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34 日本の神々に対する理解と交流(ウカノミタマノカミ編)

前回(記事32記事33)で日本の神々に対する理解編を終えたので、今回から交流編をスタートする。

私が語る体験談は、常識あるまともな社会人が読んだら荒唐無稽な妄想だと一笑に伏すかもしれない。

だが左脳理論派からみれば、日本の神々について書かれた古事記の内容そのものが荒唐無稽である。

古事記を一笑に伏し一顧だにしない神職の方はいないだろう。

ただし、論理思考を用いて古事記を一字一句精読しても発見できない世界がある。

言い換えれば、右脳領域、θ波、δ波の脳波からしか感知できない世界があるのだ。

その見えない世界の可能性を調査もせずに完全否定していいのだろうか。

自分の見える範囲が全てと思わず、その外の未知の領域に広がる世界の可能性について調査することが科学の心

ではないだろうか。

それでは交流編に入ろう。

<はじめに>


ウカノミタマノカミ(宇迦之御魂神)は、一般に稲荷神、五穀豊穣、商売繁盛のご利益があるとされる神である。

私が交流内容を公開するにあたり、ウカノミタマノカミは快諾の印として、私の瞑想中に薄紅がかった白い大輪の花が咲くビジョンを私に示してくれた。

記事20記事23記事29をまだ読まれていない方は、先にそれらを順に読んでいただきたい。

書いた当時は気づかなかったが、それらがそのままストーリーとしてつながっているからである。

<氏神神社>


私は関東圏のあちこちの神社参拝をしていたが、通いの神社を決めようと思った。

その方が神々との絆が強まり祈りの効果も高まると思ったからだ。

住んでいる町名、番地から氏神神社がわかるということなので、神社本庁問い合わせてみた。

紹介された神社は社務所もない無人の神社であった。

それは稲荷神社ではないが、過去に幾つかの神社が合祀された経緯からか、ウカノミタマノカミが他の神と共に祀られていた。

正直なところ無人の神社は寂しいと思ったが、これも縁だと思い参拝するようにした。

その翌月の朝の瞑想中、二つのビジョンが同時に現れた。

それは稲荷神社にあるキツネの石像と、紫色の大輪の花だった。

その紫の花は以前、祭囃子が聴こえた際に見せられた花(記事20)と同じものだった。

私の元へ訪れて祭囃子を奏でられたのは私を神道の世界に導いた方々であるが、彼らが表したのと同じ花がキツネの像と一緒に現れたということは、ここまでの導きはウカノミタマノカミの意向によるものであったと、理解した。

後日、氏神神社に行くと、近くに咲いていた紫の花が視界に飛び込んできた。

時は5月。今年最初にみた紫陽花で綺麗な紫色をしていた。

この氏神神社のウカノミタマノカミが私を呼んだのだと、改めて実感した。

<お供えはコーヒー>


氏神神社に通うようになったとはいえ、雨の日など通わない日もある。

神社に行かない日は自宅で祈ろう、それなら神棚を設けようと閃いた。

私は形から入るのは不得手で偶像崇拝も嫌いである。
従って普段のスピリチュアルワークに用いる道具は、夜の瞑想用のローソクか、祈りの集中のための小さな十字架(といっても惰性で置きっぱなし)だけであった。

神棚を設置とは、無宗教の自分としては随分と心を入れ替えたものである。
(なら雨の日も風の日も神社に参拝しろってか)

なにはともあれ洋間にも合うモダンなタイプのものを購入した。

神棚といっても、氏神神社の神札は入手できていないのでセットしたのは他の大きな神社で買った天照大神の神宮大麻のみである。

しかしながらその神棚の供物についていろいろと交流が生じた。

神棚には水をお供えしてみたが、瞑想をしているとドリップされるコーヒーのヴィジョンが現れた。

神棚にコーヒーなんて聞いたことないが、私はいつも朝コーヒーを淹れて飲むのでそれを供えろということかと思い、お試しにコーヒーも供えてみた。

後日また瞑想中にヴィジョンが現れた。

白いコーヒーカップが二つ。左のカップにはブラックコーヒーが注がれ、右のカップには挽く前のコーヒー豆がそのまま入っている。

コーヒー豆も同時に供えろということか。

私自身、毎朝、豆をミルしてハンドドリップしているので、それを供えるのはお安い御用だが、日本の神にコーヒーを供えるのは普通じゃないと自分でも思う。

まあこちらだって神道に対して正統かつ伝統に沿ったアプローチをしているわけではなくお互い様かと思い、その通りに供えた。

ブラックコーヒーよりは豆のままの方がより香りが継続する。

神々は、供物については自然のままの素材を好み、さらに香りが立つものをより好むようだ。

私から見て右というのは神棚側から見て左。神道では左は右より格上と聞く。つまり豆の方が淹れたコーヒーより上とみなされたということか。

ヴィジョンに出てきた白いカップについては、使っていないエスプレッソ用の白い小さなカップと皿のセットが二つあったことを思い出した。

それが不思議なことにヴィジョンで見たカップと同じで、デザインも他の器とすごく調和する。サイズも神棚の左右にピッタリと収まるので供え用に使用することにした。

自宅にセットした神棚と供えたコーヒー。
氏神のお札がないのは寂しい限りだ。
左の神札は後に入手したもの
(交流編第4回にて説明予定の神)


ただ、日本の神々がコーヒーなど欲しがるわけはない。そこが一つの疑問だが、

神へのお供えは、供える人自身が一番好むものを捧げるべし

という考えが突然浮かんだ。

自分が飲みたい時、食べたいときに用意したものでいいからまずそれを先に供える、ということらしい。

<ペンキで汚れたキツネの石像>


ある朝、キツネの石像が誰にも掃除されず苔むしていて寂しそうにしているヴィジョンが観えた。

私の氏神神社は稲荷神社ではないのでキツネの像はない。

そこで、最寄りの稲荷神社(記事23で述べた神社)を久しぶりに訪れてみた。

行ってみるとキツネの石像の後ろがペンキで汚されていたので、あーこれかと思った。

拾い物写真。実際に私が行った神社ではない

掃除道具は持っていないが、手水舎の水は使える。

ブラシの代わりに落ちている木の枝を使って水をかけて擦ってみたら案外取れた。
一度では取れない汚れも何度も水をかけて擦り続けたらきれいになった。

コーヒーがいいとか石像をきれいにしろとか、私はそういうことをするために神道に関わっているわけではないが、

実際にきれいにしてみると気分がいい。

次に述べるエピソードは、その掃除に対する返礼とは思わないが、私自身、畏れ入り、そして感謝した出来事である。

<その水を飲んではいけない!>


神棚に供えるのはコーヒーだけではない。

専用の白い器を新たに購入して、それに水を入れて毎日供えている。

記事29にて説明済みだが、水が器に注がれるヴィジョンは私の心身の調子を表す。

ところがある朝の瞑想中、水の入ったその器がひっくり返されて水が全部こぼれるヴィジョンを観た。

明らかにネガティヴなメッセージである。

しかも神に供える水器の水がこぼれるヴィジョンを観せられたとなるとその意味は重大である。

供えている水は、浄水器を通して私自身が飲用しているもので何ら問題ないはずだ。

だが一つ心当たりというか、その数日前に気になる出来事があった。

週末の深夜、シャワーを浴びようとしたら水が出ないことがあったのだ。

突然の断水に驚き困ったが、誰もが寝てる時間で利用者は少ない。
きっとどこかで水道管工事でもしてて一時的に止めたんだろうと思った。

実際、小一時間もしたら、水が出てシャワーを浴びることができた。
(水が出た時点で午前3時半。休日とはいえ、こういう生活の乱れは反省改善中)

でもその断水と水器の水がひっくり返されるヴィジョンとの関係が見出せない。

なので、夜更かしの生活を直せというメッセージかなと思うことにした。

後日、瞑想中に、排水溝に濁った水が流されるヴィジョンが現れた。

水に何か問題が起きているのかもしれない。

その後、お供えの水器を取り替えようとして浄水器がついている蛇口を捻って水を出したら、あっと驚いた。

水が白く濁っている。

しばらく出し続けたら透明になった。

今までそんな現象は起きたことがなかった。

もう透明に戻ったから大丈夫だろうと思い今まで通り使用し始めたが、お供えの水は当面、買い置きしていたペットボトルの水を使うことにした。

さらに翌朝の瞑想中、浄水器のついた蛇口のあるキッチンのシンクに板が張られて封鎖されており、水を出したくても出せないヴィジョンが現れた。

浄水器つけていてもこの水は飲むな、ということだ。

神様にはペットボトルのミネラルウォーターを出してるから満足してくれているはずだが、私の身体の健康を心配してくれているのか?

数日後、マンションの管理人から通知が届いた。

貯水槽のポンプが正常に機能せず水がでなかったとのクレームがあり、修繕工事するとのこと。

管理人は修繕の通知だけでこの水は飲めないとまでは言っていない。

だが私の内的なメッセージは飲むなと言っている。

近所のスーパーマーケットに、指定ボトルを買えば無料で水を補給し放題の自動給水機があるので、今後それを利用することにした。

その水は後に「良き」とメッセージをいただいた。

このような私の知らない外的な危険は私自身の守護系やインナーハートからも発信できると思うが、神棚の水器をひっくり返すという不敬なメッセージは絶対に出さない。

つまり、この時点で交流ある唯一の神、ウカノミタマノカミによる警告である。感謝。

<喉の治療>


以前、別次元のスズメバチが治療として喉のチャクラを刺激してくれた。
記事29

その治療の主はウカノミタマノカミではない。
同神の眷属はキツネでありスズメバチではないからである。
他の神との連携をとってくださっているようである。
(蜂を使わしめ、眷属として使うのはどこの神様は未だ不明である。要調査)

だが、その後、再度試練がやってきた。

数ヶ月後、突然、声が枯れて出なくなったのだ。

私は西洋医学の医者というものを信頼していないが(記事22)、業務にも支障が生じてきて周囲の目もあるので、近所の医院で診察を受けることにした。

カメラで喉の写真を撮ってみてもらったところ、腫瘍ができていた。

医者はそれを見ると即座に、大学病院を紹介すると言った。

それって状態が良くないってことか?

こういう肝心な時に限って神々からのメッセージは何もない。
(供えるコーヒーより遥かに重要な事象なんだが。私にとっては)

何もメッセージはないということは問題ないと判断するが、当人にとっては100%の絶対保証なんてものはないから、やはり気になるわけだ。

普段関心がないから知らなかったが、喉の健康に良いという神社がある。

相変わらず神からのメッセージは何もないので、その神社に行けと言われたわけでもないが、その神社も稲荷神社であったし行ってみた。

人生最後のお守りになるかもしれないと思ってその神社のものを購入した。

大学病院で改めて検査して治療結果が出るまで待つこと1ヶ月。

この期間は、最悪の診断が出た場合のことも想定して、今のうちにと思い酒量も増えた。

で、診断結果が出たということで大学病院に行ってみると、

「悪性じゃないです(あっさり)。よかったですね。」

とりあえず安心だが、医者が言うには、人によっては腫瘍が大きくなったりするし、良性でも切らなければならない場合もあるので、さらに1ヶ月様子を見てから判断しましょうとのこと。

その1ヶ月後、またカメラを撮って医者が言うには、

「腫瘍は完全に消えてます(あっさり)。もう来院不要です。はい次の方どーぞ」

つまり一般的に言えば

この稲荷神社のご利益は完璧であった

ということになるが、神々からはこの件についてメッセージは最初から最後までメッセージは全くなかった。

「だ・か・ら、スズメバチさんの治療したげたでしょ? 信じてよー」

ということなのかもしれない。

そこで、以下のように考えることにした。

その別次元のスズメバチさんによるチャクラの刺激で、アストラルレベルで喉の悪いものをアストラル体から抽出分離したが、それは後日、物理的に腫瘍として現れた。
なぜなら

アストラル界の出来事は時間的に遅れて物理世界に現れる

からだ。

だが既に治療は終わっているのでその腫瘍がなくなるのは時間の問題。
私がすべきことは、それが消え去るのを待つのみ、ということだったと。

喉に効く稲荷神社は、特に行かなくても完治されたとは思うが、参拝しお守りをいただいたことで完治までの時間が短くなったということだ。
(以上、考察終わり)

医者側は4回にわたり診察をしてくれたが、治療をしてくれたわけではない。

医者は数ヶ月かけてカメラで調べて精密調査して結果を伝えてくれただけ。新聞記者と変わらない。

治してくれたのはスズメバチさんのみ。それもたった一回の治療で。

喉のチャクラを回転させて治療するなんて現代の西洋医学では不可能で、世話になりながら言うのも何だが、改めて西洋医学の限界を感じる。

ただその医者には感謝している。自分の喉の奥など自分じゃ見えないし、西洋医学でも完治とみなされるのはエビデンスとして有効だからだ。

なんとなく翻弄されている感はあるものの、以上が、私とウカノミタマノカミ及び眷属のキツネの精霊との交流録である。

以下はまとめ。

<稲荷系の神社のもつ広いネットワーク>


ウカノミタマノカミは五穀豊穣、商売繁盛の神だが、健康面の助けもアレンジしてくれた。

その後、私自身の神道のアプローチがあまりにも異端だから、きちんと伝統的な神道の文化を学ぼうと思っていたら、とある宮司さんと知り合いになり、色々と教えてもらっている。

この宮司さんの神社も稲荷神社である。

私から言わせれば、

ウカノミタマノカミは素晴らしいネットワークを持つ神

だと思う。

商売繁盛以外のテーマでも、次から次と他の助けを呼び寄せてくれるからである。

喉に効く神社は私が勝手に行っただけだが、そこも稲荷系というのも興味深い。

ましてや日本神社の中でも稲荷神社が一番数が多いとのことだから、そのネットワーク力は神々の中でもトップクラスではないかなと思う次第である。

メッセージも抽象的なものは一切なく、全てが具体的で現実的で生活に役に立つものばかりだ。
(神々によってはそうでない場合もある)

いわゆる現世利益、ご利益というものに一番応えてくれるのが稲荷神社、ウカノミタマノカミであると思う。

なお、読んでいただいた通りウカノミタマノカミは一度も姿を現してくれない。
現れるのは眷属のキツネだけである。

最近は別の神との交流も増え、ウカノミタマノカミにお世話になる機会は無くなったが、この投稿日の朝、瞑想中に祠が見えた。

その祠の後ろからキツネが隠れているのか、茶色い尻尾が元気よく振られていた。

今も見守っているよ、というメッセージであればありがたいことである。

長くなったが読んでくれてありがとう。

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