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スキマ都市美術館

基本的に都市は余白を嫌う。少しでも余白があれば、そこには何かしらの物体が詰め込まれる。それが都市だ。

縦の空間に隙間があれば、いずれそこには上限いっぱいまでの高層建築がそびえる。それはまるでテトリスのようだ。テトリスの世界では隙間は美とされない。横の空間に隙間があれば、それが数十センチだろうと見逃されない。いずれは自動販売機が設置されるかもしれない。それはまるでジグソーパズルだ。ジグソーパズルの世界でもやはり隙間は美とされない。

ときどき、都市の隙間を、単なる隙間以上の存在にする達人がいる。渋谷のとある場所にはわずかに奥行きが50cmの自転車修理店が存在する。はじめてそのお店を見つけたとき、日本ベスト隙間ショップ賞があるなら間違いなくこの自転車修理店はノミネートするだろうと思った。世界的なノーベルスキマ賞さえも狙えるかもしれない。

この修理店は単に奥行きが短いだけではない。店の間口、つまり店の幅は7mくらいはあるのだ。その縦横の比率の極端な歪み。これだけの歪んだ比率なんだから、さぞかしヘンテコな外見で近寄りがたいのだろうと思うかもしれないけど、そんなことは全然なく、非常に自然な佇まいだ。店の外見からして、別に有名な建築家が手がけたとかいう風でもなく、ここのオーナーのおっちゃんの思いつきで「ビルと道路の間にこれだけ隙間があんだからもったいないっぺ。自転車修理店ならできるっぺ。」とかいう成り行きで発生した建築の可能性の匂いが濃厚に立ちこめていた。

0.5mの奥行きと7mの間口を掛け合わせると、その店の面積は3.5平方メートルということになる。これは畳2枚分の広さでしかない。でも、間口は広いので、十分に自転車修理店の存在を示せている。修理に使う道具類は0.5m先にある壁にきれいに吊り下げられ整理されている。ドアというドアはすべて全開であり、通りを歩く僕からは店の中がすべて丸見え状態となっている。

この店は言わば、奥行き50cm、幅7mの立体的な看板でもある。あまりに薄っぺらいお店というのは、同時に看板的になるのだ。看板に無駄は許されず、効率的にそのスペースを使わなければならない。看板的な薄っぺらい店も同じ宿命を背負う。だから、あの修理店のおっちゃんは、壁に道具類を整理整頓しないわけにはいかないのだ。狭い空間を上手に使うと、必然的に効率の美のようなものが現れる。

僕はその店の前を通りすがりながら、修理店のおっちゃんがおそらく意図せず、しかし必然的に生まれてきたその美に驚き、じんわり感動した。芸術家が芸術を生み出すのは当たり前だ。でも、このおっちゃんのような芸術家ではない者が生み出す一種の芸術にこそ、僕は一段と興奮する。都市空間、特にスキマ空間はこういう芸術作品で溢れていて、都市全体がまるでひとつの巨大な美術館のようだ、と思う。

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