な選択」をしてくれることを願う。それは感情的に相手を非難することでも、疎外することでも、悲観に暮れることでもない。現実的な問題を解決するための現実的な解決方法をよく考え、実行するということ。

そして願わくは、お互いに恨みつらみではなく、いつか敬意をもって向き合えるような関係になりたい。

これにて本テーマは完結とさせていただく。


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