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台湾旅行⑩ 三日目 ぶっとびスープ

 「シムラケン、キテルヨ。」

 もう何度目になるだろう。  
 志村けんの来店アピールと共に、メニューより先にラミネート加工されたA4サイズの写真を見せつけられたのは、昼下がりの中華料理店でのことだった。写真の中ではこの店の料理に囲まれた志村けんがこれまた穏やかな笑みを浮かべている。  
 どんだけ台湾に行ってるんだ志村けん。それともたまたま、志村けんの行きつけスポットを私たちがピンポイントで訪れているんだろうか。なんだかもう、志村けんの足跡をたどる熱烈なファンのような旅になってしまった。

 時は台湾旅行最終日。私たちは二泊三日のこの旅を締めくくるにふさわしい台湾絶品料理、「沸跳牆」を食べるためにここに来ていた。  
 沸跳牆とは、別名ぶっ飛びスープとも呼ばれている一品で、友人曰く旨すぎてこれを食べたら仏でも驚きのあまり飛び跳ねてしまう事からこの名がついたらしい。  
 と思っていたのだがこの記録をつけるにあたって念のためウィキペディアを調べてみたところ、「あまりのおいしそうな香りに修行僧ですらお寺の塀を飛び越えてくる」という詞からこの名がついたらしい。だいぶ違う。恐ろしく適当な知識を振りまく女だ。だいたいいくら旨いからといってたかだかスープ程度で飛び跳ねる様な仏なんて煩悩まみれじゃないのか。

 それはさておき、そんな何人たりとも虜にしてしまうこのぶっ飛びスープ、味もぶっ飛びだがお値段もぶっ飛びで、価格は二人前で1万2千円程度。  
 それもそのはず、このスープはフカヒレに始まりアワビや冬中夏草にいたるまで、十数種類の高級食材をこれでもかと入れ長々と煮込んだ高級薬膳料理なのだ。本場台湾の人々ですら正月や結婚式などにしか食さないというこの料理は下準備の都合上数日前から予約を入れねば食べられないのだが、台湾に来た以上は是非とも食べたいという一心で、実は台湾到着初日から店に予約を入れていたのだ。

 そんなこの旅の最後を彩るにふさわしい一品は、つるりとした白い壺に入れられテーブルへと到着した。食べ物の器に対しての表現としては本当にどうかと思うが、ちょうど骨壺くらいの大きさだ。

 壺のふたをとると中にはぐつぐつと煮込まれとろとろになったフカヒレや、ごろごろとしたアワビの姿が見て取れる。おお・・・!!   
 自慢じゃないがど田舎の貧乏長屋もかくやといった出自であるため、この歳になるまでちゃんとした中華料理店でフカヒレやアワビの姿煮を食べるなどといった機会にはとんと恵まれていなかったのだ。それがまぁ、まさか本場の台湾で、その二つを同時に食すことになろうとは・・・!!  
 壺からはなんだかよく分からないが、魚介とキノコ的なものをさぞかしよく煮込んだんだろうな、という芳醇な香りが漂っている。コンソメスープの様なおしゃれ感のある匂いでは全くなく、山道を迷いに迷って行きだおれていたところ、それを助けた洞窟にすむ猟師が火にくべた鉄鍋から漂っていそうな匂いだ。原材料はよく分からないが美味しそう。おじやなど作ればだしが染みてさぞかし美味しいのだろうな、と思わせる匂いだ。

 ともあれ期待は最高潮。配られた取り皿に壺からおたまで豪快にしゃくった具材達をごろごろと盛りつけ、黄金色のスープを上からひたひたになるまで注ぐ。    
 おお・・・なんだかすごく美味しそうだ。中国四千年の歴史を感じる。きっとこの一口目のスープを口にした瞬間、かつてないほどのうまみと幸せが私を包むに違いない。     
 期待に胸を膨らませながら、熱々のスープをレンゲですくい、口に含む。全神経を舌に集中させとくと味わう。    
 雑煮の味がする。  
 不味くはないが飛び上がるほどには旨くもない。正月に出される雑煮の味がした。  
 友人を見遣ると同じく複雑そうな表情をしながら黙々とスープを飲んでいる。きっと同じように「とびきり旨いって程ではないな・・。」と内心思いながらも大枚はたいて注文した以上言い出せないでいるのだろう。かくいう私も口に出したらその瞬間に事実を確たるものにしてしまいそうで言い出せないでいる。

 今更ながらだが、これはもうちょっと歳をとってから食べた方がよかったかもしれないな、と思った。小さい頃嫌いだった煮物や味噌汁が歳をとってから味わいが増すように、きっと人の舌は歳をとる度に薄味のものの味の幅が広がるのだろう。このスープもまたその手の類の食べ物で、壮年に差し掛かる人物が食べれば普段の汁物との違いは歴然だろうが、生憎ながら私達が食べても雑煮と同じカテゴリーにざっくり分類されるだけなのだ。

 うん。雑煮と同じ味だな。再びレンゲを口に運びその事実を再度確認する。この壺いっぱいのスープを消費するのに、いったいあと何回程これと同じ動作を繰り返せばよいのだろうか。  
 気を取り直そうとスープからは箸を遠ざけ、ふかひれやアワビを食べることにした。  一瞥してじっくりと煮込まれたことが見て取れる両者を口に運び、噛み、飲み込み、そして悟った。我が人生にはアワビもフカヒレも大して必要はないようだな。

 正直アワビを食べても「肉厚な貝だね!」という感想しか抱けない。とろとろに煮込まれたフカヒレを食べても「柔らかいな。どことなくタケノコを思い出すような歯触りだな。」という感想しか抱けないのだ。もう好きなだけタケノコを食べてろという話だ。

 悶々としながらひとしきりフカヒレ達を胃に収めた後、まだ中身が半分以上残っている壺を覗き込んだ私達は息を呑んだ。

 気持ち悪・・・!

 壺の底付近には真っ白なカブトムシの幼虫のような外見の何かがごろごろ沈んでいたのだ。今までこれから出た出汁を啜り続けていたのか・・・。

 違うよな。虫じゃないよな・・・?そんな祈るような気持ちと共に箸でつつくと、木の根のような硬質さがある。幸い虫ではないようだ。けれどではなにかと問われると、それがもうとんと分からない。  
 困惑する私をよそに、向かいに座る友人は「せっかくだから・・・。」と決意を固めるや、その白い虫状の何かを口に運んだ。蛮勇!ミステリーハンターなのか・・・?

 ひとしきり咀嚼と嚥下を終えた友人が出した結論は、「分からん。植物・・・?」というひどく曖昧なものだった。

 友人のリアクションからして、ひとまず虫ということはなさそうだ。ここはひとつ自ら食べて検証してみよう。  
 最低限の安全を確保できたことに勢いづき、思い切って虫のような何かの切れ端を口に運びかみ砕く。固い。そして味がない。  
 食べる前も何か分からなかったが、食べてますます分からなくなった。こんな味のなくて固いものをどうして具材にしようとした・・・?  
 ますます困惑を深めた私たちは、再び黙々と壺の中身を消費する作業へと戻った。

 「結局さぁ、この旅で一番美味しかったのって小籠包だったね。」   
 壺の中身を平らげ店を出た友人が開口一番に口にした言葉に、心底私も同意した。分不相応な一万数千円のスープを飲んで分かったことが数百円の小籠包が自分には一番だという事だなんてつくづく皮肉な話だぜ。      

 虫の様な何かの正体は分からぬまでも、自分に適した価格帯が数百円~千円だという新たな事実が判明したところで、怒涛の台湾旅行は幕を閉じた。

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