25 成功法則、願望実現のプロセス(体験談)
今回は成功法則、願望実現について考えてみたい。
成功法則をうたうスピリチュアル系の方法はいろいろある。
ほしい物があれば紙に書く、願望を口に出して唱え続ける、願望が実現しているイメージをありありと心に描く、ありがとうという言葉を繰り返し言い続ける、自分のほしいものが描かれている絵や写真があればそれを飾って眺める、いつもワクワクする、いい気分でいる等
どれも簡単にできることばかりだが、私なりの見解は最後にまとめておくので、以下一読願いたい。
願望といっても小さなことから誇大妄想と思えるスケールのでかいものもあるので一概に言えないが、それでもその願いを実現したと言えるケースはどのくらいあるだろうか。
「私は失敗ばかりで成功したことなんてないし願いが叶ったこともない」なんて言う人はあまりにも悲観的で自分自身を理解していない。
冷静に振り返れば、大なり小なり、私たちはそれらを実現してきたはずだ。
私がまだ小さな子供だった昭和40年代は、高度経済成長で豊かになりモノが溢れかえり、昭和元禄という言葉もあった。
ただしそれは世間一般のことであり、私の家は豊かではなかった。
皆さんは信じられないかもしれないが、チョコレートが食べたくても一かけら、一粒単位でしかもらえなかったので、幼い頃の私の夢は板チョコを丸ごともらって食べることだった。
ある年のクリスマスの時期に、親戚からもらったというサンタのデザインが刻まれた大きなチョコレートを親から手渡された。
私は声をあげて喜び、すぐに無くならないよう、惜しみながら少しづつ食べたものだ。
この小さな夢は(当時は大きな夢だったが)あっさりと実現したわけだが、大人になった今ではチョコはダース単位でまとめ買いだってできる。含まれる白砂糖が健康によくないという理由でそうしないだけ。幼い頃の喜びは子供時代とともに消え去ったのだ。
もう少し大きめの夢といえば、やはり子供の頃だった。
当時は米国のホームドラマの吹き替え版がTVで放映されていたが、ドラマに出てくる家や調度品がとても立派で、大型の冷蔵庫にはジュースや果物とか牛乳が隙間がないほど入っていた。
海外に対する憧憬の思いが高まり、外国に行ってみたいと思った。
今でこそ誰だって海外旅行に行く時代だが、遠い昔は渡航規制があったし、ドルも今よりはるかに高かった。
子供だったから当時そんな知識はなかったが、海外旅行はお金持ちや特別な人が行く手の届かないものだという感覚はあった。
時は流れ、私は大学の卒業旅行として海外に一人旅をして、その願いは果たされた。
ところが社会人になってから、仕事で海外出張が続くようになり、海外駐在も3度も命じられた。
異国での仕事は移動も大変で責任も増し、休日もあってないようなもの。治安面など様々なリスクもあるのでもう海外はいいや、と思った。
その後、コロナ騒動で海外出張は見合わせとなり、ワクチン証明がないと入国できない時代になった。ワクチンを接種していない自分はそれを理由にもう海外には行かなくて済みそうだと思う始末である。
強く心に刷り込んだ願いはいずれ忘れた頃に実現する。だが満足しても、それは思うようには止まってはくれない。
上述した成功法則はいずれもその刷り込みをあの手この手で行うもので、根気よく行えば一定の効果はある。
だから何をやっても上手くいかないという人は、その心の刷り込みが上手く行えていないか、前述した私の例のように、実現しているのに実現した時はもう望んでいないからそれが実現したことに気づいていないだけだ。
お菓子や旅行くらいならまだいいけど、誰かさんと付き合いたい、結婚したいと願ってそれが実現したならば、その愛を一生捧げ続ける責任がある。
好きだったのに付き合い始めたら、なんでこんな女性(男性)を好きになったんだろうと思い悩むほど不仲になり、別れたり、離婚したり、家庭内別居状態が続いているという話は枚挙にいとまがない。
願いは移ろいやすいが、その願いが実現した場合は必ず受け取らなければならない。
中学生になった頃、クラスのある女の子を好きになった。仲良くなりたいと思ったら本当に仲良くなれて舞い上がる気分だった。いつも二人でおしゃべりをしたり充実した日々を過ごしていたが、同じクラスの男子から嫉妬で絡まれて殴られたことがあった。
願いは実現したら、その副作用もありえる。
願いの達成には、アフターケア、保証期間というものはないのだ。
自分さえ幸せになればいいという願いは特にそうだ。
女性との交際については記事19でも少し触れたが、際どくも最終的には、私の唯一の目標である、意識の覚醒という大きな思いに理解を示してくれた女性と結婚することになった。
私のスピリチュアルな志向や体験を受け入れ、かつ好意を示してくれた女性は彼女しかいなかったので、女性との交際においても、上述した小さな願いから結婚という大きな願いまで夢を実現したことになる。
ただし、彼女は10年以上前に天に帰り、私はその後ずっと独身でいる。これもまた運命として受け入れている。
強く心に刷り込んだものはいずれ忘れた頃に実現するが、逆に
願いは叶ってもその永続はあり得ない。
世間で語られる成功法則や願望実現の方法は、どうやって実現するかまでは熱心に語られているが、上述したような副作用や実現してからのケアについてはほとんど語られていない。だから注意が必要だ。
お金についていえば、私の場合、家の経済事情から大学進学においては私大は許されず、国立しか受験は認められなかった。
入学後も奨学金というローンを背負い、その返済には社会人になってから10年以上もかかった。
私も妻も結婚前の貯金なんてしてこなかったから、奨学金の返済はけっこうな負担で、経済的には厳しい日々が続いた。
そこで私が始めたのは、これまで紹介してきた投資だったが、最初の頃は試行錯誤が続いてなかなか成果が出なかった。
(参照:記事12)
だが、私のお金に対する思いは投資だけでなかったことが、後の私の運命を変えた。
私がもう一つ始めたのは、寄付だった。
私自身、経済的に苦労しながらも大学まで行かせてもらえたらわけだが、貧しい発展途上国では、大学どころか小学校もろくに行けない子供がいる。
さらに学校どころか医療を受けられず病気で亡くなる子供、食糧不足で栄養失調の子供、女の子の場合は強制的に結婚をさせられたり売られたりする場合もある。
前述の卒業旅行ではある発展途上国を旅したが、そこではある観光地で白人の観光客の子供がお菓子を買ってもらっていた。その一方で、現地のもっと幼い4〜5才くらいの小さな子供が貧しそうな姿でそのお菓子を一生懸命売っていた。
遊びたい盛りでそのお菓子も食べたいはずなのに、売れないと親に怒られるのか、私に買って買ってとせがみ、首にかけていたお菓子の入ったケースごと胸に押し付けてきた。
当時は、一度買うとあらゆる子供が集まってこれも買えあれも買えと群がるので、買ってはいけないと言われていたから、冷たく断り買わなかった。
だがこの判断は後にずっと私を悩ませることになった。
私が断った時の、その子の悲しそうな目を今も忘れることができないからだ。
そこで、投資を始めた同じくらいの時期に、毎月、ユニセフに寄付をすることにした。
投資はリターンがあり得るが、寄付は出ていくだけでリターンはない。
そのロジックで言えば、一見、寄付は投資の資金が減るマイナス行為である。
投資の成果は出ておらず、奨学金の負債も残っている。セオリーからいけば寄付どころではなかったが、わずかな額だったのでなんとか続けることができていた。
ところがさらに経済状況が悪化することが起きた。
新卒で入った会社で、残業、徹夜の連続になり、身体も心もついていけなくなったのだ。
当時はハラスメントという言葉もなかったから、僅かなミスでも罵倒され、メンタル的にも厳しい日々が続いた。
これでは生きている意味がないと思い、私は妻と相談して会社を辞めた。
そして次の転職先が決まるまで無職の時期が始まった。
普通は転職先を決めてから辞めるものだが、一刻も早く辞めたかったのだ。それくらいメンタルが追い詰められていた。
そのときはさすがに奨学金の返済を一度、止めてもらった。
今では取り立てが厳しいらしいが、当時は幸い、おおらかだった。
そんな無職時代、貯金は予想より早く減っていった。給与から控除されていた厚生年金は国民年金となり、自分の貯金から納付しなければなったからだが、そんな世の中の基本的な仕組みも知らずに退職してしまったということだ。
その上、転職先も決まらず不安な日々を過ごしていた。
その頃は既に娘が生まれていたから、世間的には随分と無責任というか無茶な退職であったと今更ながら思う。私の思いを受け入れてくれた妻に感謝してもしたりないくらいだ。
無職の私は会社の勤務から解放されていて時間はたっぷりあったから、せめてものできることとして、娘を後ろに乗せて自転車であちこちを散歩に連れて行ってあげた。
道端に咲くたんぽぽの花がきれいだった。
会社勤めの頃は見向きもしなかったからずっと気がつかなかった。
経済的苦境に陥っていても、不思議な安心感が出てきた。
あのたんぽぽは、大丈夫だから、というメッセージをくれたのかもしれない。
奨学金の返済を止めていた私だが、寄付はやめずに続けていた。(普通は逆だ)
それは前述した海外の子供の件もあるが、学生の時に経験した神秘体験を通じて得た、無償の愛に関する内的メッセージを思い出したからだ。
(参照:記事9)
その後、ようやく転職先が無事に決まり、なんとか私の苦境も底を打った。
奨学金の返済も終えた頃から、ユニセフだけでなく寄付先もどんどん増やしていった。
苦境を脱してようやくお金の心配はなくなったし、質素な生活が性に合っていて散財することもなかったからだ。
ユニセフの他、今現在行なっている寄付を幾つか掲げておく。
いずれも月当たり3千円とかで出すのに抵抗感がない金額に設定している。それが長続きするコツだ。みなさんもぜひ参考にしていただきたい。
2018年にはユニセフから寄付の継続が20年を迎えたという感謝の印として特別なカレンダーをいただいた。毎月の写真に私の実名が色々と形を変えて載せられていた。
個人情報なのでここでは表紙しか開示できないが、あの苦しかったときに寄付を止めていたらこのカレンダーがもらえなかったと思うと感慨深い。
これからも少しずつ支援先を増やしていきたいが、今問題となっているColaboのように、会計処理が杜撰な団体や、特定の政治団体とつながっている組織も少なくなさそうだから寄付先の選択には注意が必要ではある。
また、個人への寄付はしない。人によっては着服横領、公私混同のリスクが高いからだ。
このように寄付を続けながら投資も続けていた。すると、所有していた株がようやく上がり出した。
そしてそれは私が当初思ってもみないような、びっくりするほどの金額になっていった。
(記事12、記事16、記事24)
私が所有している銘柄の幾つかは、後に合わせてGAFAと称されるようになった。
しかしながら世間というものは、花や果実ばかりを求めてそれなかり話題にするが、伸びようとする苗や若木に水をあげることには関心がないということをつくづく実感した。
私はこの体験から、最初に列挙した成功法則に「与えること」を加えたい。
(既にそう理解して実行している人は非常に幸いである)
どの成功法則であっても、願うものが自分本位で利己的なものであれば、高次元の援助は得られない。
高次元の援助がないと自分の意志力だけで心の刷り込みを行わなければならない。そうなると努力感ばかりが伴うから継続が難しい。
そして実現してもカルマによる副作用が生じる。その点に触れない成功法則は要注意だ。
それに食べ物とか旅行、それに特定の人との関係、お金など、現世のものは全てが移ろいやすく永遠不滅のものではないから享受するのはいいが、執着は避けた方が賢明だ。
この寄付行為と投資の成功は科学的には関連がなく、与えれば与えられるという成功法則も論理的に証明できるわけではない。
実際に株式投資には知識も必要だが、学習した者が全て成功するわけではないのもまた現実だ。
このあたりのメカニズムについては、たまたま良い文献が見つかったので、次回はそれを紹介したいと思う。
今回も読んでくれてありがとう。
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