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希望は自分で作るもの

カサンドラ症状がもっともひどかった時期、私は発達弟に対しあらゆる対策を講じてことごとく失敗し、途方に暮れていました。やることなすことまったく効果がないため、何か根本的に間違っているのではないかと発達障害にかんする書籍や資料、研究論文を読みあさりました。

その結果、確かに私が根本的に間違っていることがわかりました。

私は「彼の無能さは教育で改善できる」と思っていたのです。

教育すれば人は育つという当たり前の経験しかしてこなかった私にとって、非常に衝撃的な現実でした。

当時の私は暗中模索で苦悩しながらあらゆる可能性にトライし、それを一つひとつ確実に潰されていく感覚に絶望していました。あの「心に鳥肌が立ちっぱなし」のような不快な絶望感は今も忘れません。そうこうしている間にも彼はミスや不正を積み重ねますから、収益が減少する中で顧客対応や業務遂行とともに彼のサポートに追わながら、なおかつDVのような彼の悪意のない横柄さに消耗していました。詳しくは「発達障害とカサンドラのヤバイ関係」をご覧ください。

「なるほど、根本的にできないことをやろうとしているわけだから、これじゃいくらやっても効果がないわけだ」と腑に落ちたはいいものの、最後はいよいよ手立てがなくなりました。

このときの私は本当に絶望の深淵にあり、ついには思考停止してしまいました。これまでは「どうしよう→これを試そう→失敗→ではこれを試そう」と、次の手段があったために希望をもって行動できたのですが、「これを試そう」のアイデアが枯渇するといよいよ「どうしよう→どうしよう→どうしよう」の繰り返しになり、冷たい焦燥感に駆られたまま思考を拒絶した脳に身を委ねるしかなかったのです。

「絶望する」という経験を、私はこのとき生まれて初めて体験しました。

これまで、それこそ生命の危機を覚えるような場面でも絶望などしたことがなかったのに。

そんな状況を変えたのが、「教育をあきらめる」という視点でした。

私からすればそれは弟を見捨てるようなものです。それだけは避けようとしていたものの、実際にはもうそれしか道が残されていませんでした。妻に背中を押される形で「あきらめる」方向へと舵を切ったのです。

しかしそれからは「お互いのためになるように離れる」ことが、私の新たな目標となりました。このとき、私の脳と肉体が一時的に息を吹き返したのです。

目標、それは希望なのだと、肌で実感しました。

精神的なダメージは思いのほか深く、その後はしばらく後遺症に悩まされました。ですが小さな希望を糧に、この一番つらいときを乗り越えられたのは事実なのです。

だから私は何をするにも、常に希望を持って物事を考えます。もちろんリスクは考慮しなければなりません。未練がましく理想にしがみつくのもよくない。冷徹なようであっても、ときにはスパッと物事を見限る判断力は必要です。

ですが「希望」が人の心に与える強大さには計り知れないものがあります。そしてその希望は原則的に、ただ待っているだけでやってくるわけではありません。自分で作るしかない。

希望は気の持ちようだとか、希望を持つには元手が必要だとか、希望は迷信だとか、そんな悲観的になる必要も難しく考える必要もないと私は思います。

私の希望の作り方はとてもシンプル。

目標を持つこと。

そしてその目標を達成するために必要な計画を具体的に用意することです。

これだけで瀕死の心が息を吹き返す可能性があります。

絶望の中にあると思考が止まります。自分で考えることができなくなります。自分で希望を作ることが難しくなります。少なくとも私はそうでした。

そういうときは、私が妻に救われたように誰かを頼ってみてください。

第三者の意見が必ずしも正しいわけではありませんが、新たな視点を持つのに役立つ可能性はおおいにあります。

希望もなく、鬱々とした日々を送るのは誰だっていやなはず。

目標を持ち、希望を持ち、その実現に向けて歩む。

「前に進む」とはつまりそういうことなのだと思います。


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