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まず、精神障害を語る

ぼくが、障害者であるということを隠さない、むしろ積極的に打ち出していくことはぼくが30年やり続けてきた切実です。

けっきょくのところ、身体障害と精神障害は違う、ということです。障害の定義は最新のものでは、例えば目に見える、四肢がないなどの障害と目に見えない障害は異なるという言い方は未熟なものとして退けていますが、それでも、身体の痛みと精神の痛みが質的に異なる部分があることは、実感として否めません。ぼくら精神障害とされるものから見た、施設を出た身体障害者の精神的強さ…

ただ、差別されるもの、もっと言えば、閉じ込められるものとしての障害者という側面は一緒です。でも、ぼくは一概に、閉じ込めるもの、医療従事者、福祉従事者を敵対するものとみなしてはいません。それは、彼らが、社会全体の差別の構造の哀れな表象であるということだけでなく、彼らの中にも「人間」がいることを知っているからです。こと実務的に業務をこなす従事者がいることも知っていますが、実存的苦渋とともにぼくらと対峙を続ける従事者の存在も知っているからです。

ぼくはしばしば治療としての保護室隔離を受けます。苦痛です。なぜ犯罪を犯してもいないのにこんな鉄格子の中に閉じ込められなければいけないのか…治療として有効だからだ、と、医療従事者は言います。ここで監獄の歴史、精神病院の歴史といった考察は控えますが、精神医療が近代知性による捏造で、近代という差別構造を確立擁護するための装置として精神病院が存在したという、以前から指摘している事実だけを書いておきます。精神病、精神障害者を保護隔離するという志向がまったくナンセンスだということ…

この論議に異議、違和感、不思議な感覚を覚える健常な方は多いと思う。一言いえば、今現在、この文章を読んでいるあなたが、気がついたら精神病院の鉄格子のなかにいる、精神保健福祉法体系とはそういう法体系なのだということを言っておきます。そういった政治運動的な立場からだけでなく、狂気は誰にも異質なものでなく、狂気と精神病と呼ばれる状態は異なること、精神障害者と名づけられてからのこの国における人権のなさなど、錯綜した問題をぼくは本来述べなければいけませんが、一度には無理です。

精神障害者が精神障害者であるとき、その精神が不自由になります。ぼくが、表現者としてその精神の自由な飛翔を妨げられなくなるまで、30年以上の月日がかかりました。自分の個性ののびやかな発現を、病気、症状、ひどいときは妄想などととらえられる悔しさ!精神障害者は他者からの差別の目に縛られるだけでなく、自らの精神を自縄自縛します。ここ、具体例を挙げたいのですが、いちどにはあげきれません。例えば、閉ざされた精神障害者が、ぼくの今持っている幅広い人間関係をすべて妄想だとみなす等。

だからぼくは、身体障害者の痛みはわからないといいます。同じ障害者同士という言い方は極力避けます。

津久井白ゆり園の事件で、ぼくを突き動かし、長文のコメントを書かせたのは、安っぽい正義感、ヒューマニズムではなかった。ぼくの心底にある凶暴性との対峙であって、被告や福祉従事者に対する恨み、糾弾の姿勢ではなかった。ぼくが、なぜ実存的に一番重要な問題として障害者問題に関わらざるを得ないか、という吐露だったのです。


ぼく自身が「精神障害者」と呼ばれる存在であるということと、精神に障害を持つものであること、「精神病」であるということと、病であるということに、質的な違いがあります。分裂病の社会因、障害論といった話は、少しぼくの「興味」を離れています。ただ、「精神病」が「社会的」病なだけでないことは実感として言っておいた方がいいかもしれません。社会に不適合な、病としての精神病をぼくは抱えているということ…

「精神病は社会的な規定ですよ」「誰だって狂気は抱えてる。私だって狂ってますよ」と能天気に「同情」してくれる友人知人は多い。でも、内的に狂わざるをえなかったものの性向、狂ってしまったという事実を、本当にみなは理解できるのでしょうか。ぼくはここを表現の問題と解消しようと試みました。でもいけない。狂気、精神病と障害の問題はもう少し違うところにありそうです。

「精神病」と「障害」の問題は、現在のところ、ざっくり言ってしまえば、社会との適応不適合の問題だけに解消されているように思われます。けれど、「精神病」と呼ばれる状態の、宇宙とのまったくの隔絶感は、当然社会復帰などという言葉を否定します。ここはストレートな「表現」を怖れるぼくがいる。うっかりの発言はぼくを殺すかもしれないからです。迂回しながら自分との安全を図る。

ぼくは狂気とは異なる「精神病」というものがあるという立場です。だからこそ自ら「精神障害者」であると名乗ることに意味が生じるのだし、そこにアイデンティティの基盤を持つことができました。


ただ、「精神障害者」という呼ばれようについては、必ずしも通年史に正確なものでなく、また、資料等手元に乏しいなかで、蛮勇を奮って苦手な考察に踏み込んでみようと思います。

まず、1950年の精神衛生法成立まで、日本における「精神障害者」は「精神病者」と呼ばれ、多く私宅監置の対象でした。奇矯な言動は狐憑きなどとされ、座敷牢などに監置された。江戸期以前の物狂いなどの民俗学的考察はぼくの手にあまりますが、祝祭の場で王となった精神病者の栄光の歴史についてはいつか述べてみたい。いずれにしろ、「精神障害者の人権」について少しでもふれられたのはこの時が最初です。だがその時「精神病」者の精神病院への入院形態というものが、同意入院(本人と医師との治療契約ではない:現在で言う医療保護入院です)と措置入院の2種類でした。それに対してぼくたち「精神衛生法撤廃連」の掲げたのが、精神衛生法にのっとらない、医療法のみを根拠とする「自由入院」だったのです。

そもそも日本人に医師と対等な治療契約という概念はなじみません。下記の任意入院でさえ、医師の恣意的な判断に依っているのですから。

1964年のライシャワー大使襲撃事件についてはぼくのつたない要約よりも検索をかけていただいた方がいいでしょう。この事件以降精神医療は急速に治安維持の性格を帯びていきます。「精神病院の商業化」、大量収容主義が進み、当時医師会会長だった武見太郎氏の、「精神病院は牧畜業」という発言にもつながっていく。

ぼくが駒ケ根がパラダイスだと言った時、そこになから医師患者の対等性があったからです。当時ぼくの主治医は、ぼくが、「退院の時期は家族と話し合って決めてくれ」といった時、「あなたがなぜそんなことを言うのかわからない」と返したものでした。

そうして忌まわしき宇都宮病院事件・大和川病院事件などのあと、精神保健法が1984年に登場します。だがそこで自由入院は換骨奪胎され、法律的にギチギチのものとなるのです。

任意入院の時、患者は医師の許可を求める意識になります。他相互対等な契約でならあるべき、治療契約の一方的破棄の権限は医師の側にしかない。その証拠に、医師の側から強制退院はあっても、患者の側からの一方的な強制退院はありません。


そしてもういちど、誰かが言っていたように、精神は肉体・身体の過剰です。そして過剰がカオスをなすとき病となる。つまり「精神病」は肉体のカオスです。このとき「精神病」は狂気と同義ですが、近代という文脈の中で初めて「病」という性格を帯びます。時に祝祭の王であった狂気が!ここは多くの研究者がいるでしょう。「病」とは何かについての別稿を立てなければいけません。

繰り返しになるようですが、ぼくは「治療」が必要な「病」としての「精神病」を抱えています。その自覚から向精神薬を常用しています。そうして「社会参加」することに明らかなストレスを抱えている。だから「精神障害者」なのです。

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