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【働き方改革事例】‘‘好きな映画を観る時間がない・・・‘‘過酷な制作環境が当たり前の業界に立ち向かう「映適」が踏みだした勇気ある一歩とは?

アワードの受賞・ノミネート取り組み以外にも、全国のみなさんが取り組むさまざまなGOOD ACTIONを取材しご紹介していきます。


●華やかな映画業界の裏側を支える過酷な制作環境の改善に取り組む大浦さん、葛西さん

映画業界が活況を取り戻しています。
 
配給大手で構成する日本映画製作者連盟によると、2022年の映画の国内興行収入は前年比32%増の2,131億円となり、新型コロナ感染拡大前の水準まで回復しました。特に22年は4本の作品が興行収入100億円超えを記録しました。年間で100億円を超える作品が4本となるのは、04年、19年と並び過去最多とのことです。
 
わたしたちに感動や笑い、ドキドキやワクワクを届けてくれる映画ですが、2019年に経済産業省が行った調査で、こんなショッキングな結果が報告されました。

●映画業界で働く人の73.5%(注1)がフリーランス
その6割以上が映画関連の年収が300万円未満で、発注書・契約書をもらっていない―

(注1:「フリーランス・業務委託社員」、「その他」、「わからない」の回答者を「フリーランス」と定義した。)
 
働く人の4人に3人がフリーランス、しかも60%以上の人が年収300万円未満で、契約書も結んでいない。わたしたちが目にする華やかさの裏側には、作り手が過酷な労働を強いられているという実態があることが浮き彫りとなりました。更にこの報告書は、こういった就業環境の悪化により現場が疲弊し、コンテンツの質の低下を招いて、国内市場が頭打ちとなってしまう「悪循環」が生まれる可能性があると警鐘を鳴らしています。
 
現状を重く見た映画業界は、映画制作に関わる11の団体が徹底的に打開策を議論しました。こうした取り組みとして誕生したのが、今回、取材させていただいた一般社団法人 日本映画制作適正化機構(以下、映適)」です。
 
同機構は、映画の制作現場に綿密なガイドラインを取り入れ、作品が適正な制作環境で作られたかどうかを審査し、基準をクリアした映画に「映適マーク」を付与する第三者団体で、2023年4月から正式に稼働しました。今回は、事務局の大浦さんと葛西さんにお話を伺いました。

▲(左から)事務局長の大浦さんと事務局次長の葛西さん

●あれ?好きな映画を観に行く時間がない

葛西さん「映適では、やや長い名称なんですが、“映像制作の持続的な発展に向けた取引ガイドライン”に沿って映画が正しく制作されているか、例えばハラスメントがないか、1日の撮影時間、休憩時間が守られているか、などといった基準に則して作られた作品かどうかというところを審査しています」
 
先に挙げたショッキングな調査結果は、わたしたち一般人の感覚からすれば「そんな環境の中で働いている人って本当にいるの?」と思ってしまうのですが、当事者の皆さんはどのように感じているのでしょうか。ご自身が映画制作に携わられたご経験のある大浦さんは次のように述べています。
「わたしは映画が大好きで映画を作りたいと思って映画会社に入社しました。かつてはわたしをはじめ、多くの現場スタッフが、映画の仕事ができるというだけで喜びを感じ、夢のある仕事に携われることが嬉しいという心境だったように思います。
 
ただし、いま思えば、好きな仕事をやっているけれども、あれ休みがないなとか、そもそも好きな映画を観に行く時間が全然ないなということに気づくんです。
 
そして、ふと周りを見渡してみると、世の中は働き方改革がどんどん進んでいて。これはもしかして、新たに映画業界に入ってくる若い人たちからすれば、やりがい搾取というやつが蔓延しているように感じるのではないか、と考えるようになりました」
 
映画市場自体が活況を取り戻してきていることに加え、VODやインターネットなどの動画配信も増え、映像業界全体として現場スタッフに対する質・量の両面でニーズが高まっていますが、その反面、人手不足や作り手の育成に大きな課題を抱えています。
 
大浦さん「劣悪な制作現場ばかりが続くと、かつてのような「夢」や「憧れ」だけでは若い作り手は映画業界に入ってこなくなります。いま映画界に残っているベテランの皆さんは、いわばこの業界での成功者ですが、こういった方々が持っているノウハウが次の世代に継承されないと、その技術は潰えてしまいます。映画は結局、人が作っているのですが、そもそも作りたい人が入ってこないと、日本映画界にとって将来的に大きな損失となります

▲「適正な労働環境で作られた映画が1本でも多く世に出るために」という想いが伝わってきた

●厳しいご意見をいただく中で

業界全体の抱える課題解決策として4月に立ち上がったばかりの映適ですが、そのスタートは必ずしも順風満帆ではありません。例えば「1日の作業・撮影上限は13時間まで」や「2週間に1回は完全休養日を設ける」といったガイドラインの基準は、まだまだ一般の感覚とはかけ離れた部分がありますし、審査部を含め4名という少人数の運営体制に対して不安視する声も寄せられています。
 
葛西さん「正式に機構が発足した4月以降は本当に多くの業界関係の方から注目いただいていると感じますし、応援の声も数多く頂戴しています。一方で、ご批判の声ももちろん届いておりますが、わたし自身はそういったご批判もありがたいと思っています。もちろん耳の痛いこともあるんですけども(笑)。
 
そこになにもなければそもそも議論すら発生しないと思いますが、第一歩目としてこのガイドラインを投げかけたことで、どうやったらガイドラインに沿ったスケジュールを組めるか、工夫する余地はないか、というような議論が生まれ、ゆくゆくは撮影現場が変わっていくことにつながるのではないかと思っています。
 
立ち上がってまだ数か月ですが、おかげさまで、すでにたくさんの申請をいただいています。審査では申請されたものが基準を満たしているかどうかを判断し、そこに改善点があればコメントを申請者に伝えています。こういったやり取りの積み重ねも、撮影現場の改善につながると感じています」
 
大浦さん「このガイドラインは、未来永劫これでいこうというものではなく、これをたたき台に、どんどんみんなでより良く見直していこうというものだと思っています。また、わたしたち自身の発信力不足が大きいのですが、いまいただいているご意見には、誤解されているところもあるので、ひとつひとつ受け止めながら、丁寧にコミュニケーションを図ったり、基準そのものの改善に向けた議論を進めたりしていきたいと考えています」
 
葛西さん「情報発信に関しては、現在ポスターやチラシを制作して各社に掲出・配布していただいたり、公式サイトで周知をしています。今後は、実際にガイドラインに沿って撮影された現場のスタッフの方々をお招きしてシンポジウムを開催することや、撮影所で説明の場を設けたり、ウェビナーを開くなど、積極的に発信していきたいと思っています」

▲作品認定制度/申請・審査の流れ(2023年7月6日現在) 

●家族で食事をする時間が取れました

以前から、映画制作の環境改善に取り組んでいる是枝監督が、この認定制度がコーヒーやチョコレートに表示されている「フェアトレード」のようなマークになっていけばとお話しされていました。
 
大浦さん「映画は内容の面白さで選ぶお客さんも多いかもしれませんが、ブラックな環境で作られた映画は見たくない、という声もあります。そういう意味では、是枝監督が仰るとおりだと思います。実は23年4月の本格稼働前に、試験的に4作品がこのガイドラインに沿って制作されました。その時に寄せられた声に次のようなものがあったんです。
 
『このルールに沿って制作してみて、初めて作品の撮影期間中に、家族と夕食をとれました』
 
これはすごく印象的でした。わたし自身を振り返ってみても、撮影中に家族と一緒にどころか、家で食事することすらありませんでした。先ほど、映画が好きで映画会社に入ったのに、好きな映画を観る時間がなくなったという話をしましたが、映適マークが、現場スタッフの時間を大切にしていることの証として広がり、そういった作品を応援してくださるお客様が増えて、不安のない状態で映画業界に飛び込んでくる若手が増えてくれると嬉しいです
 
最後に、お二人に今後の展望を伺いました。
 
葛西さん「4月に着任したばかりですが、2019年から立ち上げまでの4年間、本当に多くの方々が、ものすごい労力と時間を費やして、ようやくここまで持ってきたガイドラインなので、非常に重いバトンを受け取ったと感じています。いま、わたしたち事務局のメンバーに加え、新たにサポート委員会も立ち上がり、更により良い制度にしていくための検討を深めていますが、このバトンをきちんと形にして軌道に乗せていくことが、わたし自身、映画業界の一員として非常に重要なことだと使命感を持って、取り組んでいきたいと思っています」
 
大浦さん「3月に行われた映適の調印式の時に、理事の新藤次郎さん(株式会社近代映画協会代表取締役)が『これらの団体が集まってひとつのルールを作ったことは革命的だ』と仰ったんですね。だから、この取り組みがうまくいかなかったら、二度とこの革命が起こらないかもしれないという責任を感じています。この歩みを絶対に止めないようにするっていうことが大事だと思ってます」
 
長い間、「そういうもんだ」という慣習が根付いている環境の中で、当事者が「本当にそれでいいのだろうか」と声を上げること自体、とても勇気がいることです。まして、たくさんの利害関係者がいて、実行した結果が10年先にしか分からないかもしれないという取り組みを、丁寧に議論を尽くしながら、形としてまとめ上げていく苦労は、並大抵のことではありません。更に、そうやって苦労して作り上げた基準に対して、各方面から様々な意見が寄せられたら、普通なら簡単に折れてしまいそうになりますが、大浦さんも葛西さんも「重いバトンを受け取った」「革命の歩みを絶対に止めない」という強い信念のもと、長期的な視座で「良い日本映画を作りたい」と一歩目を踏み出しています。何もないところへ踏み出す勇気と、折れることなく邁進していく信念はグッド・アクション・アワード受賞企業に通じる価値観と言えます。
 
応募数は非公開とのことでしたが、まずは初年度、20作品の認定を目標に掲げる映適。このインタビューをさせていただいた23年6月下旬の3週間後にあたる7月17日、ついに初の認定作品『仮面ライダーギーツ 4人のエースと黒狐』(7月28日から劇場公開)が誕生しました。また7月19日には、二作目の認定作品『王様戦隊キングオージャー アドベンチャー・ヘブン』も立て続けに発表されました。
 
各作品の公式サイトに謙虚に、誇らしく掲げられている映適マークが、おふたりが「(応募は)予想以上に順調」とお答えくださったときの笑顔のように見えます。これからも映適マークの作品が続々と誕生することを期待したいと思います。
 
WRITING:GOOD ACTION AWARD note編集部 菅原賢一
※本ページの情報は2023年7月時点の情報です

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