日本語との向き合い方①
【はじめに】
自分で勉強をする手段として本を読むことを選びました。様々な本を読んでみようと思ったのはいいもの、どの分野の本から手をつければいいのか分かりませんでした。小中高と勉強はしてきたけれど一から勉強をやり直そうと思っていた時にあることを思いつきました。
「小学校に入って一番最初に習うといっても過言ではないのがひらがなの読み書き。最初に日本語について学ぶな...」ということです。
読み書きは義務教育のおかげである程度はできる。ところが、日本語について知っているのかと言われれば微妙だということ、自信を持って知っているとは言えないということに気が付きました。
そこから初心者の私にでも読めそうな本を読み、自分なりに日本語との向き合い方について考えてみました。
この記事を書くことで、皆さんが日本語について考えるときの参考にしてもらえれば有難いです。
(今回の記事は長くなるので4回に分けて投稿をします。)
【目次】
・はじめに
・第1章:コミュニケーションとしての日本語
・第2章:日本語の壁
・第3章:日本語の良さ
・第4章:日本語の変化
・第5章:現代の日本語
・第6章:日本語の未来
・おわりに
・参考文献
【第1章 コミュニケーションとしての日本語】
私たち日本人はさりげない会話のなかでも日本語を使って話している。仕事上のやり取りから親しい友人との会話も日本語を使っている。日本に住む以上は日本語でコミュニケーションを取るのが当たり前である。
現代ではコミュニケーションのツールは様々なものがあり、メールなどの文面でコミュニケーションをする機会も増えた。しかし、コミュニケーションのツールが増えたのは機械化が進んだごく最近のこと。それ以前は遠くに住む人に宛てた手紙はあれどほとんどのコミュニケーションが会話であった。まして手紙が書けるようになる前の時代では会話以外でコミュニケーションの方法はあったのだろうか。
縄文時代に生きた人々は音を発して意思疎通を行っていたと聞くことがあるが、我々が使用している言語は先祖のコミュニケーションが様々な困難や変化を経て現代まで伝えられてきたものと言ってもよいだろう。
まだ言語が出来上がる前は、意思疎通にも苦戦していたため、通じ合えた時は喜び合ったのかもしれないと予想する。であれば、本来言語を学ぶ上では音を発したり、音で心が通じ合ったりすることを楽しむべきなのだろう。しかし、会話が少なく机の上で言語を学習することが多い中、これは相当難易度が高いように思える。それでも、普段当たり前のように使用している日本語を使う楽しさに気づけたときに日本語でのコミュニケーションが今よりほんの少しでも豊かなものになればいい。
【第2章 日本語の壁】
皆さんは日本語を使用する中で何らかの壁を感じるようなことはあるだろうか。
近年よく聞く言葉としては「若者言葉」や「おじさん構文」などはワイドショーなどでよく取り上げられ、SNSなどでも話題になることが多いように感じる。これは、世代や年齢によって使用する言葉が異なり一種の壁が生まれていることの象徴とも考えられるだろう。このような特定の世代間で生まれる言葉については正しい日本語が分からなくなってしまうことや不特定多数の人に向けた場面では適切ではないことに関しては問題である。しかし、各世代によって作り出される独自の文化として捉えることも可能なため、一概に「悪いもの」とは言えないだろう。
言葉に壁があるのは現代社会だけではない。むしろ過去のほうが人々の言葉に壁があったように思える。身分や階級制度があった時代では自分の階層に応じた言葉を話しており、特に支配者のような身分が高い人々の言葉は一般市民にはなかなか通じなかったのではないかと予想されてる。身分が高い人との交流がある人はある程度理解できたと考えられるが言葉の壁は確実にあったとされている。
教育の普及などによって階層の言語の差は少なくなっただろう。しかし、地域の言葉の壁はつい最近まであったのではないか。いや、今でもあるのではないか。地域の言葉の壁いわゆる方言は近年存在が薄れているように感じる。共通語が作られたことで広い地域の人が同じような言葉を使いコミュニケーションを取ることが可能になった。とはいえ、方言は長い期間伝えられてきたものであるためすぐに消えてしまうことはなく、今もなお各地域のいち文化として受け継がれているのだろう。
近年、今まで受け継がれてきた言葉が消滅の危機にさらされているといったことをよく耳にする。このことについては今後しっかりと考える必要がある課題だ。
少し過去に遡りさまざまな日本語の壁を見てきたが、現代に戻って考えてみる。身分や階級がない現代では言葉でコミュニケーションを取るにあたって一番大切なことはやはり「相手を思いやること」であると考える。SNSなどで相手への思いやりに欠ける言葉が非常に多く見られることはとても残念に思う。本来、相手を思いやる気持ちは日本を世界に発信していく際に誇れる部分であったはずである。自由なコミュニケーションが可能な現代だからこそ年齢・性別・学歴・職種・国や地域を超えた思いやりが日本中に広がり世界が思いやりからくる優しい言葉で溢れるといい。
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